昨年6月、ボルドー郊外のワイン醸造元で
昨夜6時過ぎ、何の気なしに玄関の外へ出てみると家の前に白バイ2台、警察官と町内会の役員の方が来ていて、近所の一人暮らし高齢女性の部屋の鍵開けているところだった。
「どうしたんですか?」と聞いても、振り向いただけで役員の方全員が無言。
「新聞がたまっている」
「いらわない方がいい。いつ頃か分かるから」などと言っている。
これは私が首突っ込むことじゃないとあわてて家に戻り、しばらく外がざわざわしていたけれど、一時間もすると誰もいなくなっていた。
昨夜、近所の人の話では、亡くなっていたとのこと。ショックだった。
そしてきょう、地区の民生委員の方に出会い、詳しく教えていただいた。
亡くなったのは10月の末らしい。コタツに入ったままだったそうで。何度か訪ねても全然応答がないので、おかしいと警察に知らせ、やっと発見されたとのこと。
二か月も誰も気がつかなかったことになる。こんなことってあるんだろうか。
ふだんから、インターホンに全然応答しない人だった。何年も前、隣の部屋の人が心配して警察呼んで、その時はパトカーが来たけど、ご本人が「なんですかあ?」という感じで出て来られたこともあった。それからは隣の人も安心していたのではないかと思う。
若い時は師とつく職業で、ずっと独身だったとのこと。身内がどこにいるか分からず、御遺体はとりあえず管轄の警察署に安置されているとのこと。道で会えば挨拶するし、はきはきしたおばあちゃんだったけど、めったに見かけないので、私も全然気に掛けていなかった。最近見かけないなと思うことさえなかった。
これとは別の話だけど、最近、近所の高齢女性が身なりにかまわず外を歩いたり、軽くゴミ屋敷みたいになっているので、他の人にそれとなく「どうしたんでしょうね」と水を向けたら、よけいな詮索しない方がいいという対応だったので、どこまで気に掛けていいかも難しいところではあるんですが。
私は一応家族もいて同じ市内に住む子供もいるけれど、この先一人暮らしになるやもしれず、(夫よごめん。あとから追って行きます)、電話の横に大きく緊急連絡先を書いて貼っておく、毎日は無理でも三日も姿を見せないと心配してくれる知り合いを持つ、行く場所を持つということは必須だなと思った次第。
人が一人、誰にもみとられずに亡くなって、二か月も気づかれず、気づいても、どこの誰だかわからず、身内知り合いに連絡の取りようがない。まるで行き倒れのように。
こんなことがあっていいんだろうか。
地縁、血縁、煩わしいこともあるけれど、都会の地で新しい地域縁を作ることは大切。それは昔の地縁よりは風通しがよくて、道理の通る縁だと思いたい。
「助けてほしい」と言ってくれればと、民政委員の方は残念がっていた。人に頭を下げてものを頼む。歳とるとそれもできる方がいい。助け助けられ、が人間。誰の世話にもならないと思っていても、世話になるのが人間。肝に銘じ、歳とれば謙虚にならなければとも思う。