経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【きょうの人】 1121 ■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範 ■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない

2023-11-21 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1121 ■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範 ■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない  ■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範


 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西?9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)


長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。


 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)

  吉田松陰関連ページ

 

■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない


 いっきゅうそうじゅん
 明徳5年1月1日(1394年2月1日) - 文明13年11月21日(1481年12月12日)


 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、誰もが知っている説話のモデルとしても知られています。

 出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されています。

 母親の出自は不明ですが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられています。三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。

「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、華叟より一休の道号を授かりました。

 正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位しましたが、この即位には一休の推挙があったといわれています。

 戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになりました。

 名言「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

 巷では、「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」といいますが、やはり[門松]がただしいようです。

 

■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家


 あいづ やいち、會津 八一
 1881年〈明治14年〉8月1日-1956年〈昭和31年〉11月21日)


 日本の歌人・美術史家・書家で、雅号は、秋艸道人、渾斎です。

 歌碑が、奈良・薬師寺の西塔のふもとに建っています。

 新潟県に生まれ、中学生の頃より『万葉集』や良寛の歌に親しみました。東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、その影響も受けたようです。

 この頃すでに「東北日報」の俳句選者となり、卒業論文にはキーツをとりあげ、英文科卒業しました。卒業後は、私立有恒学舎(現:新潟県立有恒高等学校)の英語教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論を残しました。

 1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなりました。

 坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の英語教員となり上京、早稲田カンレンの教育者として、英語だけではなく美術史関連の講義もおこないました。

 研究のためにしばしば奈良へ旅行し、1933年に仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫)が刊行され、この論文で文学博士の学位を受けました。

 妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られ、津田事件に巻き込まれたりもしています。

 同僚であり歌人でもある窪田空穂とは二十数年にわたって親交を結ぶ友でした。

 終戦後新潟に戻り、1951年に新潟市名誉市民となりました。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】  ピザでカルチャーショック b20

2023-11-20 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言11

【経営コンサルタントの独り言】 ピザでカルチャーショック b20

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ ピザでカルチャーショック b20

 私が始めてアメリカに行ったときに、ランチにピザ屋さんに入った時のことです。

 一人切れだけでは申し訳ないと思って、二種類を注文しました。

 そうしたところ、あまりにも大きなピザが出てきたので、ビックリポンでした。

 もちろん、二切れのそれぞれ半分ほども食べられませんでした。

 家族旅行でアメリカに行ったときに、ピザ屋さんに入ったときのことです。

 ピザ職人さんが、生地をこね、それを平にのし棒でのばした後のことです。

 そのセンターに人差し指を当てて頭上より高く持ち上げ、グルグルと回し始めたのです。  遠心力で次第に薄くなり、直径が、50cmほどもあったのです。

 それを目の前で焼いてくれました。

 子供達は、眼を丸くしてその光景を見ていました。

 過去の失敗経験がありますので、注文は家族4人で一枚でしたが、食べきれなかったのです。

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

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■■【健康・環境】 懸念が進む北極圏の温暖化 12a13

2023-11-20 12:03:00 | 健康・環境

■■【健康・環境】 懸念が進む北極圏の温暖化 12a13

 2005年2月16日に「京都議定書」が発行しましたが、グローバルに見回しても一向に地球温暖化への気運が高まっていません。それどころか、自国の事情を背景に、自国擁護の動き優先で、一向に温暖化防止への動きが見られません。

■ 懸念が進む北極圏の温暖化

 だいぶ前のことになりますが、NHKの室山哲也解説委員が、北極の異変について警告していました。

 すでにいろいろなメディアで報じられているように、今年の夏は、北極海氷面積が観測史上最小を記録しています。当然、これは地球全体の環境にも深刻な影響を及ぼすでしょう。

 1980年の北極と比較しますと、大きく衰退し、今までの最少の2007年と比べても日本の面積2個分がさらに減少しているという深刻さです。

 北極の氷は「多年氷」(越年氷)と「一年氷」(一年でとける氷、平たく割れやすく溶けやすい)があります。室田氏の懸念は、ことしはほとんどが一年氷であることです。効率の質が悪化したといえます。

 皆さんもご覧になったことがあると思いますが、ホッキョクグマが氷の上に乗ったまま漂流したシーンがあります。これがその現象の代表的なものです。

 南極の場合は、北極ほど深刻ではないですが、北極は氷の厚みが南極に比べて極端に薄いことです。

 原因は地球温暖化ですが、それに他の要因が重なって、加速度的変化が起きているといいます。

 温暖化で氷の一部に隙間ができますと、そこがきっかけになって氷が移動を始め、それが海流に乗って回転運動となります。その結果、それがポンプの役割をして、あたたかい太平洋の海水を北極海の奥深くに呼び込み、氷ができにくい傾向になっていっていると、室田氏は解説しています。

 北極と南極の氷は、太陽光線を跳ね返し、一種のラジエーターの役割を果たしていて、地球の気候を安定させています。北極の氷がなくなりますと、地球全体の気候のバランスが崩れ、予期せぬ影響が懸念されるのだそうです。

 また北極海の海水が温められますと、海流も強くなります。すると、周囲の環境や生態系にも影響をあたえるといいますので、日本への影響も考えられるわけです。

 一方で、北極海に氷の隙間ができることで、すでに「北極航路」の開拓をすすめている国もあるようです。

 今まで南回りの長距離を航海していた船が、進路を変えて北極航路を利用しますと、燃料も節約でき、温室効果ガスの排出も減るといいます。温暖化が、皮肉なメリットを引き起こすことになります。

 北極圏には資源もあります。石油が世界の1/4、天然ガスが世界の30%といわれているのです。各国がこの資源に目をくらませ、資源の収奪競争をはじめますと、今までと同じように大量に化石燃料を燃やすことになり、地球温暖化をさらに悪化させることが懸念されます。

【 コメント 】

 砕氷船を持つ日本が独自研究をし、北極海の異変の影響を科学的に調査するなど、国際貢献をして、日本の存在感を高めることも必要ではないでしょうか。


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月19日 江戸女性とお酒 20

2023-11-20 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月19日 江戸女性とお酒 20

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 最近、周囲に介護保険の世話になる人が増えてきたように思えます。

 それだけ、自分も年齢が高くなってきたということなのでしょう。

 自分がその様になってしまったら、どうなるのだろうかと考えますと、今からそれなりの覚悟をしておく必要性もあります。

 そのようにならないようにするには、体力をつけることはもちろんのこと、怪我をしないことも重要な要素のように思えます。

 話を聞きますと、転倒などで骨折したことが原因というような怪我が引き金になっていることが多いようです。

 粗忽者の私が、大きな怪我もせずに今日まで来られたことは、奇跡的なのかも知れません。

 それに感謝するとともに、一層の注意を払うようにしようと改めて意を決しました。

 

 かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々、江戸に関する書籍を手に取ります。

 

◆【杉浦日向子の江戸塾】 江戸女性とお酒 20

 

 三行半は女性がたたきつけるモノであることを当ブログでも紹介したとおり、江戸の女性は強かったのです。

 花見などと言うと大ぴらに飲めたのです。

 家でも結構飲む女性が多く、いわゆる「キッチン・ドリンカー」はすでにこの頃から始まっていたのです。

 主人が仕事で外出するのを送り出すと、魚屋を呼んではサクで生魚を買い、若い魚屋を相手に、茶碗酒を楽しんだりしていた女性もいたというのですから、現代よりすごい状況だったのですね。

 

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 中小企業の強化は営業から b19

 

 「中小企業だから大企業には太刀打ちできない」とか「景気が悪いからしかたがない」とかいうマイナス思考の発想をしていては、企業は成長しないと思います。
  月並みな表現ですが、「大企業ももとは中小零細企業」でした。
  景気が悪いのは、自分の会社だけではなく、他社にとっても同じ条件です。
  他社と同じことをやっていては、変化は生まれません。
  しばしば「逆境や厳しい経営環境は成長のチャンス」と言われます。
  どん底が「不況」なら、どん底の経営環境を普通と考え、それを「普況」とできるように起業を強くすれば良いのです。
 「普況」と「不況」の含蓄が解る経営者・管理職は、その会社には「富況」が訪れるでしょう。
  昨日のブログの「中小企業を強くする第一歩は?」をよく読み、「中小企業の強みを活かせ」を励行し、3つめのキーワード(ブログをご覧下さい)を実践できるようにすれば、あなたの会社に富況が訪れるでしょう。

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1120 幡随意上人 徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務む

2023-11-20 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

【きょうの人】 1120 幡随意上人 徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務む

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 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 幡随意上人 徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務む


 ばんずいい
 天文11年10月15日(1542年11月21日)- 慶長20年1月5日(1615年2月2日))


 戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧で、紀伊(相模国という説もあり)の出身です。号は「白道演蓮社智誉(向阿)」

 9歳の頃から出家の志があり、11歳の歳には玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号しました。

 その後、鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学びました。

 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となります。

 慶長8年1603年には、ふたたび家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創しました。後に上州館林に善導寺を開き、中興開山となりました。

 慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くしました。和歌山の万性寺を開創後、慶長20年に入寂、74歳でした。(【Wikipedia】を基に作成)

 

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◆【経営コンサルタントの独り言】 中小企業の強化は営業から b19

2023-11-19 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言11

 

  【経営コンサルタントの独り言】 中小企業の強化は営業から b19

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

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■ 中小企業の強化は営業から b19

「中小企業だから大企業には太刀打ちできない」とか「景気が悪いからしかたがない」とかいうマイナス思考の発想をしていては、企業は成長しないと思います。
  月並みな表現ですが、「大企業ももとは中小零細企業」でした。
  景気が悪いのは、自分の会社だけではなく、他社にとっても同じ条件です。
  他社と同じことをやっていては、変化は生まれません。
  しばしば「逆境や厳しい経営環境は成長のチャンス」と言われます。
  どん底が「不況」なら、どん底の経営環境を普通と考え、それを「普況」とできるように起業を強くすれば良いのです。
 「普況」と「不況」の含蓄が解る経営者・管理職は、その会社には「富況」が訪れるでしょう。
  昨日のブログの「中小企業を強くする第一歩は?」をよく読み、「中小企業の強みを活かせ」を励行し、3つめのキーワード(ブログをご覧下さい)を実践できるようにすれば、あなたの会社に富況が訪れるでしょう。

ドアノブ)

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■■【お節介焼き情報】 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道

2023-11-19 12:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報

■■【お節介焼き情報】 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道
 ~ 経営コンサルタントを使いこなせない社長は引退せよ ~

 経営環境のグローバル化や技術革新の収束な発展で、経営者は従来の延長線上での経営ではやって行けない時代になりました。

 このような時には、スピーディな経営意思決定により、臨機応変な時代対応の経営ができなければなりません。

 新興国の急速の発展には、社内だけのでの人材では追いつかなくなってきています。世界中の先進国は、社外取締役を活用するのが当たり前な時代です。

 なぜならば、社内だけの人材では、見えるものが見えなくなってしまっているのです。これを「新幹線理論」と呼んでいます。

 高速に走る新幹線では、車内を見ていると高速で移動中であることがわかりません。ところが一旦目を窓外に転じますと、景色が次々と変化し、高速移動中であることを実感します。

 社外取締役が必要であることがわかりましても、では、何処で見つけ、誰が自社に最適なのか、ということになると結構わからないものです。

 例え社外重役が見つかっても、今までのように社員とは異なる人材ですので、どの様に使ったら良いのか、わからないものですし、難しい面もあります。

 ある経営者は、自分が連れてきた社外重役である経営コンサルタントに、社長としての座を追われて、常務が抜擢されてしまったということもあります。

 一方で、社外重役を入れたとたんに、社員の姿勢が変わり、業績がV字回復したという企業もあります。社長の座を追われるのが怖くて、社外重役を入れられない社長が板としたら、即刻引退すべきではないでしょうか。

 転ばぬ先の杖、それがこのブログのめざすところです。


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月18日 2章 ウォーキングの方法5 ひざ上げ歩行で大腿四頭筋を強化

2023-11-19 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月18日 2章 ウォーキングの方法5 ひざ上げ歩行で大腿四頭筋を強化

 

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 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 日本で最初に設立されたコンサルタント団体である日本経営士協会の依頼でクリティカル・シンキングの講習講師を務めました。

 老いぼれコンサルタントにとっては、喉が持つかどうかがクリティカル・ポイントです。

 幸い、杞憂に終わり、ホッとしています。

 

