【カシャリ!ひとり旅】 青森県青森市 三内丸山遺跡 1 竪穴住居等復元建物
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 青森県青森市
青森市は、青森県の県庁所在地です。港まち・商いのまち・交通の要衝として発展してきたまちです。
八甲田連峰や陸奥湾などの美しい自然に囲まれ、四季折々の景観、果実や鮮魚などの豊かな食材に恵まれています。浅虫や八甲田山麓をはじめ市内に点在する豊かな温泉のある市でもあります。
日本を代表する火祭り「青森ねぶた祭」や特別史跡の三内丸山遺跡、浪岡城跡など、貴重な文化や歴史のある魅力的な街です。
近年は、北海道新幹線の札幌延伸、国際定期チャーター便の就航や大型クルーズ客船の寄港地として、広域観光のゲートウェイの役割がますます高まってきています。
■ アクセス
新幹線 東京から約4時間
空路 東京から約3時間半
青森空港から車で約30分、バス利用で約40分
高速バス 東京から約10時間30分
車 東北自動車道青森I.Cから車で約20分
■ 私のカシャリひとり旅
3泊4日の下北半島/青森市内の旅の後半で、青森市をビジネス目的を除くと10数年ぶりの訪れとなります。
下北半島大湊で朝を迎えました。朝から天気予報通り雨でした。
青森へ移動のため、JR大湊線、大湊08:09発の2両編成のディーゼル車快速で、野辺地09:02着、青い森鉄道09:43発、青森1031着の二時間半弱の移動でした。列車の本数が少なく、快速ではないこともありますので、スケジュールには注意が必要です。
■■ 三内丸山遺跡 1 ■■
ホテルに荷物を預けて、市営バスで三内丸山遺跡に向かいました。
予定では、県立美術館にもよるつもりでしたが、館内入れ替え作業のために閉館でしたので、三内丸山遺跡での時間を長めに採り、時折強い風雨の中、回りました。
特別史跡 三内丸山遺跡
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
平成4年から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期(約5500年前~4000年前)の大規模な集落跡が見つかりました。
竪穴住居跡、盛土、掘立柱建物跡、大人や子どもの墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しました。
平成12年11月に、国の特別史跡に指定され、平成15年には出土した遺物1958点が国の重要文化財に指定されました。
名称 特別史跡 三内丸山遺跡
住所 青森県青森市三内丸山305
電話 017-781-6078
営業時間 9時~17時(6~9月は~18時)
料金 (常設展)一般:410円、高校生・大学生:200円、中学生以下:無料
定休日 第4月曜日、12月30日~1月1日
アクセス 市営バス20分
車 青森ICより車で約5分
青森空港から車で約30分
三内丸山遺跡の入口建物
吉野ヶ里遺跡を連想していましたが、
想定していた以上の入口設備に
正直、驚くほど立派な建物でした。(失礼)
一日に何回かボランティアさんのガイドツアーがあります。
雨が降っている日には、長靴を無料貸出しする
サービスもあります。
遺跡ジオラマ
8分間に要約されたビデオ映像で基礎知識を入れ、
ここは縄文中期の比較的安定した時代であることを学びました。
大規模の集落遺跡について
盛土
竪穴建物や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器・石器などの生活廃棄物がでます。
それが盛られ、周囲より高くなり、最終的には小山のようになりました。土砂が水平に堆積しているので、整地されたのでしょう。
中から大量の土器・石器の他に、土偶やヒスイ、小型土器などまつりに関係する遺物がたくさん出土しています。
縄文時代の住居は地面を掘り込んで床を造りました。
中央には炉があります。
住居の平面形や柱の配置、炉の位置や構造は
時代によって異なります。
竪穴住居
定期的に燻蒸するそうです。
運良く、その場を見ることができました。
大型竪穴建物跡
長さが10メートル以上のものを大型住居跡と呼びます。
大型竪穴建物 復元
三内丸山遺跡では最大のもので長さ約32メートル、
幅約10メートルのものが見つかっています。
集落の中央付近から見つかることが多く、
集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。
大型竪穴建物 復元内部
三内丸山遺跡の象徴的な建物ですが、
どのような建物であったのか、
壁や屋根はあったのか
床は間隔の開いた板張りだったのか
等々、研究者の意見は分かれているそうです。
6本柱の基礎遺構
地面に柱穴を掘り、柱を建てて屋根を支えたものと考えられます。
集落の中央、南盛り土西側などから密集して見つかりました。
<続く>
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm