【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部の見学 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部の見学 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物
旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。
明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。
愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。
何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。
現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。
特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。
池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。
鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。
園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。
植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。
睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。
別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。
別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。
しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。
廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。
■ アクセス
JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)
JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分
盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分
所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366
駐車場: 有り(無料)
開園時間 午前9時~午後5時
入園料 無料
【 コメント 】
独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。
公民館サイト
https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html
冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。
私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。
なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。
隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。
なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。
とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。
旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。
この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。
同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。
左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸
明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、
明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。
近代に入り、公民館として利用されていましたが、
昭和55年に中央公民館が新築されました。
現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。
もともとは左の方にも建物があったのですが
現在は、中央公民館となっています。
玄関を上がったところの部屋
欄間が黒枠でキリッと引き締まっています。
武田菱が着いていますので、甲斐との交流もあったのでしょう。
玄関横の控え室
アーチ型の欄間と、奥の控え室のしゃれたシャンデリア
ガラス成形技術が現代ほど出ないために
奥の控え室の窓がゆがんで見えます。
われながら、うまく撮れたと自己満足。
大広間に続く広廊下
左が大広間
大広間
係の人が襖と障子を開けてくださいました。
右の広廊下と広縁、その先が庭園
広い廊下
正寺の外側に広縁があり、
昔は障子がなく廊下として広く使っていた
広縁
上述のように広廊下とつながり、
かつては畳も敷かれ、幅広の廊下であったそうな。
大きな床の間
左右がほぼ同じ高さの違い棚
格子天井
玄関車寄せ天井と同様に、木目が美しい
大広間から日本庭園を望む
大広間から奥の和室を見る
二方を障子に囲まれた和室
大広間・和室裏の廊下
関連写真を下記でご覧いただけます。
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm