【経営コンサルタントの独り言】 勝海舟と福沢諭吉 二人の関係は? 113
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■ 勝海舟と福沢諭吉 113
江戸幕末期、勝海舟や福澤諭吉翁らを乗せた軍艦「咸臨丸」が、江戸幕府の遣米使節として品川沖を出航しました。
福沢諭吉翁の渡米は、明治になってからと思っていらっしゃる方が多いです。ところが、このときに「奉行従者」という身分で咸臨丸に乗船していたのです。
偉そうにこのように記述しています私も、大学に入るまでは江戸時代にすでに渡米していることを知りませんでした。
その時に同行した通訳がジョン・万次郎、本名中濱萬次郎であることはよく知られています。
万次郎は土佐の半農半漁の家に生まれ、14歳の時に漁の途中で遭難しました。伊豆諸島の無人島鳥島に漂着し、143日間の生活をしていましたがアメリカの捕鯨船に救助され、そのままアメリカに連れて行ってもらったのです。
子供の頃、日本のロビンソン・クルーソーとして伝記を読んだ記憶は、143日という数字まで覚えているのですから、私にとっては印象的だったのでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/c409625b1efb9c0cb7f0fa0114af46bd
福澤諭吉は、『瘠我慢の説』という公開書簡を通じて、勝海舟の批判者であったこともまた、あまり知られていません。
戊辰戦争最中、清水港に徳川方の戦死者が放置されたことがありました。清水次郎長が彼らを埋葬したことで男を上げたことはよく知られています。榎本武揚の名で、戦死者の慰霊の石碑が清見寺に立てられたのですが、それを見て諭吉翁が激怒したという記録があります。
「食人之食者死人之事」という碑文が気に入らなかったようです。この意味は、「徳川幕府に仕え、世話になった者は、徳川家のために死す」という意味です。
勝海舟と福沢諭吉は、咸臨丸では呉越同舟だったのですね。
(ドアノブ)
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