 今朝の早朝ウォーキングで、自分でどの様にやっているのか反復してみました。

 

◆2章 ウォーキングの方法

 早朝ウォーキングといいましても、ただ漫然と歩いているのではもったいないです。効果的な歩き方で、結果として”一層”健康に結び付けることができると考えます。
 それをマーケティング・ミックスになぞらえて「ウォーキング・ミックス」という言葉を作りました。
 すなわち、いろいろな歩き方を組み合わせると効果が高まるという考え方です。
 ここでは、ウォーキングの種類といいますか、いろいろな歩き方を紹介します。
 それらを適切に組み合わせることにより、ウォーキングの効果を高めていただきたいです。
 

【 注 】

 ここで紹介する情報は、自分で思考したり、入手したりした情報をもとに、ご紹介します。

 それが皆様にも良い方法であるとは限りませんので、皆様ご自身のご判断で参考にしてくださるようお願いします。

 

6) ひざ上げ歩行で大腿四頭筋を強化

 健康のことを考えると、車に乗ることをできる限り押さえ、歩いたり、自転車に乗ったりしています。毎朝ウォーキングをしていますので、脚には自信があったのですが、自転車に乗ると太ももが痛くなったり、つったりします。

 ウォーキングは、有酸素運動であり、健康効果も認められていますが、足で歩いている割には太ももの運動になっていないようです。

 このことに気づいてから、歩行法のひとつに、意識して膝を高く上げて歩くことが必要と考えるようになりました。足を上げるときに、膝を高く上げることを意識します。

 腰の高さくらいに膝が上がっても、実際には腰までは上がっていません。高さを意識しすぎますと、バランスを崩したりしますので、高さはあまり厳密に考えず、「腰の高さくらいに上げよう」と意識をするだけで充分と考えます。

 上り坂でひざ上げ歩行をしますと、結構きつく、はじめは直ぐに息が上がってしまいましたし、太ももが直ぐに疲れました。続けているうちに、これらは改善されてきました。

 有酸素運動の効果を高めることができるようです。

 ただし、膝を痛める可能性もありますので、ご自身の状況を見ながら続けていただき、調子が悪ければ、様子を見ることをお薦めします。

 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 喫煙者は未必の故意で殺人者になるかもしれません b18

 都内では、主な通りは歩行喫煙が禁止されています。この面では神奈川県・横浜市が進んでいて、公共の場での喫煙が禁止されています。

 当ブログで以前にもお話しましたが、公共の場での喫煙は全面的に禁止して欲しいです。

 「受動喫煙」という理由は当然のことながら、世の中には喫煙が命に関わる問題の人もいるのです。「喘息」というとそれほど重態な影響を及ぼすという認識が一般にはありません。

 最近、企業ぐるみとか、建物ぐるみで禁煙されているところが多く、その結果として歩道などに喫煙コーナーが設けられているところが結構あります。喫煙している人は、当然の権利と考えて喫煙しているのですが、歩道を歩く人間には大変な迷惑です。

 迷惑どころか、喘息患者には発作が起こる可能性があるのです。新幹線で喫煙車両を通過しただけで発作が起こってしまう話を当ブログで紹介しました。このように、ちょっと吸い込んだだけでも発作を起こすことがあるのです。

 路上を歩行しながら歩いている人は、ひょっとすると自分では意図せず殺人者になるのかもしれないのです

 喫煙する人には、喫煙が受動喫煙の問題以上に命の問題であることを強く認識して、喫煙の場所を選ぶことを強く望みます。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■【きょうの人】 1119 覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派由良興国寺を開山

2023-11-19 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1119 覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派由良興国寺を開山

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派由良興国寺を開山


 しんち かくしん
 承元元年(1207年)- 永仁6年10月13日(1298年11月18日)


 鎌倉時代の臨済宗の僧で、姓は恒氏、諱は覚心、無本と号しました。

 臨済宗法燈派の本山であった由良興国寺(昔は西方寺という)を開山しています。京都宇多野に位置する臨済宗建仁寺派の妙光寺の開山でもあります。

 1221年(承久3年)信州戸隠の当時まだ神社と寺院が一体であった神宮寺の忠学律師につてい読み書きを習い、1225年(嘉禄元年)に出家し、得度しています。

 高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学び、この時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山を訪れました葛山景倫(後の願性)に出会います。

 しかしその年の9月に栄朝が遷化しましたので、無本覚心は、翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴きました。

 兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴ないまして紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋しました。

 その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183-1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣ぐことができました。

 1258年(正嘉2年)には、金剛三昧院の住職(第6世)となりましたが、しばらくして禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となりました。

 1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 - 1305年)は、円爾の示寂後、京都洛東勝林寺に招かれました。亀山上皇や後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されました。

 中国からもたらしたといわれる金山寺味噌は、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模したものといわれています。

 時宗の開祖である一遍上人とも同時代を過ごしています。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】 喫煙者は未必の故意で殺人者になるかもしれません b18

2023-11-18 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言11

【経営コンサルタントの独り言】 喫煙者は未必の故意で殺人者になるかもしれません b18

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

■ 喫煙者は未必の故意で殺人者になるかもしれません b18

 都内では、主な通りは歩行喫煙が禁止されています。この面では神奈川県・横浜市が進んでいて、公共の場での喫煙が禁止されています。

 当ブログで以前にもお話しましたが、公共の場での喫煙は全面的に禁止して欲しいです。

 「受動喫煙」という理由は当然のことながら、世の中には喫煙が命に関わる問題の人もいるのです。「喘息」というとそれほど重態な影響を及ぼすという認識が一般にはありません。

 最近、企業ぐるみとか、建物ぐるみで禁煙されているところが多く、その結果として歩道などに喫煙コーナーが設けられているところが結構あります。喫煙している人は、当然の権利と考えて喫煙しているのですが、歩道を歩く人間には大変な迷惑です。

 迷惑どころか、喘息患者には発作が起こる可能性があるのです。新幹線で喫煙車両を通過しただけで発作が起こってしまう話を当ブログで紹介しました。このように、ちょっと吸い込んだだけでも発作を起こすことがあるのです。

 路上を歩行しながら歩いている人は、ひょっとすると自分では意図せず殺人者になるのかもしれないのです

 喫煙する人には、喫煙が受動喫煙の問題以上に命の問題であることを強く認識して、喫煙の場所を選ぶことを強く望みます。

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月17日 経営者のための経営コンサルタントの選び方 10のポイント

2023-11-18 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月17日 経営者のための経営コンサルタントの選び方 10のポイント

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 大谷選手が、満票で今年のMVPを受賞したと報じられています。

 2度目の満票ということで、素晴らしい出来事といえます。

 18日にクリティカル・シンキングの研修会が開催され、そこで講師を務めるため、パワーポイントの最終確認をしました。

 準備をしてきましたし、基本は、過去に何十回もお話してきたものですので、体調の良さと気力さえ充実していれば、皆様にお話できると考えています。

 

 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。

 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。

 ある経営者・管理職の集まりで、1時間ほどお話させていただきました。

 

経営者のための経営コンサルタントの選び方 10のポイント

 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。

 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。

 経営コンサルタントに依頼してみたいけど、「いくらくらいかかるのか?」「本当に効果があるのだろうか?」など、ご心配な経営者・管理職の皆様は多いかと思います。ホンモノの経営コンサルタントに依頼すれば「投資対効果」は結果として表れます。

 何万人という中から、自社に最適な経営コンサルタントを見つけ出すことは至難の業です。経営コンサルタントを選定せざるを得ないときにどのようなポイントに重点をおいたらよいのでしょうか?独断と偏見でまとめてみました。

これまでどのような実績があるかを見ると、自社に適しているかどうかを判断しやすいでしょう。いくつかの切り口から見てみましょう。

 経営者・管理職向けではありませんが、「経営コンサルタントへの道」も併せてご参照くださることをお薦めします。ここでは、経営コンサルタントになるにはどうしたらよいのかについて書かれています。裏を返しますと、経営コンサルタントを選定するときに、大いに参考となるでしょう。

