経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁 仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~

2025-02-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則
     ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~


 一視同仁(いっしどうじん)は、韓愈の「原人」の中に出てきます。「すべての人を差別せず、平等に見て愛し慈しむこと」とあります。
 「仁」は「慈しみ」「思いやり」「哀れみ」のことです。
【広辞苑】仁
 いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を「統(す)べる主徳」とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。


 「仁義」という言葉があります。時代劇で、渡世人が、世話になる人に対して「仁義を切る」というシーンがあります。親分・子分の間の道徳観とでもいうのでしょうか。
 この仁義というのは「いつくしみの心と道理にかなった方法。仁と義。【広辞苑】」というのがもともとの意味で、我々が平素感じているニュアンスとちょっと異なるような気がします。
 因みに「克己復礼(こっきふくれい)」は、「己に克ちて礼を復(ふ)む」と訓読みをします。「克己」は「己の欲望に勝つ」という意味で、「克己心」というような表現で私達は使います。「復む」とは、「実践する」という意味で、「復礼」は「礼の道に従う」ことです。従って「克己復礼」は「私利私欲、私情を抑え、社会的な規範やルール、マナーやエチケットなどに則って行動する」ことを指します。孔子が「仁」について弟子の顔淵(がんえん)に答えた言葉と言われています。(四字熟語辞典)
 ブログを見ていましたら「為政第2-15 31  仁以て己が任と為す。亦た重からずや」という論語の一節が紹介されていました。「学徒たる者は、重みに耐える強さ、遠くまで続く粘りがなければだめだ。仁の追求を任務に背負っているのだから、こんな重荷はない。死ぬまで続く生涯教育だから、こんな遠い道はない。(論語と渋沢栄一 プレジデント社)」という説明からも「仁」という言葉のニュアンスが感じ取れます。
「仁義」というのは、人が踏み外してはいけないこと、世間の義理や人情を大切にすることを説いているのです。社会人として、人間関係をスムーズにする「基準」となるのが「仁義」かも知れません。
 仁義の道という意味で「安宅正路(あんたくせいろ)」という四字熟語があります。「安宅」は、住み心地の良い家、「正路」は、人が進むべき正しい道のことという意味で、母子に出てきます。(四字熟語辞典)
 脱線しますが、かつて日本の十大商社の一つに「安宅産業」という商社がありました。この四字熟語を思いますと、創業の精神に「安宅(あんたく)」という、家族重視の思いが込められていたのかもしれません。同社が犯した原油ビジネスでの失敗の一因が、同族経営であったというように言われていますが、家族重視が同族重視に繋がってしまい、それが前面に出すぎてしまったのかもしれません。
 人事おきましては、しばしば問題になるのが「依怙贔屓(えこひいき)」です。「依怙」は「一方だけの肩を持つ」という意味で「贔屓」も同じような意味ですので、類語を重ねて強調表現にしている四字熟語です。いまさら紹介するまでもなく「依怙贔屓」とは、「自分が気に入った人や自分にメリットのある人を重用し、引き立て、公平でない扱いをする」ことを指します。
 経営においては「規矩準縄」の項に記述されていますが、何ごとにおいても「基準」というのは重要です。企業における基準となるのが経営理念とか社是・社訓、ミッション、クレド等々が代表的です。例えば経営計画を立案しようとします。どのような商品・サービスを、どのような市場に、どのように提供していくか、経営の基本戦略を基に経営計画が立案されなければなりません。
「世の中におけます人の心の幸せを願う」という下りが経営理念の中に含まれているとします。その企業が、自社の技術を応用すると素晴らしい武器を製造することができるかもしれません。武器というのは戦争で使われる道具であり、それは経営理念に反しないのだろうかというような見方ができれば判断を誤ることはないでしょう。一方、見方を変えて、戦争が起こったときにはその商品が役に立つという安心感を国民に与えるという観点で見ますと、NOがYESに変わるかもしれません。
「戦争は悪いもの」という観点に固執してしまいますと、「兵器製造会社は社会の悪である」という結論に至ってしまいます。一方、上述のように「兵器を持つことは、国にとっては保険のようなもの」と考え、国民に安堵してもらうという観点では、「兵器は必要不可欠なモノ」という考えに至るかもしれません。
 別項にありますように「俯瞰細観(ふかんさいかん)」しますと、上述のようにいろいろな観点で見ることができます。私は父を戦争で亡くしていますので、戦争礼賛論者ではありません。「戦争は悪いもの」という決めつけではなく、何ごとも公平に見るという視点も必要と考えています。
 多くの企業においては、年功序列から実力主義を重視した社員査定の方法が変化しています。別項でも紹介していますように、一人の社員の一面を見ただけで、その社員の全体が、目の前に見えている状況であるかのような見方をしてはならないでしょう。なぜなら、人間というのは、多面性を持っていますし、人の良いところというのは、見方を変えることにより異なって見えるものです。ある一面が悪いからと言って、切り捨ててしまうのは、企業にとって損失ではないでしょうか。
「十人十色(じゅうにんといろ」という四字熟語があります。十人の人間がいれば、それぞれが異なって見えます。人の考えや性質も、好みも、それぞれ違うものです。共通する言葉に、「各人各様(かくじんかくよう)」「多種多様(たしゅたよう)」という四字熟語があります。
 企業における理念も戦略や方針も「百社百様(ひゃくしゃひゃくよう)」です。上述のような兵器製造メーカーも、視点を変えれば良いところがあるわけです。要は、社会的か、反社会的かという視点で見る場合も、視点を変えれば「十人十色」なのです。
 因みに「この方法を採用すれば、効果覿面、必ず会社はうまく行く」という成功経営の法則のようなものがあれば良いと経営コンサルタントという立場で永年模索をしてきましたが、残念ながら経営に秘策はないようです。「効果覿面(こうかてきめん)」の「覿面」は「むくいや効果がすぐにあらわれるようす(広辞苑第六版)」ですが、もともとは「目の周り」という意味でした。
 近年、コンプライアンスということが企業経営にも強く求められるようになりました。「是非曲直(ぜひきょくちょく)」という四字熟語がありますが、「道理にかない、正しいこととそうでなこと」という意味です。「是非善悪(ぜひぜんあく)」「理非善悪(りひぜんあく)」「理非曲直(りひきょくちょく)」も同じような意味です。
 他の人の話を傾聴するときにも、自分の意見をまとめてから発言するときにも、まず、自分のスタンスを決めてから、行動に移すと人間関係を壊すことなく、自己主張もできるのではないでしょうか。「十人十色」「百社百様」という視点で、公平に、いろいろな角度から見ることが、多様化の時代には必要なのではないでしょうか。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月14日 ◇「あたりまえ経営のきょうか書」シリーズ 4-06 経営体別にみた経営コンサルタントの分類2 ◇加齢と共に増えるもの、減るもの

2025-02-15 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月14日 ◇「あたりまえ経営のきょうか書」シリーズ 4-06 経営体別にみた経営コンサルタントの分類2 ◇加齢と共に増えるもの、減るもの  

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 近年、バレンタインデーでは、ここ数年続いている、身内の者からのチョコレートのみで終わりました。

 そのうちに、それも無くなってしまうのでしょうね。<笑い>

 コンサルタントを目指す人達の集まりがあり、【あたりまえ経営のすすめ】について、お話をする機会を得ることができました。

 下記のようなテーマでお話しました。

 

■第4部 【あたりまえ経営のすすめ 経営支援編編】 コンサルタントを知る 1章 外部ブレインを使いこなせなくて経営者・管理職といえるか

 半世紀にわたる経営コンサルタント経験から、いろいろな事を体験し、コンサルティング現場で活かしてきました。
 士業・コンサルタントは、経営者・管理職に対して、いろいろな局面からの支援をしていくべきです。そのためには、経営者・管理職の立場も理解をしていなければなりません。
 経営者・管理職向けの情報に対して、「俺は、コンサルタントだ。経営者・管理職向けの情報など必要がない」という姿勢でよいのでしょうか。「裏を返せばコンサルティングに通じる」という発想を士業・コンサルタントがしますと、視野が広がると考えています。
 士業・コンサルタントも経営者・管理職も、フレキシビリティを持った発想が必要なのですね。
 このような視点で、第4部をお届けします。

 1章は、コンサルタントとは何をしてくれる職業なのかという視点で、士業・コンサルタントの本質を経営者・管理職に知っていただきたいと思います。

 裏を返しますと、それを理解でき、行動に移せる士業・コンサルタントがホンモノのプロといえるのではないでしょうか。

 

■ 第4部1章 6 【経営支援】 経営体別にみた経営コンサルタントの分類 2
 前項に続きまして、コンサルタントの経営形態別の分類から、コンサルタントを選ぶポイントをご紹介します。
③ 総合研究所
 「○○総研」などという名称のことが多く、金融機関や大手企業の経済研究機関、アメリカでは大学の研究室が独立して設立されているようです。
 学者肌の研究者タイプの人が多く、理論的には優れたものを持っている反面、経営実務や現場の状況に疎く、頭でっかちの助言をされることがありますので、契約する前に、その視点でのチェックも必要です。
 講演会の講師選択に適している経営コンサルタントが多いのも特徴でしょう。
 知名度が高いところが多いですが、知名度だけで選定しますと、自社にあわないこともあります。
 クライアントに大企業が多く、中堅・中小企業に対する経験が浅いこともあります。また、大企業向けのコンサルティング手法を、そのまま応用するがために、規模の小さいところにはそぐわぬことが多いのです。
④ コンサルタント団体
 コンサルタントの代表的な団体がいくつかありますが、経験の浅い会員から超ベテランまで、いろいろなコンサルタントがいます。これらの団体に問い合わせますと、目的や希望にそったコンサルタントを紹介していただけます。
 たとえ年齢的には若くても有能な経営コンサルタントもおり、料金も高くなく、すばらしい助言をしてくれることもあります。
 一方で、定年退職をして、コンサルタントになったような人は、一見しますとベテラン風ですが、コンサルティング経験の浅さが目立つ先生もいますので、外見だけで判断しないようにすると良いでしょう。
 特に大企業出身で、中堅・中小企業のコンサルティング経験が浅い先生ですと、頭でっかちのコンサルティングになったりして、自社の体質に合わない場合もあります。
 社団法人や財団法人というような法人格を持っている団体が多いのですが、NPO法人であったり、設立の歴史的経緯などから法人化していない団体もあったりします。
 法人格を持っているとか、所属している会員数が多いからその団体が有能な経営コンサルタントを持ち、活発な活動をしているとは限りません。
 有能で良心的な経営コンサルタントを揃えている団体を探すことが第一歩でしょう。知名度の高い団体が必ずしも有能で良心的とは言い切れませんので、経営コンサルタント選びとともに団体選びにも注意が必要です。
⑤ 組織化したコンサルタント
 前述しました個人経営のコンサルタントの多くは、いずれかの団体に属しています。しかし、一人でコンサルタント業務をすることは、専門外の領域に充分対応できないなどの問題だけではなく、情報量不足など、いろいろな問題がからんできますので、それを解決することを目的として、気のあった経営コンサルタントが組織化することがあります。
 組織化の結果、コンサルティング・ファームとして法人化する場合もありますが、最近はLLP/LLCなどという協同組合的な法人体系をとることがあります。
 また、法人化をしないまでも、経営コンサルタントが組織的にグループ活動を行うことが増えてきています。共同受注をしたり、共同して業務を遂行したりしていて、個人経営の欠点を補っています。
 経営形態は、大企業や官公庁に適したコンサルティング・ファームや総合研究所と中堅・中小企業向けにはコンサルタント団体やコンサルタントの組織などに大別でき、「大は小を兼ねる」というのは難しく、大企業向けのコンサルタントが中堅・中小企業でコンサルティングをするのは必ずしも適切とはいえないということを心しておくことが必要です。
 

 

<次号に続く>

 

■【あたりまえ経営のすすめ】 バックナンバー

 あたり前の重要性を知る ←クリック

■【今日のおすすめ】

 ■【若狹の生意気言ってすみません!】 最近の就職活動で感じることから「当たり前経営」まで

 経営士・行政書士としてマルチライセンスで活躍していらっしゃる、日本経営士協会会員の若狭晃司先生が、2025年1月から、毎月第二火曜日正午頃の発信でブログを投稿してくださっています。

