経営コンサルタントへの道

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【カシャリ!ひとり旅】京都 龍源院 大徳寺塔頭のひとつで南派本庵、枯山水庭園

2023-06-15 09:28:47 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都 龍源院 大徳寺塔頭のひとつで南派本庵、枯山水庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

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■■ 龍源院(りょうげんいん) 大徳寺塔頭のひとつで南派本庵、枯山水庭園 

 

■ 大徳寺

 

 大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号します。龍源院は、大徳寺の塔頭の一つである。
 大徳寺は、鎌倉時代末期の正和4年(1315)に、大燈国師宗峰妙超禅師が開創となりました。

 室町時代には応仁の乱で荒廃したのですが、一休和尚が大徳寺を復興し、桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営むほどの重要なお寺となりました。信長の菩提を弔うために秀吉が総見院を建立したり、寺領を寄進したりし、それが契機となって、戦国武将が競うように塔頭の建立をしました。大徳寺も隆盛を極めていくようになりました。

 大徳寺は、勅使門にはじまり、山門、仏殿、法堂(いずれも重文)に続き、方丈(国宝)が南北に並んでいます。その他を併せて「七堂伽藍」が完備しています。

 特別名勝・史跡となっている大徳寺の方丈庭園は、江戸時代初期を代表する枯山水の一つです。方丈の正面に、聚楽第から移築された国宝・唐門があります。方丈内にある襖絵八十余面は重要文化財で、狩野探幽筆であると伝わっています。

 

■ 龍源院(りょうげんいん) 大徳寺塔頭のひとつで南派本庵、枯山水庭園

 

 龍源院(りょうげんいん)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の、大本山大徳寺の塔頭のひとつです。ご本尊は、釈迦如来で、大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている重要な塔頭のひとつと数えられています。

 文亀2年(1502年)に、東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登守護の畠山義元、豊後守護の大友義長、周防守護の大内義興らが創建しました。創建年次については永正元年(1504年)など諸説ありますが、。大徳寺の塔頭の中では最も古いものです。

 寺号の由来は、大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と中国・臨済宗松源派の祖・松源崇嶽(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承し、臨済宗で唯一残っている松源一脈の「源」の2文字を採ったものといわれています。

 明治時代の初めに大阪・住吉大社内の慈恩寺と、岐阜県・高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併して今日に至っています。
 

■ アクセス

電車・バス
 市バス1、12、204、205、206、北8、M1号系統「建勲神社前(けんくんじんじゃまえ)」または「船岡山(ふなおかやま)」バス停にて下車。
<京都駅からバスに乗車>
 206(右回り)号系統 「京都駅前」(A3のりば)から「船岡山」または「建勲神社前」まで、40分弱。
 市内交通事情はよくないですが、206は、比較的流れのよいコース

 

 

龍源院は「りゅう」ではなく「りょうげんいん」と呼びます。

大徳寺の塔頭は、北派と南派があり

龍源院は、南派の筆頭(本庵)の塔頭

表門(重要文化財)
 永正14年(1517年)頃の建立で、切妻造・桧皮葺の四脚門です。

庭園「滹沱底(こだてい)」
 「阿吽の庭」とも呼ばれています。
 宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭です。阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれます。

方丈南庭「一枝坦(いっしだん)」
 1980年(昭和55年)に、当時の住職が作庭した枯山水庭園です。
 東渓禅師が、師である実伝和尚から賜った

「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名付けられました。

丸くかたどった大きな苔の島に、石が立つ亀島が印象的な斬新な庭です。

苔の島「亀島」

 

開祖堂と開祖堂前庭「鶏足山」
 開祖・東渓禅師の塔所となっている

一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、

南北朝時代・鎌倉時代・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れた

昭和の代表作です。

方丈北庭「龍吟庭(りょうぎんてい)」
 方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、

相阿弥の作庭といわれています。
 中央の石組は須弥山を表し、

青々とした杉苔は洋々たる大海を表しています。

三尊石組

室町時代を代表する枯山水庭園様式

庭園「東滴壺(とうてきこ)」
 方丈と庫裏との間の狭小な空間につくられた壺庭です。
 1960年(昭和35年)、

鍋島岳生(なべしまがくしょう)によって作庭された

現代壺庭の傑作です。

白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されています。

日本最小の庭園といってもよいでしょう。

 

方丈(重要文化財)
 龍源院の本堂で、永正14年(1517年)頃の建立です。

一重入母屋造・檜皮葺の建物で、日本の方丈建築としては古例の一つです。
 如拙門下周文の弟子等春の襖絵があります。

室中(しっちゅう)襖絵の龍図は、作者や制作年代は不明ですが、

桃山時代から江戸時代の作といわれています。

 

カメラ サイト写真集

 

 ナレーションつき映像

準備中

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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