 逆に、本件も経営者・管理職向けの記事ですが、裏を返しますと、経営コンサルタントは如何にあるべきかということを考えるヒントとなると思います。

  https://www.jmca.or.jp/keieijouhou/consulerabikata10/

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 将棋を通した無二の親友 b17

 将棋と言いますと昨今では、藤井聡太氏を連想する方が多いでしょう。

 私が子供の頃、同級生で将棋の強い男の子がいました。

 勉強では、彼に負けませんでしたが、将棋ではこてんぱんに負け続けました。

 後に、東京教育大学(現筑波大学)数学科に進学するほどの理数系の人ですので、将棋に強い理由がわかるような気がします。

 今でも付き合いのある、私の無二の親友の一人です。(無二が複数いるのはおかしいですね<笑い>)

 彼は論理思考ができる男です。

 孫には彼のような素晴らしい人間になってほしいと願い、将棋セットを買ってあげました。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
 
 前回で第1章が終わりました。今回は、1章を振り返ってみていただこうと思います。
 
【これまでのあらすじ 1章】

 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 角菊事業部長は、次回の福田社長との人事ミーティングで、自分の考えをキチンと伝え、自分の提案が通るように、じっくりと考えた上で資料作成をしました。準備万端で社長との面談に臨むのですが、なぜか落ち着かない角菊です。ドキドキしながら提案資料を手渡すと、「すばらしいできの資料だ」と専務からお褒めの言葉をいただいたのですが・・・
 いざ、福田社長と対面で意見を述べた角菊事業部長には、想定外の質問が飛んできました。福田としては、何としても角菊に成長してほしいという気持ちと、なぜ、角菊自身が自分の提案が、これまでの視点と変わっていないことの問題点に気がついてくれないのか、軽いいらだちも感じているのです。
 福田は、角菊に気づきを促す目的もあって、推薦されている三人の名前を見ながら、三番目に申し訳程度に乗せてある竹根について質問した。角菊は、竹根の生真面目さから来る、なんとも言えぬ威圧感のようなものから、あまり好感を持っていないようです。福田の質問に対しても、角菊の回答にそれが滲み出てきています。一方で、福田は、竹根が新入社員の入社式で新入社員代表としての挨拶が印象的に残っていました。それを角菊にぶつけると、角菊は竹根の印象は皆無であったようです。
 このまま話をしていても角菊は気づきがないのではないかと考えて、福田社長は、「高度な人事の問題なので、専務と私に一任してほしい」と言って三者会談を終えることにしました。

 

【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-1 初代アメリカ駐在所長が決定

 

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/d7fe991c4d07b4eb49fc6c4dd4568637

 

【バックナンバー】

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1118 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及

2023-11-18 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1118 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及


 いっこう しゅんしょう
 暦仁2年1月1日(1239年2月6日)-- 弘安10年11月18日(1287年12月24日)


 鎌倉時代の僧侶で、伝記に謎が多く、生没日も定かでなく、実在すらが疑問視されていましたが、考古遺物により、存在が証明されました。

 伝承によりますと、筑後国西好田(福岡県久留米市か)の鎮西御家人草野氏の草野永泰の第二子に生まれたとあります。

 俊聖(一向上人)は、寛元3年(1245年)に、播磨国の書写山にある圓教寺に入寺して天台教学を修めることとなり、建長5年(1253年)に剃髪受戒して名を俊聖としました。

 翌年夏には書写山を下り、奈良の興福寺、鎌倉の蓮華寺(光明寺)をはじめ各地を遊行回国し、踊り念仏(踊躍念佛)、天道念仏を修し、道場を設けるまでに至りました。

 一遍と並んで浄土系遊行聖となり、各地を回り踊り念仏を広めました。

 弘安七年、近江蓮華寺を立てて開基となりました。49歳で同寺で最期を迎えたといわれています。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】  将棋を通した無二の親友 b17

2023-11-17 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言11

 

  【経営コンサルタントの独り言】 将棋を通した無二の親友 b17

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 将棋を通した無二の親友 b17

 将棋と言いますと昨今では、藤井聡太氏を連想する方が多いでしょう。

 私が子供の頃、同級生で将棋の強い男の子がいました。

 勉強では、彼に負けませんでしたが、将棋ではこてんぱんに負け続けました。

 後に、東京教育大学(現筑波大学)数学科に進学するほどの理数系の人ですので、将棋に強い理由がわかるような気がします。

 今でも付き合いのある、私の無二の親友の一人です。(無二が複数いるのはおかしいですね<笑い>)

 彼は論理思考ができる男です。

 孫には彼のような素晴らしい人間になってほしいと願い、将棋セットを買ってあげました。

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

 ◇ 経営コンサルタントになろう  ◇ 経営コンサルタントQ&A  ◇ 独立・起業/転職

 ◇ 心 de 経営  ◇ 経営マガジン  ◇ 経営コンサルタントの独り言  ◇ 経営四字熟語

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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-1 初代アメリカ駐在所長が決定

2023-11-17 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-1 初代アメリカ駐在所長が決定

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。

【最新号】
     https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/df916bf90c90af79c63e414b754e25b3
【バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950
【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

■■ 2 思いは叶うか

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆2-1 初代アメリカ駐在所長が決定

 アメリカ駐在員事務所開設に当たっての人事問題で、福田商事の海外営業事業部長の角菊は、社長室に呼ばれた。福田社長が机に向かったまま迎えたが、角菊はやや緊張気味のである。
「早速だが、一昨日の件、私に一任してもらった結果、竹根君を派遣することに決めた」
――やはり、佐藤君ではなかったか。納得はできないが、社長の逆鱗に触れるようなことは言わず、ここは温和しく引き下がろう――
「わかりました。では、早速内示を出して、本人に心づもりをさせます」
「期中の人事異動なので、人事部からも公表をするように指示はしてある。あとの準備等については、君に任せる」
 それだけを言うと、福田は執務に取りかかった。「わかりました。失礼します」と言って、社長室を出た。自分の主張が通らないイライラは人一倍強い角菊である。
――とにかく、自分の気持ちを落ち着けてからでないと、仕事が手に付きそうもない――
 机にいつ戻ったのか、秘書代わりの相本がいつお茶を置いたのかさえ覚えがない。お茶を飲もうとして、湯飲みが熱いことで我に返った。ぐるりと見回すと、誰も角菊の一連の行動に関心を持って見ている社員がいないことを確認して、ひとまず安心をした。
 佐藤のことが気になり、姿を探したが見あたらない。竹根は、長池係長の横に立って何か話をしている。外は夏の日差しが強く輝いている。窓から見えるのは、通りを挟んだ向かいの八階建てのビルである。今まで、二十年近くもここにいるが向かいのビルに窓拭き作業員が作業をしているのを見たことがなかった。上から垂れ下がった一人乗りの作業いすに乗って、上手に窓拭きワイパーを使っている。左右の移動は、足で壁面を蹴って移動する。

  <続く>

■ バックナンバー

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月16日 元気な会社 ある若者の人生を変えた日本シリーズの名場面 2323-3b16

2023-11-17 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月16日 元気な会社 ある若者の人生を変えた日本シリーズの名場面 2323-3b16

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 東京には、江戸時代の名残の住居表示が多数残っています。

 それが、祭を始め、その地域・地方の名前として残っていたりして、風情があるといえます。

 ところが、郵便配達など、場所を特定する場合など、一部では、不便をきたしているようです。

 それまでは「○○寺町〇番地」だったのが「△△×丁目×番×号」などと機械的な名称に変わってしまうと、風情も何もありません。

 それだけなら、効率化という観点で住民も協力せざるを笑ませんが、住居表示変更後の手続が大変です。

 法務局に、住所変更を出さなければなりません。

 住む場所が変わったわけではないのに、銀行の手続、これが四角四面の対応で時間がかかります。

 保健など、お金が関わるところの手続は面倒ですね。

 運転免許の住所変更で、警察署に足を運ばなければなりません。

 勤務先や知人・友人に連絡をします。

 私のようなコンサルタントを始め士業従事者は、顧問先に振込先変更依頼をしておかなければなりません。

 あれやこれや、結構大変です。

 住居表示変更が住民に提示された時は、すでに変更が決定していて、いくら反対運動を起こしても、後の祭りです。

 協力をする気持ちはあっても、その煩わしさや風情を失うなど、その影響を考えると反対したくなります。

 住居表示変更の時は、転居とは異なるわけですので、手続を簡素にするとか、居住者が何もしなくても当該者の方がそれを行う様にすべきではないでしょうか。

 

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

 今日の会社は、重考高盛する人であるから、アンテナ感度の良い人であるからこそ、良い会社を経営できるのだと実感させられた事例です。

 

◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 ある若者の人生を変えた日本シリーズの名場面 2323-3b16

 1987年、プロ野球日本シリーズは西武と巨人の対決だった。西武の3勝2敗で迎えた第6戦も西武がリードしたまま9回となり、2年連続の日本一まであとアウト1つの場面。そのとき、守備に就いていた西武の清原和博選手(当時)が突然、号泣を始めた。甲子園で大活躍したものの、ドラフト会議で憧れの巨人から指名されなかった清原選手は、西武に入団し、日本シリーズで巨人を倒すことを目標に掲げていた。その達成を目前にして感極まったのだ。プロ野球史に残る名場面の一つで、その後もプロ野球関連番組で繰り返し放送されている。そして、そのシーンがある若者の人生を大きく変えた。

 洋傘の企画・販売を手掛けるB社(東京都世田谷区)の創業者で代表取締役のW氏は大学卒業後、婦人服メーカーで営業を担当していた。時はバブル景気の真っただ中。とくにアパレルに興味があったわけではなく、「なんとなく就職して、なんとなく働いていた」という。そんな折、過去の名場面として放送された清原選手号泣のシーンをテレビで目にした。「清原選手は自分の仕事で目標を達成したから、あんなに泣くことができた。はたして自分はどうだろうか」。そう考えたW氏は、情熱を傾けられる別の道を模索。知人の勧めで1993年に傘のビジネスで起業したのだ。

 しかし、世の中は甘くなかった。バブルが崩壊し、景気は急降下。「もう傘ではやっていけない。他の商品を扱おう」と考えたW氏は、都内で洋服店をチェーン展開する知人の経営者に相談してみた。すると知人は激怒。「売れないのはアイテムのせい、景気のせい、天気のせい」と考えるW氏に向かって「悪いのは、そんな考え方をしているお前の方だ」と一喝した。それを機に、どこかバブル気分が残っていたW氏の意識は変革した。「売れないのは自分の責任。ならばどうすれば売れるのか」。そんな変化が功を奏し、97年頃から経営は上向いていった。

 その後、同社は株式会社化し、さらに本社移転、初の社員採用と、順調に推移。今や本社のほか、神奈川県内に物流センター、中国・アモイに事務所を構える企業に成長した。そして、次なる目標としてASEAN諸国での販路拡大を掲げる。現在5~6%程度の海外比率を3年以内に20%に引き上げたいとして、昨年春からは中小機構の海外展開ハンズオン支援事業を活用するなど着々と準備を進めている。野球のワンシーンに感化されて脱サラしたバブル世代のビジネスは、さらに成長を続けていきそうだ。

 

   出典: e-中小企業ネットマガジン

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

◆ イロの世界を究めるには? b16

 江戸っ子は、「し」と「ひ」の発音の区別ができず、「飛行機」を発音しようとしますと「シこうき」になってしまいます。

 それとは、少々異なりますが、私の知っている新潟の人ですが、「い」と「え」が逆になってしまうようです。

 例えば「石」は、「エし」とエに近い発音に聞こえます。

「絵師」は、「イし」とイに近いエとなってしまうようです。

 従って「色」は「エロ」に近くなってしまいます。

 11月16日は、「いい(11)いろ(16)」の語呂合せから、「いいいろ塗装の日」として制定されています。

 塗料というのは、ご存知のように、溶剤による分類には、油性と水溶性があります。

 用途別の分類の中には「防錆」塗料があります。

 金属がさびないような性質を持ったもので、これを塗ったり、メッキをしたりすることにより、腐食から金属を保護します。

 数年前に、高速道路のトンネルの天井版が、固定しているボルトがさびて落ちてしまうという大事故がありました。

 もし、ボルトがキチンとした防錆処理をしてあれば、この事故は防げたでしょう。

 あるベンチャー企業が、防錆性の高い塗料やメッキの材料を開発しました。

 それを自動車メーカーや橋梁メーカーに売り込みに行きましたが相手にされません。

 前者は、会社の決まりで、後者や入札要件で決まっているので、新たな材料を使うわけにはいかないと言うのです。

 とるにたりないような小さなベンチャー企業を、はなから相手にせず、貸す耳を持たないのです。

 大企業病、お役所仕事という、日本の経済にマイナス効果を与えていることを軽視している判断が厳然としているのは、寂しい次第です。

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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