 先生らしく、謙虚に、しかも大胆に、辛口も含めて皆様にお届けしています。

  総合メニュー 【生意気言ってすみません】 ←クリック

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
    https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【知り得情報】
 「経営とは、環境対応業である」という名言は、私の先輩コンサルタントが残してくれた言葉です。
 その経営環境は、めまぐるしく変化します。政府や自治体も、その変化に対応できるように中小企業向けの各種施策を提供しています。ところが、その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去には焼け石に水かも知れませんが、仕入れた情報をときどきご紹介します。
 重複してお届けすることもありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

◇《公募》IT導入補助金の不正受給等に関する調査を実施
 IT導入補助金事業における多数の不正受給事案が明らかになっていることから、補助金事務局では不正受給等に関する調査が実施されています。不正行為が判明した場合、交付決定取消、補助金の返還請求、IT導入支援事業者登録取消等の措置が行われます。
 https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/gijut/2025/250117it.html
  出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 加齢と共に増えるもの、減るもの 214
 歳を重ねるにつれ、いろいろな物が減ってきます。
 その代表が年賀状とバレンタインのチョコでしょうか。
 かつては、いろいろな顧問先からチョコレートを戴きました。
 今は、顧問先をすべて後進に譲っていますので、戴けるチョコレートは激減してしまいました。
 娘や孫達からのチョコレートはうれしいですね。
 そうそう、妻からも・・・  これを付け加えておかないと、後が怖いですから。<笑い>
 近年は、カカオ70%とか中には90%などという超ビターなチョコレートもあるのですね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。


 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

  >> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0215 ■ 聖宝(理源大師)生誕 醍醐寺の開祖 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力 ■ 武田豊 ■一遍上人降誕会

2025-02-15 06:33:00 | 【話材】 きょうの人02月

 

  【きょうの人】 0215 ■ 聖宝(理源大師)生誕 醍醐寺の開祖 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力 ■ 武田豊 ■一遍上人降誕会

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

■ 聖宝(理源大師)生誕 醍醐寺の開祖
 しょうぼう
 天長9年2月15日(832年3月21日)- 延喜9年7月6日(909年7月25日)


 平安時代前期の真言宗の僧、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖でもあります。また、後に当山派修験道の祖ともされています。

 俗名は、恒蔭王(つねかげおう)で、天智天皇の6世孫にあたり、父は、葛声王(かどなおう)といい、諡号は、理源大師です。

 三論、法相、華厳などを学び、後に、密教を真雅、真然より授かっています。醍醐寺を開き、また東南院を建てて、三論宗の本拠地としています。

 役行者(役小角)の遺風を慕って、その最高に務めたので、後世、修験道の中興と言われるようになりました。

『古今和歌集』に歌一首があります。

 聖宝に唱える言葉は「南無聖宝尊師(なむ しょうぼうそんじ」であり、三祖宝号の時は「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」で、お山の中では順番は逆になるのだそうです。

 善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。

 信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。

 そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。

 鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。

 建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。

 弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。

 


■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力


 り こうしょう
 1823年2月15日(道光3年1月5日)- 1901年11月7日(光緒27年9月27日)


 中国清代の政治家で、字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力しました。

 日清戦争の講和条約である下関条約で、清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことで知られています。

清朝末期に起こった反乱・太平天国の欄で、政府軍に降伏した敵軍を吸収しながら、西洋式軍事訓練も施して、自軍強化に努め、蘇州・常州を奪回するなど、活躍しました。

 李鴻章は、その手腕を買われ、清朝の重臣筆頭となり、さらに同治帝の母・西太后の厚い信任を得ました。

 日本の朝鮮出兵などの動きに驚異を感じ、日本との関係を模索しました。同治9年9月、清を訪れた柳原前光ら日本使節団と天津で会談、日本との提携を記した草案の作成を担当し、伊達宗城・柳原前光ら使節団と日清修好条規を結びました。

