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比治山、緑陰歩き

2020-05-13 | お出かけ

さて、真面目に自粛生活していたらさすがに飽きて、きょうは自転車で比治山まで行きました。

我が家からは片道20分というところでしょうか。

元は広島湾に浮かぶ低い島、南麓には石器時代の貝塚も発見されましたが、長い間の堆積と近世以降の新田開発で今は街中の貴重な緑地になっています。

福島正則が広島へ来た頃は、海岸線は今の平和大通りのあたり、その延長線上の比治山トンネル手前に自転車停めて、あとは歩いて上ります。

電車通りから、比治山トンネルの一本南の道路を上がり、トンネル上のフェンス沿いに自転車停めてあとは歩きます。

いい感じの石段。初めてのルートです。ワクワク。

小さな祠にビワ。草刈りする年配男性。

石垣に花が・・・

どこかのプランターから進出?

自然にはないきれいな色。

石垣に適応してたくましく仲間を増やしています。

クサギ。

名前の通り、葉に独特の臭みがあります。

昔一緒に山登りした友達から、クサギのおしたし入りおにぎりもらったことが。

売っている野菜にはない独特の風味。

いざとなったら、野菜買わなくてもビタミン補給できそうです。

頭上、エゴノキ。近年は庭木にもされますが、もともとは山に自生。

でもこんな身近にあるって知らなかった。

花がないと、何の木かな~くらいで見逃しますよね。

こんにちは。咲いててくれてありがとう~

五月の白い花。街路樹にもされますが、実は有毒。ご用心。

遠くにスイカズラが。五月の白い花。

イヌビワなどを見ながら・・・

たどり着いたのは広い墓地でした。電車通りからは見えないので、気が付きませんでした。上の道路からも木に隠れてあまり見えない。

向こうはNHKの電波塔。とりあえず墓地の奥まで行き、あとは山の斜面よじ登ると山道に出る。さらに行くと立ち入り禁止のガードがあり、そこを禁止側から通って車道復帰。


放射能影響研究所(旧ABCC)方向へ行ってみます。

展望台手前に、この写真だと右手に句碑があります。

うわおう、カラスが飛んでた。

正岡子規は、日露戦争の従軍記者として広島から出航。

船の出るまでしばらく滞在し、古郷松山へも帰ったという。

季節は春だったのでしょう。

今はマンション、ビル多数。

高いのは広島大学東千田キャンパスの跡地に建つタワマン。昔の教育学部からグラウンドの付近。

今は二部と放送大学残してマンションや商業施設などがあります。

鶯の口のさきなり三万棟。剽窃深謝。

クサイチゴ。落葉小低木。4月に白い花。5月に結実。

2粒いただきました。フレッシュでおいしいです。

自然には有毒な実もありますが、数は少ないのでそれさえ憶えていれば、あとは口にして大丈夫。だと思う。

いずれもけれん味のない素朴な味わい。

ウェッジウッドのワイルドストロベリーシリーズはこれがモチーフではないかと。。。。

コバンソウ。

一回り小さなヒメコバンソウというのもありますが、こちら大型。

明治以降、観賞用として輸入され、各地にみられましたが、今は数が少なくなっています。

あぜ道はコンクリートに、日当たりのいい自然の原っぱも激減。雑草とひとくくりにされる植物には生きにくい世の中のようです。

三男が小学一年生の今頃、ヒメコバンソウをひと握り、学校帰りに持って帰った。

「お母さんへのお土産~♪」

子育てなんてもう遠い景色だけど、何かをきっかけに蘇る記憶。

まあそれが子育てのご褒美の一つでしょうか。

今は在宅勤務らしいけど、飽きて車でうろうろしてないかい?

トキワツユクサ。

青い花のツユクサは葉が冬には枯れるけれど、こちらは葉が青いままで冬越しする。

こちらも明治期に日本に来てのではなかったかしら←うろ覚え。

たぶんおしたしにできるはず。いざとなったらこちらもいただきましょう。

放影研のかまぼこ型の建物。

建築当時のを塗り替えつつ使っているのではないかと思う。

独特の形は地震に備えてとのことです。

被爆者の医学的データを集めています。長崎にもあるらしいけど、そちらはどんな形の建物でしょうか。

陸軍墓地へ行くころにはデジカメのバッテリー切れ。残念。

対馬丸の慰霊碑(船舶何とか隊と一緒に)見てきました。

場所は一番奥、左手です。国内にいくつかある一番北の慰霊碑だとか。

たくさんの戦没者に心の中で手を合わせて昼過ぎに帰宅。

いい運動になりました。

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機織り、完成

2020-05-12 | 機織り

2m掛けてそろそろ終わりです。

グラデーションの刺繍糸で織ってみました。

こちら単色で。

織るうちに幅が短くなり、難しかったです。

幅出しの道具、何かいいのを探してみたいのですが、織りの道具の常として高価なので、代わりに何か作ろうかなと思案中。

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はなのわ2020で庭と花を見る

2020-05-11 | お出かけ

いいお天気になりました。

41日ぶりに電車に乗って出かけます。

旧広島市民球場跡地で24日まで開催中。入場無料。

花を植えています。むこうは原爆ドームなど。

赤い花いろいろ。

矢車草と・・・

黄色い花。

バラいろいろ。


奥は造園業者の展示コーナー。

いろいろな庭のアイデア。

パーゴラ。

野菜を作る庭。

水のある庭。

楽しい庭。

小物いろいろ。

空間を生かして。


北広島町。

三段峡。

壬生の花田植え。

一人は本当の人間。手前は人形。

広島カープ、衣笠選手。

原爆ドーム。

大鳥居。

人は少なめ。いいお天気で暑かったです。


久しぶりに長時間外出したら、日差しはきついし、まぶしいしで、疲れましたが、これからは人の少ない場所へ出かけて、体力維持に努めたいものです。

 

 

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ミュンヘン、11月の雨の夜に

2020-05-10 | ドイツ旅行

https://www.youtube.com/watch?v=fb5AeNHEkN4

雨の夜、アラブ系の人が演奏していました。

11月のドイツは日本の1月くらいの寒さ。日が暮れるのも早い。

ミュンヘン/2012年11月

秋も風情あるけど、ヨーロッパ観光はやはり春がいいようで。

いつかまた、ミュンヘンの街角に立ちたいもの。

 

 

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波型シャトルは難しい

2020-05-09 | 機織り

糸の引き加減が難しく、ゆるんだり、きつかったり・・・

超下手な人が織ったみたい。柄も思い付きで作ったけど、間に普通の平織り入れて織り目を整えたらいいのかも。

とりあえず一枚目はもう終わるので、二枚目、がん張ります。

友達にラインしてシャトル自慢したのに、この出来上がりでは・・・・

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2020/05/09 ローマ字が届く

2020-05-09 | 日記

小学一年生の書くローマ字。息子より添付つきメールあり。

息子は論文が雑誌に載ったと知らせてきたけど、日本語?英語?
いずれにせよ、母には分かるはずもなく。
最近、気分が沈むことが多いので、ここに書いて自分を元気に。
ばばバカ、親バカ、ごめんなさい。

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いつかまたきっと・・・

2020-05-09 | 随想

今は不要不急の国内旅行もご法度、私のように一人でうろうろするのが好きな人間にはつらいです。

いつかまた遠く行ける日まで、せめて昔の写真見て楽しかったこと、思い出しましょう。

旅行は基本的に一人。海外旅行はツアー参加するけど、女性の一人参加の多いこと。すぐに仲良くしてもらえます。

お互いのことは詮索しないけど、それとなく夫は仕事と言っておくと、お互いの立ち位置分かり話がスムーズ、これも旅の知恵であります。

あの旅、この旅、皆さんお世話になりました。

仲良くなった人数人で、帰りの飛行機、全く寝ずにずっと話していたことも。

ああ、いつかまたきっと。あまり年取らないうちに。


写真は順不同。

2014年4月1日。

アビニョン駅でTGVの列車を待つ。

フランスはこの日から夏時間。

夜が明けたばかり。

孫にプロバンス風エプロンドレス、モンサンミッシェル涎掛け買う。

涎掛けの人は入学式の翌週からずっと休校中。

早く学校へ行けるといいね。

すみません。いきなり日本の写真で。

2002年4月。京都市川端署で、道路に逃げ出した子豚を近くの大学の学生が受け取りに来たそうで。

三男が在学中で、つい画像を保管してしまった。

音信不通気味の息子の消息は、サークルのホームページで確認。

交差点から入りやすい門を付けるのに反対した学生が、その場所を占拠して喫茶店開き、その後ろにプレハブ小屋建てて貸し出していたのもこのころ。大学当局は国有財産の不法占拠として直ちに告発せず、落としどころを探る。私自身はいい解決法と思いましたが、異論のある方もいるでしょう。

息子もある時期、大学の中で生活していた模様。その心は、朝寝坊して一時限の講義に遅刻するのを防ぐためだとか。

その理屈で言うなら、今は会社で寝泊まりすれば~と思う母。今は在宅勤務らしいけど。。。。

それにしても動物が逃げ出す話が何で私は好きなのかな。

小さいころ家にいたのは犬、鶏、山羊、羊、乳牛、役牛、豚。家畜が基本的に好きです。

羊の毛は業者さんが来て刈り取り、後で紳士服地や毛糸になって戻ってきた。


話がそれました。ヨーロッパでした。

ドイツのトリア―はローマ教皇の大司教区がおかれた町。

ローマ時代の城門は一時期教会になっていたそうで、左右不対象。

2015年4月。

マルクスの育った家がこの近くの通りに面してあり、この時は1ユーロショップに。

日本で言うと百均?

ドイツ、コブレンツ。2015年4月。

向こうのモーゼル川がライン川に合流する場所。

角に建つ巨大なドイツ皇帝の騎馬像は、第二次大戦中に連合国軍に破壊されて、近年再建されたそうです。

ニースのホテル。2014年4月。

ドイツ、ベルンカステルクールでお土産買う。

持って遊ぶこの時は3歳。

飛行機の窓から。

そばにいた若い女性に、あれは海?と聞くと、イエス、シー、ポーラシー、ビューティフルと教えてもらった。

2015年4月。氷の漂う北極海。

ドイツの良き眺め。

ザスバッハバルデン。2015年4月。

ブドウ畑のたんぽぽ、教会。春の花。

あの教会の前まで行きたいけれど、集合時間が気になって行けず。

と言うか、一人で、すでにやや道が分からなくなっているこの心細さ。

これもまた旅の味わい。

フランス、ゴルドの丘の上から見下ろすプロバンスの農村。

フランスの良き眺め。2014年4月。

ロシア上空を飛ぶ。2015年4月。

川は氷結、陸地は雪解けが始まっている。


いつかまたきっと。あまり年取らないうちに。

遠くは、飛行機が長いのがつらい。翌日は体が現地の時間と気候になれずにぼんやりしている。

一日目の午前中は、たいてい旧市街やお城の見学。石のお城は寒くて寒くて・・・

それでもまた行きたくなるのはなぜ?

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楽しい機織り・・・波型のシャトル

2020-05-08 | 機織り

機織り二日目。

綜絖のろくろをなるだけ前に。

作業しやすくするため。

クマクラの織り機は折りたためるX機。

綾棒の固定はゴムで。端は障子の桟に載せておく。

綜絖終わり。

4321で通す。

148本のつもりが160本整経していたので、両端は補強に3本入れたのが3回。

60/10cmの筬で2本取りなので、(160-6)÷2÷6=12.333..で掛幅は約12cm,出来上がりは11cmくらいでしょうか。

狭ッ!!

狭いとかえってやりにくいけど、今回は波型シャトルになれるためと、柱に掛けるタペストリーのつもりで。

午後からやっと開始。

生成りの糸はイサカ絹美堂。群馬県伊勢崎市。

綿、20番手3本撚り。ざっくりして扱いやすい。

緯糸は2本取りで小管に巻きました。

色糸はいずれも生川商店。大阪市。

綿にシルケット加工。12番手2本撚り。滑りがよくて、シックな色。

こちらは、緯糸は3本取りにする予定です。

平織りですが、面白い織り地になりそうです。

糸を入れる→踏み替える→波型シャトルを入れて手前に引き、糸を抑える→シャトルを抜く。

模様を斜めにずらしたり、ずっと同じ場所ばかり抑えたりといろいろに遊べそうです。

スウェーデンは私の早とちり。

スウェーデンの織り機を扱うお店だけど、これはニュージーランド製。

50センチ、70センチもあるそうですが、これは40センチです。

慣れたら長いのも欲しい~


新型肺炎にかかるよりも、失職したり、収入が減る。そっちの方が影響が大きいって、最近言われるようになりましたね。

支援の仕方はそれぞれの国の事情があると思うけど、政府には国庫が空っぽになってもいいくらいの気持ちで、その都度一番必要なところに支援していただきたいもの。

私たちの世代は子育ても終わり、年金もらいながらあとは静かにフェイドアウトしていくだけですが、これから社会に出る人、家庭を持って仕事と子育てに頑張っている人が安心できるような施策をぜひお願いしたいものです。

とはいえ、我が業界も、売り上げは昨年から激減している話しか聞こえてこない。

旅行なんていつ行けるようになるのか。でもまあ、行かなければそれで済んでいくのも旅行。しばらくは昔の旅行を振り返って楽しみましょう。

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写真整理2004

2020-05-07 | 日記

2004年ころ

デジカメの画素数少なく、メディアはすぐにいっぱいに。それでも面白くて街歩き。楽しかった~

稲荷橋近くの社で遊ぶ野良猫。

近所の鮮魚店の店先で。

猟犬になる犬種だそうですが、おとなしくいい子しています。

広島湾の夕焼け。輝かしい日記の一ページ目。2004/5/14

クリスマスカードのセット、380円でセールしていたので買った。

少しずつ使ったと思う。

近所のホテル、ケーキバイキングによく行った。

一人で、友達と。家族と。

旅行先の某窯元で。某所に納入したディナー皿。この他に桃もあった。

紋をデザインにしているのが素晴らしい技。

二回目に入ったら資料館は閉鎖していた。なぜ?

7月ころ、母がいろいろ送ってくれた。

梅干し、自家栽培のチョロギの梅酢漬け・・・とここまで書いて、条件反射で口の中が酸っぱくなった。この勢いでご飯一膳くらい食べられるかも。

右下は母特製のおかずみそ。その名も金山寺。

実家地方の盆灯篭。

お墓に支柱建てて横にも竹を渡してつるす。

冬には手打ちそばと郷土料理、てっぱいを送ってくれていた。

実家でもらった水仙。

よく関西を一人で旅行していた。

奈良県大宇陀町は吉野葛で栄えた、伊勢街道沿いの古い街。

医院もこんな感じ。

この街には、天然の葛から昔ながらの製法で葛粉を作る森野吉野葛本舗があり。

店の裏山が江戸時代から続く薬草園になっていて、珍しい山野草たくさん。

誰もいなくて、一人でじっくり見せていただきました。

吉野葛の製造。

楕円形の沈殿槽の最後の部分で、たまった葛粉を回収。

これだけの葛を作るのに、いったい何本の葛が要ることやら。気が遠くなりそう。

普通の干菓子は砂糖を米粉で固めたもの、こちらの干菓子は砂糖を葛粉で固める。

とても甘い。

川の街広島。夏には街中でこんな光景が見られます。

これは写真をデジカメで撮ったもの。

2000年3月、フィレンツェのウフィツィ美術館通路から中庭を見下ろす。

木のバッグ買った。

シナとつまみはイスノキ。関東から来た作家さんの展示会で。

結構な値段だったけど、今はもっぱらインテリアに。

後ろ、広島厚生年金会館。笑っているみたいなオブジェ。

1998年ころの夏。裏口に来た野生の狸。

深夜、玄関わきのスイレン鉢の水を飲みに来ていた。

子供たちがポン吉と名前つけて毎晩待っていたけれど、10日後には来なくなった。

ポン吉~元気か~

マツタケが買えないので自力で作る。

材料はティッシュ。ガス火であぶって。

母に送ると一瞬マツタケと勘違いしたそうで。

アンティーク好きの友達の家で。

こちら歓迎のディスプレイ。

アンティークな器たち。

ベランダの多肉植物など。

とってもおしゃれなH田さん、ご主人の定年後九州に帰られたけど、お元気でしょうか。

マンションのこの部屋には今、息子さんが住んでいます。

六月ころ、岸壁で釣りをする人たち。コイワシをつっています。

本通りにあったローラアシュレイが店じまいするとき、備品を売り出していた。

樫の額縁、古い写真入りともう一つ買った。

アンティークが好きだというと、マントルピースの枠を勧められたけど、それはお断りした。

庄原の熊野神社から竜王山に登る。2時間くらいかかる。

頂上は車道があるので、リモコンの飛行機飛ばす人がたくさん集まっていた。

歩いて下から登るのは少数派。

高原の夏。

広島にもかつてはミクニがあった。

お皿はエルメス。同業者の集まりで。

その後行く機会もなく、そのうち店はなくなった。

残念。

2004年8月。元安川で。

小説「黒い雨」では主人公は旭町の網本さんの家に寄寓、歩いて宇品の糧秣廠に通うという設定。

我が家の隣のアパートの家主さんが、旭町の網本さんだったので、問い合わせると、親せきの家だという。

2001年には重松静馬(黒い雨のモデル)の住んでいたむくり屋根の離れも残っていたが、道路の拡幅で2004年には取り壊されていた。写真は離れの跡。

離れは「親父が宮大工に建てさせた頑丈な建物」で、原爆では野木がちょっと傷んだくらい、我が家も学徒動員で一人亡くなった。とのお話でした。

左手は鳩小屋。生き物を飼うのが好きなお宅らしく、小説にも鯉をたくさん買っていた話がある。

この写真から16年、道路は徐々に拡幅中です。御幸橋から東へまっすぐ行き、この先で2号線と合流予定。

友達からもらった手提げ袋。

汚れて捨てたけど、皮の持ち手は取っておけばよかった。

今はお付き合いしてないけど、お元気でしょうか。

長野県飯田市ののんび荘。

元は企業の保養所。いいお宿でした。


長々とお付き合い、ありがとうございました。

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機織り、粗筬から千巻取り付けまで

2020-05-07 | 機織り

久しぶりの機織りです。

暑くなく、寒くなく、何をするにもいい季節、頑張りましょう。

糸を切って整経台(短いので、卓上機を裏返しスティック立てて代用)から外します。

織り糸の幅出しをします。

綾に綾棒を入れる。

小さなテーブルに座布団、その上にタオル。卓上機の筬を渡して糸を通します。

糸の固定は姑様からもらった漬物用重し。

向こうの端を椅子の脚に結び、織り機から外した千巻箱に手前の糸を結びます。

機紙を挟み、糸をたるませないように引きながら巻き、向こうへ進みます。

最後に綾返しをします。

糸の綾目を崩さずに、粗筬を抜くのが目的です。

粗筬と一本目の綾棒の間に物差しを差し入れ、空間を広げます。

粗筬の右にできた空間に綾棒を移します。

続いて二本目の綾棒を粗筬に近づけ、物差しを差し入れて空間を広げ、綾目を粗筬の左側へ移します。

できた空間に二本目の綾棒を移し、粗筬を右へ寄せます。

さらに糸を引きながら巻き、最後に粗筬を外して糸の端を結びます。

綾棒が落ちないように注意。

織り機に持っていくまでのことですが、念のため、千巻箱に綾棒を結んで置きます。

千巻箱に芯を入れて織り機に固定。

糸を引き出して綜絖の準備。

次はいつできるかな~。

各行程をいい加減にすると、結局は後で辻褄合わなくなり、修復するのに却って手間がかかる。

一つ一つ、丁寧に。

これは機織りから学んだところです。


いまだに原稿読んでいる。

もう怒りしかありません。

目が死んでいる。必死の気持ちが全く感じられません。

で、悪知恵だけは働く。どさくさに紛れて、国民の権利を侵害する憲法改正を企んでいる。

感染が拡大したのは初動の遅れから。オリンピックにこだわって、感染者を少なく見せかけるための検査の抑制。

普通、熱が出て4日も家にいませんよね。それを新型コロナかもしれない不安抱えて我慢しろなんて、ほかの国はこんなことしてない筈。日本は一応先進国って私は思っていたけど、思い違いだったようで。

初めから、医療のことは現場に任せ、民間で検査、患者の振り分け、治療をさせればよかったのではと思う。

検査を徹底し、無症状者、軽症者、発症者と振り分けて治療。医療資源と人員を集中的に投下する。そのための政治です。

マスクはもう配るの止めたらどうでしょう。ゴミの着いたマスクは廃棄。せめて郵送代だけでも節約してほかのことに回してほしい。

 

 

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機織り再開

2020-05-07 | 機織り

やれやれ、半年ぶりの機織りです。

今回は変形の板杼で、平織りの予定。

どうなることやら。糸は改めて買わず、手持ちの糸で。緯糸は三本くらいまとめて織る。

夜、とりあえず整経完成。

メモ、60/10cmの筬を使用。

四色を使い経糸2本取り。

描け幅12cmで148本×2m整経。50cmのタペストリー2枚の予定。

短いので卓上機を裏返して。

黄色いところが綾。明日外して粗筬に掛ける。千巻までできたらいいけど。

半年ぶりで忘れているかも・・・

とりあえず頑張ります。もうこうなったら年齢との戦いです。

 

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写真整理まだまだ

2020-05-06 | 日記

2005年、近くの山へ行くと尋ね猫の張り紙が。

だみ声、のそのそ歩く、はぶてた表情。

はぶてたとは広島弁でふてくされたという意味です。

あれから15年、ギンちゃんは無事家に帰れたでしょうか。

一時期、どこへでも自転車で行き、写真撮っていた。

こちら基町クレドのクリスマスツリー前。

デパート、ホテルなどあるので警備の方に注意される前に即撤収。

まだまだ若かった私。

これは呉道路のランプができるので神社が撤去された跡。

小さな社は熊野神社、とても大きなウバメガシもやがて取り払われてしまいました。

 

年末の夜回りは、我が地区ではずっと続いています。

冬の澄んだ空気に拍子木の音が季節感いっぱい。

お断りして写真撮らせていただきました。

このころから一人で尾道へ遊びに行くようになった。

海に至近の尾道グリーンホテルで。

尾道グリーンホテルのレストランで。

真似して自分の家で。

造花は味気なくて、やがて飽きて捨てた。

木箱は近所の八百屋の息子さんが趣味で作って販売。

カントリー雑貨がはやっていたころ。

まだ家のどこかにあると思う。

このころはものが少なくて家の中すっきり。

反省。

近所の家具屋さんが廃業するので、ディスプレイの小物もらってきました。

でも結局趣味に合わないので人に上げたり処分した。

ヨン様靴下。

ヨン様って・・・?

夏みかん入れてみる。

入れる場所で顔が変わる。

ヨン様とヨン様母。

2003年ころの、東千田町、平野町付近の地図。

下の方の四角なのはプール。

原爆投下数日後、米軍が写した同じ場所。

プールがはっきりわかる。

小説「黒い雨」では、主人公閑馬重松が、後で取りに来るつもりで鍋を沈めて避難しますが、原爆後の猛火でプールの水は午後には干上がっていたとのこと。

鍋も回収はできなかったことでしょう。

プールは広島高等師範→広島大学→千田小学校と移管され、2003年ころには撤去されました。

旧土地台帳は広島法務局で閲覧。ネットに上げる許可もいただいています。

「黒い雨」の向かいの野津さんを、この中の左から二行目の野津浩爾さんと仮定すると、まるでもつれた糸がほどけるように、小説のモデルになった重松静馬の当時の家の場所が分かったのでした。

今は千田小学校の校庭南端になっています。

戦後の区画整理で道路も付け替わり、特定するのはなかなか困難でした。

友達が作ってくれたキーケース、当時被爆証言集作っていて、費用調達のためのバザーで売りました。

この前後10年間くらい、原爆についていろいろ勉強する機会がありました。

名古屋のノリタケの森で買ったキャンドル立て。

絵付けを自分でしました。

何でも写真撮って面白がる私。

公園でノラ豚発見。

誰かが育ちすぎたミニ豚を捨てたらしい。

警察で保護された後、動物好きの県北の人が引き取っていきました。

「うちで育ててやらんといけんじゃろう」とやさしい男性でした。

東署ではトンちゃんと呼ばれていたそうです。

トンちゃん、その後どうしているでしょうか。

由布岳頂上から湯布院の街を見下ろす。

高度感いっぱい。

湯布院のカフェで一休み。

大昔、湯布院は別府の奥座敷で寂しいところでしたが、このころはブーム。

今は開けすぎて、黒川もにぎやかになって、どこかひなびたところはないでしょうか。

四国88番札所のうち、我拝師山出釈迦寺奥の院。

残雪少し。

今からあの後ろの山に登ります。

弘法大師が身投げしたらお釈迦様が現れて受け止めてくれたそうです。

ほぼ直角の岩肌にハーケン打ち込んでいて、それをつかんで上ります。

私が落ちてもお釈迦様現れないと思うので、緊張しました。

頂上で、またあそこ通るの嫌、下りたくないと言ったら、じゃずっとここにおりんさいと夫。

そうもいかないので下りてきて今日の私があります。

国の登録有形文化財、京都大学楽友会館のたたずまいを破壊する息子の車。

修理跡多数。

ここで落研の寄席があって見に行ったのでした。

京都市文化会館の催し物で。

十二単など、いろいろな装束来て写真撮れるイベントでした。

見ていただいてありがとうございました。

昔を振り返るばかりじゃなくて、そろそろ今のこともしなければ。。。。

 

 

 

 

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ウッドデッキ作りました

2020-05-06 | 日記

昨日塗装。

夫がするのかと思ったら道具出してきて、私がする羽目に。

午後から二度塗り、結構疲れた。

今朝は組み立て。

できました。いい感じ。

脚は舅様が残していた材木で。

多分、40年以上前に建てたこの家の端材ではないかと思う。

昔の人の例にもれず、何でも取って置く人でした。

やっと使えてよかった・・・と夫がしみじみ。

材料費、座面の5本の木材と塗料だけで5,000円以内で済みました。

わおう~、掃き出し口に押し付けたら足が取れました。

釘が弱かったようです。通しの長い釘ないし・・・と夫が言うので、鎹かすがいはどうかと提案しましたが、どうするのか・・・

余った塗料で椅子、テーブル塗りました。

コロナ収まるまで、外出控えて狭い庭であれこれして楽しみます。

連休最終日、さすがに目先替えたくて近所のお店で焼き肉弁当買いました。

いただきま~す。

おいしくいただきました。

これなら急な来客にも、お昼なら間に合いそうです。

いろいろ工夫してめげずに過ごしたいものです。

 

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写真整理2005~2006年 順不同

2020-05-06 | 日記

昨日、息子から子供がストレイスたまって困るので・・・と言う相談。

公園で待ち合わせて、一時間くらい遊ぶならいいと言うと、じゃいいって。

役に立てずに残念だけど、落ち着いたらまたみんなで大いに遊びたいもの。

今年の連休くらい地味なのも初めて。長い長いお正月休みよりまだ世の中閑散。

百年に一度のパンデミック。

祖父の最初のお嫁さん、二人の子供残してスペイン風邪で死亡、そのあと私の祖母が嫁に来て父を産んだって聞いている。


何の話?

とりあえず日記から取り出した写真整理。順不同。


京都大学、いろいろ。

京都大学農学部正門。文化財とのこと。

京都大学学友会館。大正14年建築。こちらも文化財。

2005年ころは素泊まりで宿泊もできた。あとは貸会議場とか。

当時、建築科助教授の森田慶一設計。教授に仕上げを頼まれた後、ほとんど書き直したとどこかで読んだ。当時20代ではなかったかしら。

当時はとても斬新、いえ、今でも軽快でおしゃれ。

2016年スペインへ行き、ロンダの闘牛場がよく似ていたので驚いた記憶がある。


2005年秋。一昨日行った深入山に近い臥龍山。頂上直下に水が出る。

浜田の女子大生の事件の後は行ってない。


変な息子の変なTシャツ

南京玉すだれ。お正月に隣のおばあちゃんに見せる。

学部の卒業式。このあとまだ二年在学したので、まだまだ仕送りは続いたのでありました。


大分県、小鹿田焼の窯元へ行く。2005年ころ。

蕎麦屋さんで。器がすべて小鹿田焼。

唐臼。水の重さで陶土を砕く。


駅前福屋の入るビル、ジュンク堂の窓辺で。

今は休店中。

工兵橋。広島市内にただ一つのつり橋。この先3キロくらい下流に広島駅があります。

川と緑の癒される眺め。

実家の梅

2005年12月。母の料理と、そのあと一緒に倉敷へ行った。

駅前にチボリ公園があり、母とイルミネーション見に行ったんだった。

メリーゴーランド。

今年の冬は、各地のイルミネーションが見られるといいけど。

この時はとてもきれいで喜んでもらえました。

母は足が悪くて歩きにくかったので、車椅子借りましたがどうしても乗りたがらず、荷物載せて押し、時々椅子代わりに座らせました。

年寄りだからこそプライドがあるんですね。当時78歳くらい。自転車なら乗れると自慢していたけど、自転車の貸し出しはありません。

瀬戸大橋の上から。タンカー?

高速道路から見る屋島と八栗。

香川県の友達がパン作ってお店に卸していた。配達について行く。


脚が7本のアリ?

2006年お正月、家の中にいるのを長男が見つけた。

これは何と、アリではなくてクモだとの説明。前の足は触覚に見せているそうで、向こう側は取れているとのこと。

言われてみれば、足がなんかクモっぽい。

アリに見せるのは相手に警戒させるため?

尾道で。肴はあぶったタコでいい~

まとまりなくて申し訳ありません。

今回はこのあたりで。

うちわネタ、見ていただいてありがとうございました。

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深入山ふもとの木と花

2020-05-05 | 山歩き

深入山ふもとを巡る旧国道沿いは、陽が当たるところに珍しい植物がいろいろありました。

キランソウ。いこいの村の石垣に。

ジュウニヒトエは立ち上がる。こちらは石垣の隙間などから芽を出して広がる。

エリマキツチグリ。ホコリタケの仲間。道端の枯葉の上に。

ショウジョウバカマ

イカリソウ。

イワウチワ。

ガマズミ

ドウダンツツジ。よく庭木にされるが、山中に自生した木の花に出会うのは多分初めて。

ウスギヨウラク

オオカメノキ

ユズリハ

ツクシの学校。下の方はムラサキサギゴケ?

ムラサキケマン

ヒメオドリコソウ


いこいの村まで戻る途中、国道沿いにシラカバが・・・

他の山で見たことないので観光用に植えたものかもしれません。

夫は元から生えていると言い張りますが。。。。


久しぶりに山野草を見て、面白かったです。

里山にはネコヤナギなども残っていました。

季節を替えて行けば、また珍しいものに出会うかもしれません。

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