■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ 江戸のおしゃれ 25
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■ 江戸のおしゃれ 25
江戸時代に庶民が着ている物は、江戸と上方はもちろんのこと、時代的に前期と後期でも大きく異なります。江戸の人が上方に旅をすると、例え着ている物を急いで着替えても、上方ですぐに「関東者」ということがバレバレです。
江戸では、享保年間(1716~1736)を境に変化をしました。それまではもっぱら上方の真似でしたが、享保以降は、着こなしも髪型も大きく変化をしました。化粧法もまたしかりです。
上方では着る物はきっちりと着つけをしましたが、江戸では、はだらしく着て前がはだけてしまいました。着物の仕立ても、打ち合わせが浅いことも一因です。女も懐手をすることが多く、胸もはだけてしまいます。
柄の好みも江戸と上方では異なりました。上方の女性はきれいな色が好きでした。それに比べて江戸の女性は、どちらかというと渋めの柄を好んだ用です。
「赤ぬける」という言葉があり、「赤なしで勝負する」という意味から江戸っ子は、「赤は身につけないぞ」と粋がり、「赤い色などを身につけなくても、色気が出るようにする」のが、江戸の風習です。
「垢ぬける」というのはここからきているようです。ただし「垢抜ける」という言葉は、もともとは「体を磨き込んで垢のない体にする」という意味です。
もちろん、女性にとっては、最後は赤が「決め色」です。「今日こそは・・・」という、ここ一番では赤い紅をさしたり、赤い下着をつけたりして挑みます。すなわち勝負のときのために、「赤」はとっておく、奥の手なのです。
赤は江戸時代の女性の決め色ですが、男性の決め色は紫です。紫の襟をチラッと出すのが、粋な男の身だしなみです。
着物姿の女性の赤い蹴出し(腰巻きの上に着る下着)がチラチラするのは、男性にはドキッとすることがあるのではないでしょうか。残念ながら江戸の女性は赤ではなく、無地の袖や裾からチラッと見えるのは水色なのだそうです。ただし、その道の女性は赤を使います。
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