 大久保利通他とも交流を持ち、西欧やロシアの圧力に対抗を試みるなど政治的手腕を発揮しました。しかし、日本は、日清戦争に走ります。日本側は列国の干渉をおそれ、休戦条約を調印し、日清講和条約(下関条約)の調印を行います。

 この条約で朝鮮・台湾・遼東半島などの喪失と賠償金支払いなどで、清の威信は大きく低下し、李鴻章は失脚します。しかし、西太后の意もあり、復権します。

 波乱の人生でしたが、李鴻章の意志は、袁世凱に引き継がれます。

 

 武田豊

 たけだ ゆたか
 1914年1月6日-2004年2月15日

 日本を代表する実業家の一人で、新日本製鐵代表取締役会長、経済団体連合会副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した、宮城県高清水町の出身です。

 新日鉄社長時代に、急激な円高と鉄鋼不況に見舞われました。それに対応するため、1万9000人の人員削減と設備集約を柱とする、思い切った合理化を実施しました。

 日本の鉄鋼産業が、価格重視の後発国に淘汰されずに残った契機ともいえます。

 産業界での活動だけではなく、全国交通安全協会会長、日本野球連盟(社会人野球)会長などの要職を兼任して社会貢献もしています。

 女性職業財団理事として女性の職場進出を推進したり、あしなが育英会会長としても活躍されました。

 また、大脳生理学研究者としても知られ、著書に「自己開発法」があります。 

 

■ 一遍上人降誕会

 鎌倉時代中期の僧侶で、時宗の開祖です。

 延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)の豪族、別府氏に生まれました。道後温泉の近くです。

 各地を行脚し、信濃国で踊り念仏を始め、民衆を極楽浄土へと導きました。踊り念仏は尊敬していた空也上人に倣ったものといわれています。

 正応2年(1289年)2月15日、享年51歳で摂津兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没しました

【Wikipedia】 一遍(いっぺん)
 鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号で、法諱は「智真」。「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称される。近代における私諡号は「円照大師」、1940年に国家より「証誠大師」号を贈られた。俗名は河野時氏とも通秀、通尚ともいうが、定かでない。

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【今日は何の日】 2月15日 涅槃会 吉田兼好 徒然草執筆だけではなく、ラブレターを代筆??

2025-02-15 00:03:00 | 【今日は何の日02月】


  【今日は何の日】 2月15日 涅槃会 吉田兼好 徒然草執筆だけではなく、ラブレターを代筆??

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。

  詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 涅槃会

 涅槃会とは、お釈迦様の入滅の日を記念して、各地のお寺で行う法会の一つです。涅槃図を掛けて、涅槃経や遺経を読謡します。日本では、清和帝の貞観2年に奈良の興福寺で行ったのが最初だとされています。

【Wikipedia】涅槃会(ねはんえ)
 涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもある。
 涅槃とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。
 実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものである。
 法要中は、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっている。仏涅槃図の絵解きを行うところもある。平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の一として記されている。
 

 

■ 兼好忌  ラブレターの代筆??

 

 1350(正平5)年2月15日に、「徒然草」の作者として知られる吉田兼好(1283~1350)がなくなりました。ただし1352年にはまだ存命だったいう説もあるようです。

 通常「吉田兼好」と呼んでいますが、俗名は卜部兼好です。兼好の生家が京都吉田神社の神官をしていたことから、その子孫が吉田姓を名乗ったために「吉田兼好」という呼び名が広まったのです。

 兼好は、鎌倉時代末期の人で随筆だけではなく歌も作ったようです。

 兼好には、「ラブレター代筆事件」というのがあるそうです。

【Wikipedia】
足利幕府の執事高師直は、侍従という女房から塩冶高貞(塩谷判官)の妻が美人であると聞いて、急に恋心を起こし侍従に取り持ちを頼むが上手くいかない。いっそう思いを募らせた師直は「兼好とひける能書の遁世者」に艶書の代作をさせ、使者に届けさせる。しかし判官の妻は、その手紙を開けもせず庭に捨ててしまったので、師直は怒って兼好の屋敷への出入りを禁じてしまったのだという。


■ その他
◇ 全国緑化キャンペーン
◇ 涅槃会
◇ 高野山常薬会

 

(ドアノブ)

趣味・旅行のブログ

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする