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夏においしい金山寺

2019-08-06 | クッキング・ランチなど

実家で、真夏に毎年作っていた「金山寺」、数年前に母に教えてもらって今年もつけました。

辛くてまろやかで(形容矛盾)、ご飯が進む漬物です。

作り方

辛子漬けを作ります。

ナス、キュウリ、ウリを1kg 塩100gで一昼夜漬けます。

上がって来た水を捨て新しく水を入れて、今度は塩抜きをします。

途中で新しく水を変え、こちらも一昼夜掛けて塩抜きします。

塩抜きの時は冷蔵庫で。

続いて辛子漬けを作ります。

醤油150cc、水75ccを鍋で沸かして冷ましておきます。

塩抜きをした野菜を刻み、冷ました醤油と水に、みりん75cc、練り辛子大さじ1で辛子漬けをします。

半日くらいして味がなじんで来たら乾燥麹200gを入れて混ぜます。

常温で半日くらい置くといい感じで発酵してきます。

昔はこのまま食べていたけれど、今は温暖化しているので味を見ながら冷蔵庫も利用し、早めに食べます。

皆様もよかったらお試しください。

麹はこちらを使いました。

https://item.rakuten.co.jp/hokubei-shop/44920f/?s-id=ph_pc_itemimage 

野菜の嵩は10分の1くらいになります。取れすぎる夏野菜を暑さを利用して漬物にする工夫ですね。子供の頃は嫌いだったけど、今はおいしく食べています。

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広島は雨

2019-08-06 | 日記

台風の影響で、朝からずっと雨です。

記憶のある限り、二度目。行事関係の方は大変でしょうが、暑さが続いた毎日、一息つける恵みの雨です。

そして、暑さの中で亡くなった人への鎮魂の雨。

写真はホームページ始めた2003年頃、8/6に。実家へバスで日帰りして、帰りにバスセンターから元安橋まで歩いて行ったんだった。

立っている男性は報道関係の人でしょうか。

当時のデジカメ、手振れがひどくて、深謝。

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7/26 沖縄最終日もいいお天気

2019-08-05 | 旅行

7/26 最終日です。帰るときになって、9階の宿泊客限定でフリードリンクのラウンジがあることに気が付きます。

https://okinawa-labo.com/hotel/hotelaquacittanaha

泡盛飲み放題。ほかに焼酎、ワイン、さんぴん茶(沖縄のジャスミン茶)など。

身をよじって悔しがる夫。今から運転なので飲めません。残念です。

窓辺に座って、琉球ガラスのコップで…残念です。

敷物は伝統工芸品のみんさー織り。


対馬丸記念館へ行きます。

本土への疎開船、対馬丸が1944年8月22日、米軍の潜水艦に魚雷攻撃受けて沈没し、1461名の犠牲者の中には784名の児童もなくなったそうですが、詳しい人数は未確定とのこと。

ビデオを見て、史料を見学します。救命いかだに乗った姿も再現。

貨物船を急きょ改造したそうです。

犠牲になった子供たちの名前。

資料があまりに少ないのに衝撃を受けました。その子が生きていた証も沖縄戦で失われたのでしょう。

助かって漂流している時の体験手記などもあります。

当時は家族は他言してはならないと言われ、戦後も長く公けになることはなかったとか。

ひっそりとした記念館ですが、前の天皇皇后が訪ねてからは来館者が増えたそうです。

裏山に登ります。

花いろいろ。

小桜之塔という慰霊碑もあったのですが、見逃しました。記念館と慰霊碑は対馬丸が出て行った港の近く、旭ケ丘公園にあります。


続いてその近くの福州園へ行きます。

福州市との姉妹都市縁組10周年を記念して1992年に作られたそうです。

設計、技術指導などは福州市が行い、材料も向こうから取り寄せたそうです。

 入り口。入場料は200円です。

中は広く、四季を表す景色を再現しているそうです。

ガジュマル。

平日の朝、人が全然いません。おっと、一人だけいたーーー

どこをとっても絵になりそうで。ドラマのロケにも使えそう。

中国的。

池もあります。


続いて沖縄南部、糸満市摩文仁にある平和祈念公園へ。

沖縄戦終結後、沖縄戦でなくなった兵士、民間人24万人の名前が国籍を問わず刻まれています。

資料館などもありますが本日はパス。またいつか、ゆっくり訪ねたいものです。

ずっと歩いて行くとその先は海。東シナ海の青い海が見えてきました。

続いてひめゆりの塔へ行きます。

こちらも南部、糸満市にあります。

沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた、女学生222名と彼女らの教師18名が動員されてここで傷病兵の看護の手伝いをしました。

やがてここも戦場になり、多くの女学生が犠牲になりました。隣の記念館も見たかったのですが、今回は見ていません。残念。

穴はガマと呼ばれる自然の窪地で、ここにも日本兵と女子学生が潜んでいたそうです。

古くから公開された戦跡なので、観光施設たくさん。賑やかです。

みんさー織の機織り体験しました。平織ですが複雑に見えるのは経糸が染め分けたりしていろいろ複雑だから。

インストラクターの人が手際よく端の始末をしています。

はい、できました。両手で持つと可愛いとのアドバイス。ん?可愛い?

続いて琉球ガラス村へ行きます。入場無料。工場にショップが併設されています。

工場は暑そうでした。

立派なシーサー。

製品いろいろ。こちら商品ではありません。

ここでガラスの器を一つ買いました。

最後に道の駅へ。

果物豊富。

バナナもいろいろ。でも荷物になるので買えません。残念です。

16:20の飛行機で福岡へ。

もうすぐ着きます。海の中道と志賀島。砂州の上には立派な道路もあり本土とつながっています。

博多駅で晩御飯食べて、のぞみで広島まで。やれやれ、暑い4日間がやっと終わりました。

拙い旅行記にお付き合い、ありがとうございました。


沖縄旅行の印象。

暑かった。

電車バスはあまりないようで、車で移動。道は走りやすいけれど、那覇市内は車が多い。

家とお墓が立派だった。

水田がないのが意外だった。知らなかったと言う無知。

観光が盛んだと分かった。

次に行くときはもう少し予習してしっかり楽しみたいと思いました。

夏の旅行、次があるとしたらやはり信州か尾瀬、北海道など涼しいところへ行きたいものであります。

 

 

 

 

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7/25 那覇の午後は暑かった・・・

2019-08-05 | 旅行

2/25 那覇市内、国際通りの観光案内へ行った頃にはあまりの暑さに、ついに思考がfreeze.

このあと、どうするん?と同行者に確認するも、いいアイデアがないらしい。どこ行っても暑いし・・・

どこかでもらった観光案内兼観光地図に、旧海軍司令部跡の壕があったので、そこへ行くことにしました。那覇街地の南の方、宜野湾市です。スマホで番号探してナビに入れ、ナビに連れて行ってもらう。

やれやれ、車の中は涼しい。司令部も洞穴で涼しいはず。もう屋外歩きたくないです。


小高い丘を掘って壕を作ったようです。

初めに資料館を見ます。生活道具、薬品、手りゅう弾など。

米軍に投降した住民。しゃがんでいる人は弱っている?

壕へと下りて行きます。地下三階くらいの深さ。

通路が縦横に伸びています。

作戦会議をしていた部屋だそうです。

さらに通路をたどり、

手りゅう弾で自決した部屋の壁の傷は当時のままだそうです。

兵士に民間人、学徒も加わって手作業したそうです。

その時の道具。

兵士たちは通路で座ったまま休む。座れる人はまだまし。

立ったまま眠る絵もありました。人は立ったままで眠れる?

人がいれば、水、食料が必要。換気をして、排せつ物はどうしていたのかと、説明は全然ありませんでしたが(見逃したのかも)、ここも過酷な戦場そのもの。女子学生も動員されたそうです。

沖縄の体験談、あまり触れる機会がなかったのですが、少し勉強してみたいと思います。

出てきました。現代の現実社会に戻ってホッとします。

鎮魂、反戦への決意。ただそれだけ。


宿に行くにはまだ早い。行く途中で見た「漫湖水鳥・湿地センター」へ行きます。

https://www.manko-mizudori.net/welcome/

名前は湖ですが、国場川河口の湿地帯にマングローブが広がり、珍しい生物もたくさん。

センターの建物出て、見学者用木道を歩きます。

両側のほとんどはメヒルギ。

長い種が落ちて泥に突き刺さり、上から葉が、下から根が出ています。

カニやハゼなどがいます。

ヤエヤマヒルギはタコの脚のように周りに根を出すそうです。

メヒルギより大きい。

オヒルギは一回り大きな葉がとがっています。

メヒルギの花。

生まれて初めてマングローブ見て、感動しまくりながら駐車場へ戻ります。

街路樹は地植えのゴムの木です。


港近くのホテルの投宿。一番広い部屋を予約したのですが、間取りの関係で使いにくく、ベッドが広くて歩く部分は横歩きです。お客さんに外国人が多かったけど、大丈夫?

https://www.hotelwbf.com/aquacitta-naha/

専用駐車場がなくて近くのコインパーキングへ入れるのもやや面倒。

ホテル内にはレストランはありません。しかしラウンジは広くて充実、外国からのお客さんは向かいのコンビニでサンドイッチなど買って無料のドリンクで夕食済ませていました。

合理的です。その代り、朝食バイキングはとても豪華、年寄りはそんなに食べられないのが残念でした。

この日の夕食は近くの店で済ませて、そこら辺を歩いていると港に着きました。

7月末午後7時半、まだまだ明るい沖縄です。

私は着替えはごく少量、毎晩宿で洗濯。ドライヤーであらかた乾かして吊るしておくと翌朝には乾いています。海外旅行で身に着けた技です。

荷物少ないと整理も簡単、忘れ物も少なく、だいいち荷物が軽いので。と今回もまた自慢モード、深謝。

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涼しい三段峡を歩く

2019-08-04 | お出かけ

毎日暑いので、涼しいところへ行きます。広島市の北側、安芸太田町の三段峡です。

太田川の支流、柴木川沿いに深い渓谷沿いの変化にとんだ眺めが楽しめます。

私、5年ぶりくらい、夫、25年ぶりくらい。

入り口には旅館や土産物屋など。昭和の頃には国鉄三段峡線の終点。今は広島バスセンターから高速道経由、一時間ちょっとでアクセスできます。

夏休みで人多し。

水、イカリソウ、ヤマアジサイ。くりぬきの水槽。

 橋を渡って遊歩道へ。この付近まで来ると吹き上がってくる川風が涼しい。

カヌー、キャンプ、水遊びなど。

湿った遊歩道が続きます。

イワタバコが濡れた崖に群落作ってます。

イワタバコの花

クサアジサイと交尾するカミキリムシの仲間。

遊歩道と樹林帯。これは振り向いたところ。川の左岸を歩きます。

滝いろいろ

水量多し。

ミズ、ウワバミソウとも。湿った場所を好む。食用。

トチノキたくさん。トチ餅は三段峡名物。流水に三日くらい晒して実のあく抜きするらしい。

街中の家では水道代が大変。

キツネノカミソリ。秋に先駆けて咲く花。ヒガンバナの仲間。有毒。

ウバユリ。秋の花。

ヒヨドリソウ?

マルバマンネングサ。岩の上に生える。

名残のヤマアジサイ。

遊歩道へと流れ込む赤滝。岩の赤いのは藻の色だそうです。

ミズヒキ。よく見る花。米粒みたいな花の裏側は白。赤と白でミズヒキと言うらしい。

侵食されずに残った岩。木曽川の寝覚ノ床も成り立ちは同じ?

キンミズヒキ

約50分歩いて黒渕に着きました。船で黒渕荘へ行けます。

棒を引くと船が迎えに来ます。

船に乗った方が近くて眺めもいい。遊歩道は大回りだそうで。

一度乗りたいのにいまだ果たせていません。

眺めいいそうです。乗りたいなあ。

でも、もう乗る機会もないかも。さらに上流には、二段滝、三段滝などあるようです。

行くと、また車のところまで戻るのが遠くて一度も行ってません。残念ですが、引き返します。

分かりにくいけど、ウマノアシガタ?

ホトトギス

オカトラノオ。名残の花。

元の橋まで戻ってきました。往復で約2時間、一万歩くらい歩きました。

橋から下流を見る。旅館に発電施設、水遊びをする子供たち。

夏真っ盛り。


おいしい山の水(無料)をいただいて、駐車場でキュウリ(無料)をいただいて、別に野菜も買って帰宅。

涼しくていい山道でした。今日は人がとても多かったです。

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7/25 暑い那覇を歩く・・・ヘロヘロ

2019-08-04 | 旅行

下の公園から見上げる首里城


続いて那覇市内、琉球王家の庭園、識名園へ。

賓客をもてなしたり、王家の行事に使っていたそうです。

庭園内のガジュマル。他に亜熱帯性の植物が元気だった。

建物は暑さに対応。庇が深く開口部を広く取っている。

中はゆっくり歩いて40分くらい。暑いので人はほとんどいません。

出たところでラジオ局のインタビュー受ける。お土産いただく。

手回しで発電するライトにラジオ、携帯の充電器も。残念ながら、スマホには対応せず。


続いて国際通りへ。のつもりが、道路が複雑で、適当に車をPに入れ、あとは歩き。

地図より、スマホのマップ機能が便利。自分の現在地が分かる。

大平通り。

さらに歩いて商店街右折、また右折、いつの間にか「壷ややちむん通り」へ出る。やちむんとは焼き物のこと。窯元のショップがたくさん。

こちらは合同の店舗。沖縄的。

店いろいろ

専門店

沖縄的

食事処になっていました。住居ではなく、古民家カフェ。

屋根瓦と器、シーサーでできた塀。

登り窯とガジュマル。

すでに歴史的景観。

見るだけで楽しい。小さい器を一つ買う。

国際通りへ向かう商店街。ガウディ的。エネルギッシュ。観光客多し。中国人多し。

混沌の中から生まれる沖縄的エネルギー。

感動してしまった。。。


ここで14時ころ。夫はまだ商店街歩きたそうだったけど、暑いので車に乗って、海軍司令部跡の壕へ行くことに。長くなるので今回はここまで。またお会いしましょう。

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姑様の施設の夏祭り

2019-08-04 | 介護

昨年8月 下呂温泉で 山の中の宿に泊まる。今年も涼しいところへ行きたいものです。


昨日は、姑様がお世話になっている施設の夏祭りでした。参加予定の義妹が来ないことになったので、夫と二人で参加。久しぶりに姑様との食事でした。

今年一月入所なので、初参加でしたが、職員の方が料理、出し物など工夫されて、とても楽しい会になりました。感謝です。昔なら、長男の嫁、介護に追われていたはずだけど、施設に入居し、その施設の行事に参加して、つくづく時代は変わったなあと…。

メニューは介護食の試食かなと思っていましたが、ちゃんとパーティ料理で、ビールは家族会からの提供、職員以外にもボランティアさん、ケアマネさんもお手伝いに来ていました。

職員の方が、そろいのアロハシャツやムームーで歌って踊って、いずれ介護を受ける身の私も楽しめました。

施設までは速歩で15分くらい。先に出かけた夫が自転車乗って行ってるとばかり思っていたら、夫も歩き。帰りは二人で歩いて帰りました。そう、我が家には自転車が一台だけ。車も一台。質素に暮らしています。年取ったら、何でも少なめに。もうものは増やさない…と負け惜しみ。

暑くて、きょうは夕方まで家に居ました。ついでに次の裂き織り、整経から機に取り付けるまで。

自作の上が開いている仮筬、本日は糸が抜けて余計時間かかる。毎回、元の仮筬に綾返しの方が早いと思いつつ、意地張ってます。

今回は部屋の入り口に置くマット。おしゃれで安いものがいくらでも買えるのに、わざわざ時間かけてダサいもの作る。これも年寄りならばこそ。古い浴衣の活用です。頑張ります。


昨日午前、高校時代の友達♂より電話。今年夏のミニ同窓会は延期とのこと。

先生のお宅へ行くと発案したのはその友達だけど、昔下宿にお邪魔したのとは違って、今は奥様もおられるので、どういう流れになるやら。期待せずに待っていましょう。来年は学年全体の同窓会なので、その前後に別に集まるのもいいかもしれませんが、考えるのはその友達、要らぬ口出しはやめておきましょう。

遊びの企画は得意な友達、卒業しても二年間くらいは夏休みに数人で集まって遊んでいた。昨日、ふと思い出したけど、あるところで食事していたら、台風が来るのでもう閉店しますと追い出され、彼の車で一人一人送ってもらった。

学生が車など持っていなかった時代に、得難い友達でした。栗林公園の前まで来た時、あまりの豪雨にかどうか、ワイパーが機いきなり取れて、車停めて、窓から手を出してワイパー動かしていたけど、そんなことで雨のよけられるはずもなく。

でも乗っていた私たち、大笑いして受けていた。ごめんなさい、人の苦労も知らないで。

昨日は電話貰って、そんな楽しいこと思い出した。女の子は私だけ、あとは二人くらい男の子が乗っていたように思う。その前後のことはすっり忘れているのに、ワイパーを手で動かしていたのは憶えている。でもそれじゃ運転できないし、そのあとどうしたのでしょう。謎。

その友達は、私の弟とも仲良くなって、私が結婚した後は、ときどき弟が遊んでもらったらしい。そのことはまた今度ゆっくり聞いておきましょう。

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かこさとしの世界展へ行く

2019-08-03 | お出かけ

2017年8月、東広島市のレストランで


昨日はひろしま美術館へ、かこさとしの世界展見に行きました。

先日来た長男が、孫を連れて行ったと話していたので。

我家にもありましたよね。かこさとしさんの絵本いろいろ。

「かわ」とか「カラスのパン屋さん」とか「大きいいえ小さいえ」とか。

漫画のようにどぎつくなくて、ほのぼのしていて、何度でも読み返せて、親の私も好きでした。

でも、子供の本、ほとんど処分して残っていません。自分の本はいっぱい取ってるのに。

残念です。


夏休みで、子供連れの若いお母さんがたくさん。私は見渡す限りの中では最高齢者。最近、どこへ行ってもこんなことが多い。立ち回り先が年齢に合ってないんでしょ。じゃ、どこいけばいいの?

かこさとしは、東京帝国大学を卒業し、学位も持っている人。初め昭和電工の研究員しながら、川崎市の貧しい地区で、子供たちを集めて一緒に遊ぶボランティア(当時はセツルメントと言っていた)をしていた。氏の担当は紙芝居、子供たちに絵を教えていたことから絵本の仕事へとつながったそうです。

絵本はメルヘンではなく、子供に世の中の仕組みや自然の成り立ちを分かりやすく、温かみのある絵で描いている。子供にこびへつらうのでもなく、本当に子ども好きな人が子供と遊んでいる。そんな印象の作品の数々。

流されたビデオを見ていても、とてもお人柄のいい方だとの印象。最高学府出て全然偉ぶらず、子供と同じ視線で楽しみ、驚き、知ろうとしている。

なんかちょっと感動した。たくさんの絵本はこの先もずっと残っていくと思った。


昨日は電車で行って、降りた後、少し歩くのがとても暑かった。

帰りの電車で、京都市電の古い車両に乗ったら、女性が冷房が効いてないと運転手さんに怒って降りようとしていた。それを見ていた男性が「さっさとおりーや」とまた文句。

暑いのでみんなイライラしている。電車待ってるときも「暑い、暑い」と独り言を繰り返す人が。

いゃあ、過度の暑さは人格まで変えるようで。まだ暫く辛抱は続きそうです。

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沖縄2日目~3日目 名護から那覇へ

2019-08-02 | 旅行

瀬底島は最後はビーチへ

空模様が今にも降りそうで、早々に引き返し、今夜の宿のある名護市に向かいます。

案の定、途中、豪雨。でも着くころには上がりました。

宿に荷物置いてそこら辺を歩きます。

21世紀の森、ビーチと言うのは最近整備された海べりの施設。市役所のすぐそばで泳げるなんてびっくりです。

雨のあとで浜には誰もいませんでしたが、BBQを途中で切り上げた人が空を見上げていたり。

名護市役所。有名な建物らしい。ユニーク。ガウディ的、またはコルドバのメスキータを連想したけど、スペインのことは言わない約束、黙っていた。

今写真見て思うのは、沖縄の伝統的建築、赤瓦に漆喰のイメージかと思います。暑い土地で、日除けと風通しを兼ねた装飾でしょうか。

この日はとても歩いたそうで、ここまでで2万歩くらい。歩いてホテルに帰りますが、夫は食事を外でするとまた出かけました。私はホテルのレストラン2割引きのチケットでお寿司など食べました。

この夜も二人で一部屋。エアコンが寒くて何度も目が醒める。明かりがつけられなくて、トイレに座って持参の本を読む。辛いなあ~、こんなことがあるので、海外ツアー、人を誘えないのです。


しかしまあ、少々眠れなくてもすぐにどうこうはないはず。

次の25日は高速道路で那覇まで。高速だと沖縄的景色は見られないけど、本日のスケジュールいっぱいです。どんどんこなしていきましょう。

首里城の駐車場に車入れて、今から見学。朝から暑い。

広いです。

上がって来ました。

宮殿内は冷房完備。グループに分かれて説明してもらいます。

こちら王の玉座。中国風。

首里城は沖縄戦で破壊され、20年くらい前に?再建されました。

建物出て、龍が屋根にいます。

一番先の展望台から振り返ります。

ミニ紫禁城といった趣き。中国文化の影響が感じられます。

見学コース終えて、外へ出て公園まで下りると戦跡がありました。

32軍、司令部壕の跡です。

入り口

もう一つの入り口。

首里城は高い丘の上にあり、地下には壕がありました。

https://www.naha-contentsdb.jp/spot/652

戦争の記憶がまだ生々しいのが沖縄。戦争にならないようにするのが政治の仕事。お願いします。

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「ぼくは猟師になった」 千松信也

2019-08-02 | 読書

先日見たテレビ番組「ぽつんと一軒家」で、香川県で猟師をしている男性一家が紹介されていた。その番組を見るその瞬間まで、私は鉄砲持って動物を撃ち取るのが猟師とばかり思っていたけれど、それとは別に「罠猟師」と言うジャンルもあるそうです。

森の中にわなを仕掛けて動物をとらえるのも猟師で、著者もこちらの方でした。

親本の出版は2008年で、当時、京大卒の猟師として話題になった記憶がある。その時は京大まで出て、なんでまた鉄砲担いで山の中を走り回っているのかと、能力を他のことに生かせばいいのに、何か挫折でもあったのかしら、それとも究極のエコロジストと思っただけで、忘れるともなく忘れていた。

一昨日、読む本が無くなってゆめタウンまでチャリンコで。紀伊国屋で買ってきました。リアルの本屋も久しぶり。たいていはアマゾンの中古本をジャケ買いする私。たまには本屋へ行くと刺激がいっぱいあって楽しかったです。

子供のころから自然と動物が好きで獣医を目指していたけれど、ペットの医者になるのに疑問がわき、たまたま柳田国男の本を読んで民俗学に志望替え、一浪ののち京都大学へ入り、休学を四年もしてアジアを放浪、帰国後のアルバイト先で罠猟師の人と知り合い、技術を教えてもらい…と型にはまらない青春遍歴は読んでいてとても楽しい。

猟師と言っても猟期は冬の三か月だけ、本業はちゃんとあるけれど、この本で紹介される猟の技術の数々を読めば、やはり猟師と呼んでいいと思う。

つかまえて、さばいて、肉を保存する過程が達意の文章で大変にわかりやすく、また猟師仲間の交流と宴会の様子も読むこちらも楽しくなります。

イノシシ、シカ、鴨、スズメの獲り方とさばき方、料理の仕方など、おいしそうです。そしてそこから今の食品の流通の仕方にも問題提起をしています。

いいなあ、猟師。いいなあ、宴会。

10年以上前、ホームページのオフ会で山陰の山に登り、山頂で、ある参加者が持参のイノシシ肉で鍋して、メチャクチャおいしかった。味が深くて、店で売っている牛肉なんかと全然違う。

この本の中では血抜きと内臓の取り出しかも詳しい。そこをおろそかにすると味が落ちて臭みが残るそうで。

著者は自分が食べる分だけを獲るそうで、それも一つのポリシー。真っ正直な生き方に共感しました。文章力も基礎学力があればこそ。

 

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夏籠りの日には

2019-08-02 | 随想

広島空港横 フォレストパークで。2017年8月。


あの夏、この夏のいろいろなことを思い出す。

六年生の夏休み、学校から三人、NHKラジオの公開録音に参加することになり、大変だった。そのことはぼんやりと憶えている。

それは香川県内の各学校から児童が集まって三日間くらい合宿し、最後に公開で歌ったり、楽器演奏したりするもの。確か「声くらべ腕くらべ子供音楽会」というタイトルだった。

当時はいい宿泊施設もなく、津田という海水浴場至近の小学校の教室に蚊帳を張って寝ていた。午前中は練習して、午後から一時間くらい海で泳ぎ、あとは何してたかなあ~細かいことは全部忘れた。

手足を動かすのが昔からダメな私が、ハーモニカの演奏する羽目になったのにどういういきさつがあったのか、全然思い出せない。

夏休みに二週間ほど、「松原遠く~」のあの小学唱歌の演奏を、当時、非常勤で放課後の音楽クラブに教えに来られていた先生のお宅へ三人で習いに行くのです。お礼は…学校から出したのかもしれないけど、少なくとも私たちは出していない。

電車の駅で待ち合わせて、二駅乗った瓦町で降りて、裏手のしもた屋風のお宅が先生の家。借家だったのかもしれない。座敷で、開け放して、小さな庭があって。毎日貰うお小遣いで、アインキャンデーやジュースを帰りに買うのが楽しみだった。ジュースは黄色いミルクセーキなど。

合宿の最終日は学校の体育館での録音。私は元々上手じゃないし、クラスも違う三人、結局銀賞だったかな。

その時知り合った小豆島や塩之江の子とは、他に通信手段のない昔だから文通したりしていた。子供だから尋ねていくこともなく、やがて付き合いも途絶えたけど。

楽しかったのかなあ~、きっと楽しかったのだと思うけど、楽器演奏はけっこうプレッシャーだった。それに私は場所替わると昔から眠れなくて、夜、友達と教室出ていたら先生にとても叱られた記憶がある。そりゃそうですよね。でも子供だからその意味も分からず。

夏のレジャーと言えば海水浴、他にはほとんど何もない60年も前の夏を、最近ふと思い出した。

夏になれば、久しぶりに縁が遠くなった人と会える気がする。きっとそれは、たくさんの夏の記憶がそうさせるから。

子供のころ、お盆に近所の墓地へ行くと、都会へ行った人、嫁に行った人に思いがけずに会ったり、暗がりで親が懐かしい人に声かけられたりして、今思えば、自分のルーツはそこらへんかなと気が付く次第。

年上の人達はだいぶあちらへ行ったけれど、私もいずれはそちらに参ります。あちらとこちら、若い時よりはうんと近くなっている気がする。ふとした弾みによみがえることがある。

9月になって、もう取り返しのつかないくらい季節が過ぎてしまったと気がつくまで、眠れない夜などに、しばらくは気持ちがあちらこちらへと浮遊している。これも夏の楽しみ。

フォレストパークで。2017年8月。

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「小松とうさちゃん」 絲山秋子

2019-08-01 | 読書

久しぶりにこの作家の小説読みました。期待にたがわず、とても面白く読みました。

小松は大学の非常勤講師、うさちゃんはネットゲームをするときのハンドルルームで、本名は宇佐川。どちらも独身の男性で居酒屋でたまたま知り合った関係。

小松は新幹線の中でスマホを拾い、それが縁で同い年の女性と知り合う。彼女は離婚して独り者、昔は自動車学校の指導員、今は家族や友人の振りして入院患者に見舞いに行く、派遣業のように仕事をしている。

小松と女性の関係は一進一退、女性は歯がゆい。昔の教え子だった派遣業の経営者は、退院した人も対象に仕事を増やし、女性は新しいスタッフの指導役を任されてなかなか辞めさせてもらえない。

宇佐川は仕事に忙しいサラリーマン、しかしネットゲームの世界では一つの軍団の主宰者、軍をまとめて戦術を練り、自らも闘い、大変そうである。

この本に表現される人間関係、リアルもネット上も等量にリアル。また言い換えれば、ポスドクの寄る辺ない生活、家族や友人の振りをするのが収入になる暮らしは、今の時代の人の希薄な生き方をよく表していると思う。ここには家族は出てこない。

がしかし、最後の落ちはいろいろなものが腑に落ちていくと言う結末。

読んでカタルシスがあった。

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高校の頃、一時不登校で

2019-08-01 | 随想

しばらく行ってなくて、でも行かなければと思って、やっと行く気になった時には教科書をどこに入れたか、どのクラスだったのか、教室のどの席だったのかも分からなくなっていて、焦っている私。

元々数学が不得意なのに、ますます分からなくなっているだろうなあ…と焦っている私、という夢を見ました。

暑くて寝苦しく、最近、真夜中から明け方に夢をよく見ます。

県人会で沖縄旅行して、いよいよバスで帰るとき、トイレへ行って戻ってくると、バスは出た後。あんなにたくさん人のいた空港は一人しか見えません。荷物もスマホもバスの中。焦る私。電話番号は実家のしか憶えていない。実家に電話しても、さてどうもならないと焦っている。

高校の時、物理と数学が全然だめで、その気分がいまだに残っているらしい。しかし、この年で勉強に悩んでいるなんて、成績の呪縛解き難し。

沖縄はね、バスで行ったりはしないでしょう。実を言うとあまり行きたくなかった。暑いし、暑いとちょっとしたことでお互いイライラして、ケンカになっても逃げ場がないし。

今ブログで少しずつ写真整理しながら、暑くてハードな日々を思い出しています。


その沖縄、昨日の朝日新聞関西版(広島までは大阪製作、山口県は小倉の九州本社から来る)に秋、三泊四日、往復飛行機、レンタカー乗り放題、一室二人から四人まで同料金で3万円というツアーを見ました。お買い得価格でおなじみのあの旅行社です。

ホテルだって立派なリゾートホテル。ロイヤルホテル沖縄残波岬。どこへ行くのも便利な場所です。

https://www.daiwaresort.jp/okinawa/index.html

広告みて、ビックリ通り越してショックでした。一泊一人2万円くらいからを、いったい原価はいくらで仕入れるのでしょう。

沖縄飛行機往復、ホテル三泊(バイキングは一部オプションとは言え)、レンタカー付で3万円って!!!

これなら関西まで新幹線で行っても先日の旅行よりうんと安い。ホテルをあちこち移動しないのも楽。うーーーん、次に子供たちと行くならここかな。時計を30年以上逆戻りさせて、行ってみたい

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