経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【日本庭園を知って楽しむ】5-07 自然風景式庭園 荒磯(ありそ)と州浜(すはま) 

2025-02-14 17:41:27 | 【カシャリ!一人旅】 日本庭園を知る

  ■【日本庭園を知って楽しむ】5-07 自然風景式庭園 荒磯(ありそ)と州浜(すはま)     

 

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 *

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 *

■■5 庭園を見る視点・要素 自然風景式庭園
 庭園を鑑賞するにあたり、庭園を構成するものが、どの様な意味合いを持つのかを知っているのと、そうでないのとでは、鑑賞の度合いが大きく異なります。
 ここでは、自然風景式庭園を構成するものについて、その鑑賞のための基本的な知識を持っておきたいと考えます。

5-07 荒磯(ありそ)と州浜(すはま) 
 日本庭園では自然の景を写すことが重要なテーマで、既述の通り、池泉は海の風景を理想として、それを模しています。作庭記には、池を海のようにするには、まず荒磯のように石を立てるべきであると記述されています。
 浄土式庭園を見ますと毛越寺の大泉池に海辺の景色が写されているのがよく知られています。書院造系庭園としては、桂離宮庭園の松琴亭前に荒磯に似せた石組みが見られます。
 荒磯と共に、海に見立てるためには「州浜(すはま、洲浜とも表記する)」をはずせません。日本各地の海や海岸線を模した池泉がつくられました。その際に、砂浜を表すために用いた手法が洲浜です。玉石をなだらかに敷き詰め、潮が引いて現れた浜を模しています。毛越寺の州浜は、荒磯と共によく知られています。
 「桂離宮」では、州浜の岬がつくられ、先端に「岬灯籠」が立てられています。「仙洞御所(せんとうごしょ)」でも、繊細ながらも、伸びやかな州浜が見られます。

 



                                

桂離宮 荒磯・洲浜 2000



(【Wikipedia】、宮元健次氏、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 ■ カシャリ! ひとり旅



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■【日本庭園を知って楽しむ】5-06自然風景式庭園 船着(き) (ふなつき)

2025-02-14 17:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 日本庭園を知る

  ■【日本庭園を知って楽しむ】5-06自然風景式庭園 船着(き) (ふなつき) 

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 *

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 *

■■5 庭園を見る視点・要素 自然風景式庭園
 庭園を鑑賞するにあたり、庭園を構成するものが、どの様な意味合いを持つのかを知っているのと、そうでないのとでは、鑑賞の度合いが大きく異なります。
 ここでは、自然風景式庭園を構成するものについて、その鑑賞のための基本的な知識を持っておきたいと考えます。

5-06 船着(き) (ふなつき)
 自然風景式庭園には、池泉がつきものです。庭園生活を豊かにするために、古くから船遊びに興じていたようです。その際に、舟を着けて乗り降りするための施設を『舟着』と呼びます。
 平安時代の寝殿造庭園で発展し、釣殿から乗船し、管弦の楽人が同行し、飲めや歌えやの大騒ぎがあったという記録もあります。
 室町時代には「西芳寺」の合同舟(ごうどうぶね)という舟着場が作られました。それを模して、「東山殿(現銀閣寺)」の夜泊舟(よどまりぶね)という屋根付きの舟小屋がつくられました。浄瑠璃寺の庭園(浄土式庭園)には、池岸に階段が設けられ、ここから中島の弁財天祠に渡ります。
 近世では、書院造系庭園として、太閤秀吉の伏見城には、「舟入御殿」がありました。それを西本願寺の「飛雲閣」に移築し、舟から直接建物に出入りできる舟入(ふないり)の間として残っています。
 「桂離宮」では御舟小屋だけではなく、ほかの主要な建物や池岸に舟着がありました。ここから桂川に舟を出し、丹後や有馬などの、当時の観光名所にまで脚を伸ばしたそうです。御船小屋の中には、「歩月(あゆみづき)」という舟があり、桂川でお月見をしました。



(【Wikipedia】、宮元健次氏、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 ■ カシャリ! ひとり旅



