経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【若狹の生意気言ってすみません!】 知的資産経営について、やっぱり言いたいことがある! 

2025-02-11 12:03:00 | 【生意気言ってすみません】

本  ■【若狹の生意気言ってすみません!】 知的資産経営について、やっぱり言いたいことがある!  

 日本で最初にできた経営コンサルタント団体である「日本経営士協会」は、戦後復興期に当時の通商産業省(現在の経済産業省)や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくして誕生しました。
 「専門業の異業種交流会」の異名を持つ、この団体ですので、いろいろな分野の専門家が集まる組織です。
 この度、同協会の会員で経営士であり、行政書士としてもご活躍の若狭晃司先生にもご執筆をお願いできることになりました。令和7年1月より、毎月第二火曜日正午の発信で皆様のところにお届けします。
■    ご挨拶 <若狹の生意気言ってすみません!>
 特定非営利活動法人「日本経営士協会」首都圏支部の経営士 若狹晃司です。
 今回より、経営士のブログに私の経営士として日常考えたこと、感じていることをラフなスタイルで掲載させて頂きます。「生意気なヤツ!」と言われるのを覚悟で出来る限り本音のお話をしたいと思います(コーナー名も「若狹の生意気言ってすみません!」としました)。
■    【若狹の生意気言ってすみません!】 No.2
 ~~~ 知的資産経営について、やっぱり言いたいことがある! ~~~

 今回(第2回)は知的資産経営について、次回(第3回)はローカルベンチマークについて、その後は成長デザインシートについて書こうと思っていました。書いているうちに「これは違うぞ(従来の理論ではアカンぞ!)。現実の経営者にとっても、経営を評価して融資や投資をする側にとってもこれは違うのではないか?」という気持ちが湧いて来ました。

 知的資産の説明や人的・構造・関係資産の3分類やSWOT分析&戦略策定という流れやKPI設定とか、確かにいろいろあります。確かに様々な論者がいろんな角度、いろんな観点で強みの発見方法等も含めて論じています。

 しかし結局、外れていることがあります。事業そのものの目利きの観点が弱いのではないかと。何が儲けの本当のポイント(ビジネスモデルの核心)で、何がお客様から支持されているのか、ここに焦点を相当絞って、もっと分析すべきだと思います。お客様が喜び支持しているその何かを、継続して提供し続けている事実について詳細に学び、実務を担う社員や組織についても深い考察をするのが本来の知的資産の探求だと思います。

 が、本当に出来ていますか?という疑問です。ビジネスモデル自体の特徴や限界、ビジネスモデルが実際に機能する為にどう工夫しているかなど、お客様から十分把握出来ていないことが多いのではと感じています。お金を出す側の金融機関や投資機関についてもこれで本当に納得させることが出来るのだろうかと疑問です(彼らが実際には理解しようとすらしていないことが本当の原因ではあります)。

 また、KPI一つとっても知的資産経営を支援するコンサルタント側が組織内部の意思決定の深部まで理解しているのだろうかと不思議に感じています。まして、経営理念という概念においては経営者の哲学的な思想がいかに従業員の実際の実務や行動にどう影響し結果が生まれているかなど、相当の時間をかけて分析していかなければ何もわからないハズです。綺麗事でサラッとスルーしているだけの論者や支援者が多い気がします。

 ビジネスモデルや儲ける仕組み、お客様が支持する仕組み、それを生産する組織、働く人の協働の問題、さまざまな要因がすべて係るのが知的資産経営の分野ではないでしょうか。非常に手間暇がかかる大変なコンサルタント業務ということがわかります。

 さらに、SWOT分析にも言及するなら、「なぜお客様はこの会社が好きなのか?」「どのような顧客提供価値なのか?」という本質がよくわかっていなければ、SWOTの結果導いた戦略もコンサルタントの独りよがりになりかねないと感じます。


 私は、建設業の会社に関する知的資産経営分析について発表しているセミナーをいくつか受講しました。その支援者は、建設業に関してあまり深い知見は無いように見えました。お客様の今後の抱負や方針、野心などをきめ細かくヒアリングしているのは素晴らしいと思いました。しかし、基本的な建設業の業界の仕組みや更に社長の案件の獲得方法やその癖などが本当にわかっているのだろうかという気持ちになりました。

 建設業の事業性評価をする場合の話をします。事業内容が、土木工事なのか建築工事なのかでビジネスモデルがBtoBかBtoCに分けられ、別分野となります。また、下請か元請かにより、公共工事・民間工事のどちらを中心にしているのか、これだけでも企業の戦略は変わってきます。

 民間工事の巨大設備を下請で担当する場合であっても、業務プロセスとして設計前のコンセプト段階から元請と一緒に検討をしているのか否か、コミュニケーションや段取り・スピードなどの違いなどを含めますと、会社によってかなりの差異が出てきます。技術技能水準や工事の効率性や完成検査のレベル、外注管理や資材発注管理、などなど単純に業務フローを追いやすいですが、その中に隠れた見えない差異を発見するのがコンサルの仕事です。

 営業一つ取ってもBtoBの工事案件が中心であれば、受注のキーマンにどうやってコンタクトを取り、案件を取り込めるが営業のポイントとなりますが、人脈を使うにしろ、出身大学なのか、地元有力者の紹介なのかなど様々な方法があり、そのスタイルまで踏み込まなければ特徴は見出せません。

 癖だってあります。赤字工事が多く、赤字決算が必至の場合、どうやって最終的に黒字決算にする方法(要はなんとかして利幅の高い工事を取って赤字にはしない)など、本当の機密事項を教える訳がありません。こういった事がわかっていなければ例え零細企業であってもその戦略がなんでこうやっているかという基本の所から理解できていないことになります。

 更にいいますと、この零細企業は、何が優れており、儲けるポイントになっているのか、そのビジネスモデル(儲ける仕組み)にまで昇華した特徴は「こうです!」と言えなければいくら分析しても的外れではないだろうかと感じます。ストーリーとしての競争戦略が一時期注目された理由でもあります。

 しかしながらストーリー(事業の儲ける仕組み)がいくら出来ていても、実際の現場で従業員・仕入れ先・金融機関が力を合わせて協働しなければ何も産み出せません。事業の儲ける仕組みも大事ですし、内部の体制も大事ですが、実際の経営においてさらに大事なことは、組織に経営理念(魂)を吹き込み、現場の従業員の心に火をつけなければ事は成し遂げられないです。経営理念とまで言わなくとも、実際に社員が社長について来てくれなければ仕事は何も完成できません。

 歴史を鑑みればその例は幾多もあります。知的資産経営報告書とか成長デザインシートは自分自身を認識するシートでありますが、報告書なりシートを本当に経営に活かしているのだろうか、疑問が残ります。融資・投資の効果であっても必ずしも全面的に利用しているとは言えません。

 書類で人は動きません。人を動かすには泥臭いことが多々あって始めて効果があるように感じます。


 厳しい事ばかり言いましたが、コンサルティングに、お客様がお金を払う理由というのは。以上のような深い思索が出来て、且つお客様がハッと気づいてくれるまで労を惜しまず頑張るからだと思います。

 ここで事業承継の話題に移ります。事業承継で知的資産経営を活用するという論点を言われる方が多いですし、自分もそう考えていますが、それでも肝心な事があります。「承継するものは何?」ということです。

 承継の問題に於ける株式や決定権の承継や物的資産の承継はごく自然で当然のことです。悩ましく困難な問題として、従業員の承継であり(従業員に認めてもらう)、金融取引の承継(金融機関に認めてもらう)であり、仕入れ先の承継であり(調達先に認めてもらう)、そしてお客様の承継(利益の源泉であり組織存在の根本となる)が極めて重要だと思います。

 お客様が求めて来た商品・サービスを従来通りに、また従来以上に提供する能力がなければ、その組織はお客様にとっては不要です。お客様から支持されているポイントは何かを把握していなければ、出来上がるものは別のものになってしまいます。

 組織の力も同じことです。何をもって組織を動かしてきたのか、理解しなければいけませんし、自分自身はどうやって纏めて行き、動かすのかも伝えなければ何もできません。働いて産み出すのは従業員あってのことです。知的資産の3分類で満足したり、自分の会社は良い処があるという自己自慢だけであったりしては、思ったように生産できませんし、売上も伸ばせません。

 SWOT分析もお客様にどうやって支持してもらえるのかという観点をもっと考えて分析していかなければ、単に内部外部環境の変化がという論点でボヤけてしまいます。どうやって突破口を開いて苦境を打開してきたのかという苦労と経験の事実や培ってきた価値観がわからなくて何が見えるというのでしょうか。

 経営者は日々苦しみ、藻掻いています。伴奏支援というのであれば、我々コンサルタント側も切り込む刀を常に磨かないといけない、と私も猛省しています。

 

 正直に言うと私は、あれは駄目、これも駄目と文句ばかりを言う人間です。戦略ストーリーに走るだけでも駄目、知的資産分析&SWOT分析の分析病でも駄目、適当なKPI設定も駄目、がんじがらめのMBO&収益管理も駄目、流行に走るマーケティング病も駄目、欧米至上主義(欧米師匠主義)の組織改革も駄目、・・・・、こんな感じです。

 経営コンサルティング側は、「何か一つを打ち出の小槌にできれば、それを使って盲目的に走る」のではないかと思います。しかし、それをお客様たるクライアントはどう見ているでしょうか。〇〇経営、〇〇戦略、〇〇戦術、〇〇改革、などなど言葉を変え、品を変えて、どうやって売り込むかばかりにしか見えないでしょうか。そんな状態だとお客様は離れていくのではないかと危惧しています。


 コンサルティング全盛時代だからこそ言いたいことがあります。

 御社の現実をしっかり見つめませんか、御社の状態を定期的に確認してみませんか、やるべきことやらないといけないことを先延ばしにしていませんか、変えたいこと改善したいことがあるのに目先の問題で放置していませんか、本当はこんな夢・野心があるのに躊躇し何もしないままにしていませんか、・・・・。こんな問いも有りではないかと思います。

 究極は「当たり前のことが当たり前に出来ていますか?」ではないかと思います。いきなりトヨタにはなれませんし、いきなりテスラにもなれません。強みがなくとも改善して当たり前にできるようになれば、それは強みになります。

 健康管理を経営に活かした健康経営も中小・零細企業では殆ど普及していません。お客様の実態・現実、お客様の現場をよく見て、お客様に合わせたメニューになるよう工夫しないとお金を払いたくないでしょう。売れないと嘆く前に、極当たり前のことが出来ていないと思います。当たり前であっても、当たり前をやるべきことをやっていないのがコンサルタントや支援者(組織含む)ではないかと思います。私も出来ていない支援者の一人です。・・・私こそ、コンサルタントとして「当たり前」のことが出来ていません!

 結局、またもや反省文になってしまいました。オチが無く申し訳ございません。今回はこれにて終了致します。

本
【経営士 若狹晃司先生 プロフィール】
 メガバンク21年勤務(個人富裕層担当・新規開拓班)後、行政書士として独立し、難案件(公益財団移行に伴う組織改革、55年に亘る8行とのバンクミーティング、数年難航の生産緑地解除など)の変わった実績も有り。
 コア・イデオロギー:組織関係無し、世の為、人の為に貢献する。
 
【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。
本
■■ 経営コンサルタントへの道 ←クリック
 経営コンサルタントを目指す人の多くが見るというサイトです。経営コンサルタント歴半世紀の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月10日 ◇コンサルタントの資格 ◇大福帳 ◇ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 11 股関節回しで脚力安定 ◇中小企業向けオンライン研修

2025-02-11 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月10日 ◇コンサルタントの資格 ◇大福帳 ◇ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 11 股関節回しで脚力安定 ◇中小企業向けオンライン研修 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 サイトに、男性が結婚したい女性の職業について記述されていました。
 第3位は「薬剤師」だそうで、「最近の男性も堅実な見る目を持っているんだ」と思いました。
 第1位は「看護師」ということですが、ナイチンゲール症候群(看護師が患者に対して好意を抱く症状)の裏返しの「白衣の天使」と見るようなもののように思えます。看護師さんは知性も高く、思いやりもある人が多い反面、職業としては仕事もきつく、勤務も不規則なようです。
 第2位は「保育士」ですが、保育士というのは、子供達を〃操る〃ことがあたりまえな立場であること、また、その世界にどっぷりと浸かっていることから、社会的な常識がずれてきてしまっている人がいらっしゃるように思えます。私が見てきた保育士さんの数は多くはありませんが、その狭い経験からですので、私の偏見かも知れません。

 看護師さんも、保育士さんも素晴らしい職業と考えていますが、私が自分自身の結婚相手としてみたときには、少し視点を変えますと、その職業の人を選ぶべきかどうかは微妙です。
 この記事を見て、最初に受けた最近の人達に対する良い印象が急に失せ、ものの見方が観念的であるように感じました。頭だけで考えたり、表面だけ見たりしていては、結婚してから悔やむ人も多いのではないでしょうか。

 早朝ウォーキングの効果を持続または改善するために、今朝のウォーキングで、自分でどの様にやっているのか反復してみました。

◆3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う

 ウォーキングの効果は知られていますが、その効果をさらに高めたり、付帯的な効果を上げたりするという「ながらウォーキング」をしています。これは、ボケ防止になると痴呆を研究している人達が研究発表をしていますので、それを励行するようにしています。
「ながらウォーキング」も、ウォーキング・ミックス(いろいろな歩行法の組み合わせ)と同様に、いくつかの方法があります。それらを適宜組み合わせてウォーキングすると効果的ですので、その方法を紹介いたします。
【 注 】

 ここで紹介する情報は、自分で思考したり、入手したりした情報をもとに、ご紹介します。

 それが皆様にも良い方法であるとは限りませんので、皆様ご自身のご判断で参考にしてくださるようお願いします。

11 股関節回しで脚力安定
 1970年代、まだ若かりし頃、ニューヨークに丸5年、勤務していました。その時に、「アメリカには、なぜ、足の悪い人が多いのだろう」というのが、渡米第一印象の一つです。
 その理由は、「車社会」にあるのだろうというのは、直ぐに思い当たりました。
「高齢化は、足から始まる」といわれますが、駅やビル内など、至る所にエスカレーターやエレベーターが設置された便利な社会。昨今の日本も、膝痛や腰痛など下半身の関節にトラブルを持つ人が多くなりました。

 股関節は、先天性で骨盤が変形していたり、大腿骨の付け根に異常があったりする変形性股関節症に悩まれている人は、人工股関節などに頼るなどの方法を採る人が多いでしょう。私の身近にも、手術をした人がいます。
 しかし、もともと、その様な障害がない人でも、股関節症や膝痛に悩む人が、上述のように多くなっていると思います。整形の知識や技術を持ち合わせていないド素人の私ですが、日常生活で、ある程度の予防ができるのではないかと、希望的観測ではありますが、そう”願って”、早朝ウォーキングやその時の体操を心がけています。
 ウォーキングやスクワットは、股関節にも効果があることは知られています。さらにそれだけに頼らず、早朝ウォーキングの途中で行う体操の時間に、「股関節回し」を行っています。
 早朝ウォーキングの途中で立ち寄る児童公園には、時計があり、子供達に時間を知らせるようになっているところが多いです。時計は、ポールの先端に付いています。
 そのポールを利用して、股関節回し運動を行います。ポールがない公園では、樹木の幹を利用します。
 両足のスタンスは、揃えるかやや拡げる程度、両掌でポールを左右から包み込むようにして軽く支えます。
 膝と股関節の高さが同じくらいになるように膝を上げ、一旦静止をします。足の下半部は、下に垂らした状態です。静止時間は0.5秒とか1秒と、短時間でよろしいでしょう。
 膝が円を描くように後方に回します。勢いを付ける必要はなく、むしろゆっくりと行う方が、太ももの筋肉(大腿四頭筋)の鍛えにも繋がります。できる限り大きく円を描き、元の位置に戻ったら反転します。前後6回ほど回したら、足を変えて他方の足でも同じことを行います。
 慣れてきたら、上記のセットを、2回、3回と行います。ある年配の女優さんは、これを毎日、全部で50回(セットではない)もやっていると言っていました。その女優さんは、年齢の割に若く見え、姿勢もスキッとしています。
 股関節など、関節に痛みがあると途端に老けてしまいますので、心して関節の衰えを抑えるようにしています。

■【今日のおすすめ】

 【経営コンサルタントへの道】6. 経営コンサルタントになるための資格取得 1.コンサルタント資格

「ながら方式」でコンサルタントとしてテイクオフ
 「コンサルタント=中小企業診断士」と思い込んでいらっしゃって、中小企業診断士資格を取ってからでなければ、コンサルタントになれないと考えている人が多いです。
 私は、「ながら方式」をお薦めしています。「サラリーマンを続けながら」など「××をやりながら」コンサルタントとしての仕事を体得していく方法で、完全テイクオフまでの力をため込んでいけば、テイクオフ後がスムーズになると考えます。
 ただし、企業によっては副業を認めていないところが多いですので、その場合には、日本経営士協会のようなコンサルタント団体に入会して、プロと接しながら、準備を進めて行けばよろしいと考えます。

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【知り得情報】
 「経営とは、環境対応業である」という名言は、私の先輩コンサルタントが残してくれた言葉です。
 その経営環境は、めまぐるしく変化します。政府や自治体も、その変化に対応できるように中小企業向けの各種施策を提供しています。ところが、その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去には焼け石に水かも知れませんが、仕入れた情報をときどきご紹介します。
 重複してお届けすることもありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

◇《セミナー》中小企業向けオンライン研修2025年度申込受付開始
 中小企業大学校web校では、web会議システムを利用した、リアルタイムの双方向通信で行う、少人数制オンライン研修「WEBee Campus」2025年度全133コースの開講を予定し、申込受付中です。
[場 所] オンライン (Zoom)
[受講料] コースにより異なります
 詳しくは以下のサイトをご覧下さい
https://webeecampus.smrj.go.jp/informations/20230116-2-3/
  出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

  誰が大福帳から簿記にしたのでしょうか? 210

 簿記は、経理会計の基本です。

 経営コンサルタントを目指す人でさえ、簿記は苦手といいますので、多くのビジネスパーソンも同様ではないでしょうか。

 しかし、借り方とか仕方の関係がわかると、決算書を読めるようになったり、経営数字がなんとなくわかるようになります。


 簿記を日本に持ち帰ったのは、咸臨丸で渡米した福沢諭吉翁の持ち帰った本の翻訳が契機と言われています。

 慶應義塾大学を創設するなど、明治時代に多くの功績を残しています。

 慶応だけではなく専修大学、一橋大学、神戸商業高校など多くの学校の創設にも寄与しているのですね。(【Wikipedia】)

 北里研究所、東京大学医科学研究所などの研究機関の創設にも関与し、日本学士院の初代会長も務めています。(【Wikipedia】)

 明治六大教育家の一人としても数えられています。

 因みに六大教育家の他の5人は、以下の人達です。(【Wikipedia】)

  大木喬任   おおきたかとう
   文部卿として近代的な学制を制定

  森 有礼   もりありのり
   明六社の発起代表人
   文部大臣として学制改革を実施

  近藤真琴   こんどうまこと
   攻玉塾を創立
   主に数学・工学・航海術の分野で活躍

  中村正直   なかむらまさなお
   同人社を創立
   西国立志編など多くの翻訳書を発刊

  新島 襄   にいじまじょう
   同志社を創立、
   英語・キリスト教の分野で多くの逸材を教育
   NHK大河ドラマで奥さんの八重さんが一層有名に

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

  >> もっと見る

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0211 明恵 鎌倉時代前期の華厳宗の僧で、私達の生活に関連あることを・・・

2025-02-11 06:33:00 | 【話材】 きょうの人02月

 

  【きょうの人】 0211 明恵 鎌倉時代前期の華厳宗の僧で、私達の生活に関連あることを・・・

 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 明恵 鎌倉時代前期の華厳宗の僧で、私達の生活に関連あることを・・・211

 みょうえ
 承安3年1月8日(1173年2月21日) - 寛喜4年1月19日(1232年2月11日)
 幼名:薬師丸、号:明恵房(房号) 諱:成弁→高弁 尊称:明恵上人、栂尾(とがのお)上人 宗旨:華厳宗

 鎌倉時代前期の華厳宗の僧

 紀伊国有田郡(現:和歌山県有田川町)に生まれ、幼くして高雄山に登り、華厳、倶舎などを学びました。

 その後、諸寺に遊学し、密禅の諸教に通じるようになりました。

 華厳宗第十七世の法脈を嗣ぎ、後鳥羽上皇の勅により、栂尾山を賜りました。鳥獣戯画で有名な高山寺に晩年を過ごし、そこで歿し、廟は高山寺禅堂院にあります。

 代表的な著作として「摧邪輪」がありますが、その他多数をちょしています。

 栄西請来の茶の種子を栂尾にまき、茶の普及の契機をなしたことは有名です。高山寺には、日本で最初の茶畑があります。


【Wikipedia】 明恵

 承安3年(1173年)1月8日、高倉上皇の武者所に伺候した平重国と紀伊国の有力者であった湯浅宗重四女の子として紀伊国有田郡石垣庄吉原村(現:和歌山県有田川町歓喜寺中越)で生まれた。幼名は薬師丸。

 治承4年(1180年)、9歳(数え年。以下同様)にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に文覚の弟子で叔父の上覚に師事(のち、文覚にも師事)、華厳五教章・倶舎頌を読んだ[1]。16歳で出家し、文治4年(1188年)、東大寺で具足戒を受けた。法諱は成弁(のちに高弁に改名)。仁和寺で真言密教を実尊や興然に、東大寺の尊勝院で華厳宗・倶舎宗の教学を景雅や聖詮に、悉曇を尊印に、禅を栄西に学び、将来を嘱望された。20歳前後の明恵は入門書の類を数多く筆写している。

 

■ 伊能忠敬 日本の正確な姿を明らかに

 いのう ただたか
 延享2年1月11日〈1745年2月11日〉-文化15年4月13日〈1818年5月17日〉

 江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家
 通称は三郎右衛門(さぶろえもん)、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。

 上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家に生まれました。後に伊能家の養子に入ります。

 忠敬が入婿した時代の佐原村は、利根川を利用した舟運の中継地として栄え、人口はおよそ5,000人という、関東でも有数の村でした。伊能家は、その村民の中でも特に経済力があり村全体に大きな発言権を持っていました。伊能家は酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいたほか、利根川水運などにも関わっていました。

 田沼意次は、幕府の収入を増やすため、利根川流域などに公認の河岸問屋を設け、そこから運上金を徴収する政策を実行しました。明和8年(1771年)11月、佐原村も、河岸運上を吟味するため、名主・組頭・百姓代は出頭するよう通告されました。

 佐原は利根川から十四、五町も離れていて、河岸問屋もなかったのですが、ようやくやりたいという人物が表れ、江戸との交渉役に忠敬は江戸へ出向くなど、村のためにも活躍しました。

 忠敬は、名主にも推挙されたのですが、天明3年(1783年)、浅間山の噴火などに伴って天明の大飢饉が発生し、佐原村もこの年、米が不作となり、そこでも手腕を振るいました。

 一方で、忠敬は暦学に興味を持っていて、江戸や京都から暦学の本を取り寄せて勉強したり、天体観測を行ったりして日々を過ごしていました。長男景孝に家督を譲り、店の仕事を任せるようにしました。次のような家訓をしたためて景敬に渡したといわれています。
 第一 仮にも偽をせす孝弟忠信にして正直たるへし
 第二 身の上の人ハ勿論身下の人にても教訓異見あらは急度相用堅く守るへし
 第三 篤敬謙譲とて言語進退を寛容に諸事謙り敬み少も人と争論など成べからず

 寛政7年(1795年)、50歳の忠敬は江戸へ行き、忠敬は、当時の暦の権威者である高橋至時の弟子となりました。50歳の忠敬に対し、師匠の至時は31歳でした。昔の中国の暦『授時暦』が、実際の天文現象と合わないことに気づいていた忠敬が、その理由を江戸の学者たちに質問したときに、唯一回答できたのが至時だったので師事したという話が伝えられています。

 忠敬は寝る間を惜しみ天体観測や測量の勉強をしていたため、「推歩先生」(推歩とは暦学のこと)というあだ名で呼ばれていたという逸話もあるほどです。師至時は、暦法『授時暦』やティコ・ブラーエやケプラーの理論にも通じていました。

 寛政8年(1796年)9月からおよそ1年半の間、至時は改暦作業のため京都に行くことになり、その間は間重富が指導につきました。その時に天体観測についても教えを受けたのです。観測技術や観測のための器具について精通していた重富を通じて観測機器を購入し、自宅に天文台を作り観測を行いました。取り揃えた観測機器は象限儀、圭表儀、垂揺球儀、子午儀などで、質量ともに幕府の天文台にも見劣りしなかったそうです。

 蝦夷地では帝政ロシアの圧力が強まり、アダム・ラクスマンが根室に入港して通商を求めたり、択捉島上陸事件などが起こったりました。瀑布は、蝦夷地の調査を行わせ、堀田仁助には蝦夷地の地図を作成させました。