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話

2025-02-14 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆7-5 コンサルティング・ファームからの電話
 二月に入った暖かいある日曜日のことである。竹根は久しぶりに、妻のかほりが由紗里(ゆさり)と手をつないで散歩から戻ってきた。会社から一時間半の通勤時間の郊外に住んでいる竹根にとっては、挨拶回りで忙しく、それまでは日曜日もゆっくりできなかった。久しぶりに家族水入らずの団らんのひとときである。
 玄関をあがろうとした時に電話がなった。かほりが慌てて受話器を取った。はじめは「竹根です」といつもの話し方であったが、次第に声が小さくなってきた。売り込みなど、彼女にとって都合の悪い電話が来るといつもこのように話すので、竹根は「日曜なのに、熱心な営業マンもいるものだな」と思った。
「坂之下経営の小田川様ですね。ただいま代わりますので、少々お待ちください」と言ってから、受話器から声が通らないように掌でふたをして、竹根に相手の名前を伝えた。
 受話器を受け取った竹根は、坂之下経営と言えば、有名な経営コンサルタント会社のはずだけど、どんな要件なのだろう、と訝りながら「お電話を変わりました。竹根です」と丁寧に電話に出た。
 日曜であることを詫びながら、ケント光学の北野原社長の紹介であること、自分の役職や会社の概況説明をしてから、竹根に会いたいと言ってきた。北野原の名前が出たのでは会わないわけにはいかない。手帳のスケジュールを見ながら、火曜日の夕刻に銀座で会うことにした。
 小田川は、丁寧な言い方であるが、電話では面会の目的までは言わなかった。副社長だと言うから、別にコンサルティングの売り込みでもなさそうである。北野原がどのように関係するのかわからない。日曜なので、北野原に確認することもできない。
 せっかく、家族三人の散歩で、気分転換ができたのに、何となくすっきりしない日曜日が過ぎようとしていた。

 翌日、北野原に電話をしたが、二日間の人間ドックに入っているので連絡が取れないという返事であった。田近に電話を変わってもらって、坂之下経営の小田川という男を知らないかと聞いたが、知らないという。
 何もわからない状態で、小田川に会うことになった。
 銀座なので、超高級な料亭か、バーかと思ったが、路地を入ったところの気さくな女将のいる小料理屋であった。小田川は、六十歳を超えているのだろうか、身長は竹根とほぼ同じくらいだが、体重は有に九十キロを超えているだろう。
 小田川は、北野原とフルブライトの同期で、やはりニューヨークに三ヶ月ほどいたそうである。経営コンサルタント会社と言っても、有能なコンサルタントばかりがいるわけではなく、外部に優秀な人がいればヘッドハンティングをするのだそうだ。北野原が、何かの席で福田商事に優秀な人間がいると言うことを口にしたらしく、その日の会見のことを北野原は知らないはずであるという。
  <続く>

■ バックナンバー
 

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■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月13日 ◇欲しい情報を入手する ◇ユーチューブで見る曹洞宗大本山「総持寺」

2025-02-14 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月13日 ◇欲しい情報を入手する ◇ユーチューブで見る曹洞宗大本山「総持寺」

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

2月13日

 セブンイレブンの苦戦が続いているようです。
 コンビニ3社の他2社は、好業績とは言えないまでも、セブンイレブンが一人負けしているのには、いろいろと理由があると思います。
 セブンイレブン凋落の契機は、「値上げ」「上げ底減量」「品質低下」などがSNSを通じて拡散したことです。
 それまで順調に伸びてきて、いい気になって「殿様商売」を始めたからではないでしょうか。
 殿様商売によるシェアダウンは、キリンビールが代表的ですが、セブンイレブンも、キリンの二の足を踏んでいるように、私には見えます。

 【カシャリ!ひとり旅】で旅をしてきていますが、写真の整理はなかなか追いつきません。一方で、時間がある時に、一息入れるために、かつてアップロードした写真を見直すこともあります。

 

 

 

 

 
 神奈川県  総持寺  

 

■ 総持寺とは

 總持寺は、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗の仏教寺院です。曹洞宗には大本山が二つあり、その一つが、福井県・永平寺です。すなわち、永平寺ほどの知名度はありませんが、由緒ある寺院なのです。

 私も実際に訪れて、その大きさに圧倒されました。併設されています鶴見大学やその附属中高のエリアをあわせますと、約15万坪の広大な境内です。

 1911年に、石川県鳳至郡門前町にありました真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が現在地に移転し、「總持寺」となりました。寺紋は「五七桐紋」で、山号は「諸嶽山(しょがくさん)」、ご本尊は釈迦如来です。

 1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾が、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われ、「諸嶽観音堂」が「總持寺」として寄進されました。山号の「諸嶽山」は、ここから来ています。

 1322年(元亨2年)、後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称するようになり、1615年(元和元年)、徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となりました。

 1898年(明治31年)火災で焼失、1911年(明治44年)に、現在地に移転しました。

 ちなみに、石川県輪島市門前町の旧地は總持寺祖院と改称されています。

【 注 】

 石川県の總持寺は、2024年の能登半島地震で被災してしまいました。

 早期の復興を祈念しています。

 

■ アクセス

 〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1

 TEL 045-581-6021 FAX 045-571-8221

公共交通機関

 JR京浜東北線[鶴見駅]西口より徒歩(約7分)

 京浜急行線[京急鶴見駅]より徒歩(約10分)

 京浜急行線[花月総持寺駅]より徒歩(約10分)

車利用

 東京方面より首都高速横羽線[汐入]出口より約15分

 横浜方面より首都高速横羽線[生麦]出口より約10分

 ※ 總持寺の駐車場の利用可

 

■ 拝観

 總持寺は、開かれた禅苑を目指していて、境内は自由に参拝できますし、特別な場合を除いて、諸堂内も含め、修行僧の案内ツアーがあります。

  布教教化部 045-581-6159

  定時拝観          10:00 11:00 13:00 14:00 15:00

  拝観料              400円

 境内の敷地面積は、約50万㎡あり、仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があります。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色です。

 總持寺は、1911年(明治44年)に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため堂宇の大部分は近代の建立です。仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代〜昭和時代前期)の本格的な木造建築です。

 大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造です。他所から總持寺へ移築された建物の中には、近世末期のものも若干あります。

 1970年(昭和45年)3月6日には火災があり、常照殿が焼失しましたが、2005年(平成17年)に、仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されました。

 境内には横浜市で起こった鉄道事故である桜木町事故(1951年)と鶴見事故(1963年)の慰霊碑が建立されています。

 太平洋戦争中、東京警備軍横浜警備隊が置かれ、1945年(昭和20年)8月終戦反対の反乱が起された地でもあります。

 

 

 私は、京急鶴見駅西口から、JRと京急線の間を、線路沿いに横浜方面に歩いてゆきました。

 5分も歩かないうちに、右手に鶴見神明社の赤地の幟(のぼり)を見つけて、カシャリしました。

 京急線とJR線の跨線橋を渡り、右手に折れますと総持寺の石柱が立っていました。

 参道の両側は、鶴見大学などの校舎や研究棟が配されていました。

 

 

 

 100m以上もの参道を歩いていますと、寺院の大きさ、曹洞宗・永平寺と同格の曹洞宗大本山をヒシヒシと感じました。

 

横浜・総持寺1 首都圏に、
  このような大寺院が
曹洞宗は大本山を二つ持ちます。福井・永平寺と横浜市の総持寺です。総持寺の参道を三門まで歩きますと、寺院の壮大さを感じます。

■【今日のおすすめ】

 ◆【きょうのおすすめ】 経営者・管理職向けのピンポイント・ブログの紹介

 情報過多の時代、自分が関心を持っているジャンルの情報だけでも多量であり、すべての情報に目を通すのは不可能です。
 自分にマッチしたブログで、さらにその中が細分化されていますと、欲しい情報にたどり着きやすいですし、新たな発見も得やすいですね。
 そのような情報を、発信することを続けたいと思っています。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 

  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【知り得情報】
 「経営とは、環境対応業である」という名言は、私の先輩コンサルタントが残してくれた言葉です。
 その経営環境は、めまぐるしく変化します。政府や自治体も、その変化に対応できるように中小企業向けの各種施策を提供しています。ところが、その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去には焼け石に水かも知れませんが、仕入れた情報をときどきご紹介します。
 重複してお届けすることもありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

◇《公募》中小企業省力化投資補助事業(一般型)の公募要領
 中小企業省力化投資補助事業(一般型)の第1回公募要領が公開されました。
 https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/2025/250130shoryokuka_kobo.html
  出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

  恒例の札幌雪祭り開催 206
 毎年、この時期になりますとテレビや新聞、各種報道で札幌雪祭りが紹介されます。
 札幌へは、仕事でずいぶんと通いましたが、雪祭りに行ったことは一度もないのです。
 昨年、孫達が雪を見たいというので家族で行ってきました。
 大きな雪像には圧倒されたようです。
 大通り会場だけでも約150基も並んでいるのですから、壮観でしょう。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/1108683ac445299c406ac4e1e87416f3

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 

 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

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■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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【きょうの人】 0214  西行(佐藤義清) 諸国漂白の西行は武士出身

2025-02-14 06:33:00 | 【話材】 きょうの人02月

 

  【きょうの人】 0214  西行(佐藤義清) 諸国漂白の西行は武士出身

 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 西行(さいぎょう) 214

 2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で清盛の友人として俗名佐藤義清(さとうのりきよ)として、西行が登場しました。鳥羽院の北面武士として奉仕していたので、清盛との交流もあったでしょうが、現実にはその期間も短かったようで、清盛と昵懇にしていたという記録は定かではないようです。

 和歌に通じた人として知られていました、保延6年(1140年)23歳で出家して一時は円位を名のっていました。

 出家後は心のおもむくままの生活をし、あちこちに庵を持ちました。また弘法大師の遺跡巡礼も兼ねて諸国を巡る漂泊の旅にも出ました。日本各地に、多くの和歌を残しています。

 しきたりや伝統にとらわれず個性の歌人という説があるが、正しい見方ではないようです。院政期の歌風醸成の一人で、藤原俊成とともに「千載集」の中の一人として見るべき人のようです。

 東大寺再建の勧進のために奥州藤原氏を訪れる途上で、鎌倉に立ち寄り源頼朝に面会したことが『吾妻鏡』に記されています。

 享年73歳、文治6年2月16日没という説もありますが、ここでは2月14日としておきます。


【Wikipedia】 西行(さいぎょう)
 元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月23日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。 父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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■【今日は何の日】 2月14日 バレンタインデー チョコレートいくつもらえるかな?

2025-02-14 00:03:00 | 【今日は何の日02月】

 

  【今日は何の日】 2月14日 バレンタインデー チョコレートいくつもらえるかな?


 一年365日、毎日が何かの日です。
 季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。
 これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
 独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ バレンタインデー

 今日はバレンタインデー、正式にはセントバレンタインズデー(St. Valentine's Day)と言います。もともとは、聖ウァレンティヌスが殉教したことにゆらいした、西方教会での行事です。(Wikipediaより)

 キリスト教信者であろうがなかろうが、日本では女性から男性に愛を打ち明けてもよいとされ、その証にチョコレートを贈る習慣になっています。これは、チョコレートメーカーの陰謀であるという説が有力です。

 ご存知のようにヨーロッパでは、花をはじめカードやケーキなど、男女いずれであっても恋人や親しい人に送り合う日であることは知られています。日本でも花屋さんが盛んに宣伝を始めました。因みにホワイトデーというのは、日本独自のもので、これもビジネスに乗せられてできた習慣と言えます。

 しかし、ヨーロッパでもチョコレートを贈る人もいます。ハート型のチョコレートはイギリスが発祥の地だと言うことを聞いています。

 

(ドアノブ)

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見る

 

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 since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会


【ブログ 経営コンサルタントの育成と資格付与】

 日本経営士協会は、特定非営利活動法人として内閣府による認証を受けた経営コンサルタント団体です。1951年に誕生し、経営コンサルタント育成と経営士・士補資格付与活動を1953年から積極的に行ってきている、日本で最初に設立され、約65年もの永きにわたりまして社会貢献をしてきています。
 このブログは、主に次のような方々を対象に、時宜に即した情報を毎日、原則として複数本のブログをお届けしています。経営というのは、根底に流れいるものは、下記のいずれにも共通し、視点を変えるだけでそれを応用することができるという信念を基に、あえて三兎を追っています。

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