 これらを契機として、忠敬にも命が下り、寛政12年(1800年)閏4月19日、自宅から蝦夷地へ向けて出発したのです。辛苦の地図作成作業が始まり、蝦夷地から種子島などまで南下し、文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国の測量を果たしました。間宮林蔵などの樺太測量などとあわせて、没後、『大日本沿海輿地全図』が完成され、国土の正確な姿を日本地図として明らかにしたのです。

 1818年、74歳の生涯を閉じました。1883年(明治16年)、正四位を授かっています。
 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【今日は何の日】 2月11日 建国記念の日 例祭・紀元祭

2025-02-11 00:03:00 | 【今日は何の日02月】

 

  【今日は何の日】 2月11日 建国記念の日 例祭・紀元祭

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 建国記念の日

 今日は、建国記念の日、親の代の人には紀元節といったほうがわかりやすいようです。しかし、この両者は明確に区別されています。

 1966年に建国をしのび、国を愛する心を養う日として「政令で定める日」として制定されましたが、当時の文部省(現文部科学省)は、「建国の日ではなく建国を記念する日である」ことを強調し「建国記念日」とせず、「建国記念の日」と表現しました。

 紀元節は、日本の建国を祝うお祭りですので、建国記念の人は異なると言うことです。ここに当時のお役人の苦労が覗えます。因みに紀元節は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされるている日が2月11日であることからこの日を紀元節に当てたようです。

 日本では、「国旗を大切にしよう」などと言うと「あいつは右翼だ」などと言われそうですが、私が学んだアメリカでは小学校をはじめとして教室正面に国旗を掲揚しているのが一般的です。そこに愛国心をいしきさせているのです。

 日本では、そのようなことを積極的にしようとする教師はごくまれでしょうし、それを実行する教師は皆無と言っても良いでしょう。サッカーなどの国際試合に一喜一憂する様子を見ると愛国心がないわけではないでしょう。
 
■ 例祭(紀元祭・きげんさい)

 毎年2月11日に、勅使参向のもとに行われます。1年を通じて行われる祭典のうち、最も重要なお祭りで、建国記念の日の起源にもなっています。

 樫原神宮の御祭神は神武天皇です。建国創業の御神徳を景仰する国民的祭典で、数千名に及ぶ参列者があります。

樫原神宮】サイトより ←クリック

 畝傍山の南東麓、約50万平方メートルもの広大な神域に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき=檜の樹皮を屋根に使ったもの)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿が、玉砂利の参道と背景となる深い森の緑に調和して、なんともいえない爽やかさと、厳かな雰囲気を生み出しています。
 初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、明治23年(1890)に建てられました。本殿と文華殿は重要文化財に指定されています。
 祭神は神武(じんむ)天皇とその皇后・媛蹈?五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)です。本殿は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。橿原市を代表する橿原神宮(かしはらじんぐう)で、本殿と神楽殿を訪ねると日本の伝統的な建築美に出会うことができます。

(ドアノブ)

【経営者・管理職の皆様へお勧めブログ】 

 ◇ 心 de 経営

 ◇ 経営マガジン 

 ◇ 経営コンサルタントの独り言

 ◇ 経営四字熟語

 ◇ 経営コンサルタントの使い方                 

 ◇ 経営コンサルタントからのメッセージ

 ◇ 経営トップ十五訓

 ◇ 杉浦日向子の江戸塾

 ◇ ニュース・時代の読み方

 ◇ 時代の読み方・総集編

 ◇ 経営コンサルタントの本棚

 ◇ 写真・旅行・趣味

 ◇ お節介焼き情報

 ◇ 知り得情報

 ◇ 健康・環境

 ◇ カシャリ!一人旅

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする