経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 王貞治氏の生き方に学ぶ b04

2023-11-04 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言11

 

  【経営コンサルタントの独り言】 王貞治氏の生き方に学ぶ b04

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 王貞治氏の生き方に学ぶ b04

 現役時代の王貞治氏の活躍は、長嶋氏のような派手さはありませんでしたが、活躍は長嶋氏のそれに劣ることはありませんでした。

 2020オリンピック・パラリンピックでも、その運営において王貞治氏はご活躍です。

 王氏が、ハンク・アーロンの記録を破ったときに、ハンクは王氏に祝福の言葉をかけました。

 ハンクの素晴らしさに感動しました。

 それを上回るのが、王氏の引き際です。

 人生、いろいろな道で、いろいろな立場で過ごしてきます。

 生涯現役という考え方もありますが、一方、王氏のようにきっぱりとした引き際で、第二の人生に踏み込み、異なった形での社会貢献も、その人らしさを発揮できると思います。

 そのような王氏の生き方について、私なりに感じたことを書いてみました。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/df4d01f1069f542801234659ff050a97

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

 ◇ 経営コンサルタントになろう  ◇ 経営コンサルタントQ&A  ◇ 独立・起業/転職

 ◇ 心 de 経営  ◇ 経営マガジン  ◇ 経営コンサルタントの独り言  ◇ 経営四字熟語

 ◇ 杉浦日向子の江戸塾  ◇ ニュース・時代の読み方  ◇ 時代の読み方・総集編  ◇ 経営コンサルタントの本棚  ◇ 写真・旅行・趣味  ◇ お節介焼き情報  ◇ 知り得情報  ◇ 健康・環境  ◇ セミナー情報  ◇ カシャリ!一人旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【映像で見るカシャリ!ひとり旅】 北海道大学1 北大構内を散策 HKUN-0116-9C26

2023-11-04 12:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報 カシャリ!一人旅

【映像で見るカシャリ!ひとり旅】 北海道大学1 北大構内を散策 HKUN-0116-9C26 

北海道 札幌市 北海道大学
 関連資料(秘) 

 北海道大学は、札幌駅から徒歩7分ほどのところにあります。

 前身である札幌農学校時代の明治の建物が、帝国大学・国立大学時代も含め、今も学生たちの学び舎として利用されています。

 市民にも広く開放されているこの大学は、まるで公園のような雰囲気もあり、ゆっくり散策してまわっても6キロメートルほどです。半日かけてゆったりと回りたいものです。

 私は、学食での昼食を挟んで、3時間以上にわたって散策しましたが、北半分は回り切れていません。

日本を代表する大学のひとつだけあって歴史や重みを感じられました。観光の視点から、北大を紹介します。

   映像 https://youtu.be/Mpj-vyICUJk 

 写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-sapporo/hokkaido-sapporo04.htm

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月3日 文房具で思い出す b03

2023-11-04 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月3日 文房具で思い出す b03

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。

 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。

 

◆「今日は何の日」の記念日は誰が決めるのでしょうか?

【今日は何の日】を毎日発信していますが、お陰さまで大変好評です。
 記念日といいましても、誕生日や個人的な記念日もありますが、国民の祝日のように国が決めた記念日もあります。
 近年は、地方自治体が自分の地域や特産品などをPRすることも行われるようになりました。
 民間企業や中には小さな商店までもが販売促進のために記念日を制定して活用しています。
 日本国内には記念日を「指定」や「制定」する任意団体が複数あるようです。
 公的な団体ではないですが日本記念日協会や日本記念日評議会、国際記念協会などがよく知られています。
 記念日を活用したい企業は、検討されては如何でしょうか。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ 文房具で思い出す b03

 文房具と言いますと、若かりし頃、私が商社マンであった時代を思い出します。

  入社して直ぐ、中南米市場向けの文具関連の商品輸出を担当させられました。

  先輩から聞くところによりますと、新人の多くが担当される地域だそうです。

  裏を返しますと、それほど重視をされていない市場と言えます。

当時は、「コレポン」といいまして、手紙でやりとりをすることが主流でした。

 緊急性が高い場合には、テレックスという電信機器を利用することもありましたが、コストが高いので新人にはなかなか利用させてもらえませんでした。

 新人であるということもあり、一所懸命さが先に立ちました。

 問合せのありましたお客様に、自分なりに工夫を凝らして返事をしました。

 先方からの問い合わせに対して返事を書くことが精一杯でしたが、二か月、三か月と経過するうちに、関連する商品を紹介するようにしました。

 それに対して返事が来なければ再び手紙を送るようにしました。

 何年も注文がないお客様もいるので、それらのお客様にも手紙を送りました。

 JETROに行って見込み客発掘のリストづくりもしました。

 いろいろ工夫をした結果、期末集計で、予算比170%弱、前年比180%以上という結果となりました。

 驚いたのは前任者です。

 課長だけではなく部長からも一躍注目を浴びることになり、自分でも驚きました。

 何十年も昔の話です。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
 
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 角菊事業部長は、次回の福田社長との人事ミーティングで、自分の考えをキチンと伝え、自分の提案が通るように、じっくりと考えた上で資料作成をしました。準備万端で社長との面談に臨むのですが、なぜか落ち着かない角菊です。ドキドキしながら提案資料を手渡すと、「すばらしいできの資料だ」と専務からお褒めの言葉をいただいたのですが・・・
 いざ、福田社長と対面で意見を述べた角菊事業部長には、想定外の質問が飛んできました。福田としては、何としても角菊に成長してほしいという気持ちと、なぜ、角菊自身が自分の提案が、これまでの視点と変わっていないことの問題点に気がついてくれないのか、軽いいらだちも感じているのです。
 福田は、角菊に気づきを促す目的もあって、推薦されている三人の名前を見ながら、三番目に申し訳程度に乗せてある竹根について質問した。角菊は、竹根の生真面目さから来る、なんとも言えぬ威圧感のようなものから、あまり好感を持っていないようです。福田の質問に対しても、角菊の回答にそれが滲み出てきています。一方で、福田は、竹根が新入社員の入社式で新入社員代表としての挨拶が印象的に残っていました。それを角菊にぶつけると、角菊は竹根の印象は皆無であったようです。
 このまま話をしていても角菊は気づきがないのではないかと考えて、福田社長は、「高度な人事の問題なので、専務と私に一任してほしい」と言って三者会談を終えることにしました。

    最新号 

【過去のタイトル】

 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない

【バックナンバー】

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る


■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 1104 ■ 隠元隆琦 インゲン豆を日本に ■ 定山 定山渓温泉の立役者

2023-11-04 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1104 ■ 隠元隆琦 インゲン豆を日本に ■ 定山 定山渓温泉の立役者

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 定山 定山渓温泉の立役者


 美泉 定山(みいずみ じょうざん)
 文化2年(1805年)- 明治10年(1877年)11月4日)


 北海道・札幌の奥座敷「定山渓温泉」は、美泉定山により広められました。

 彼は1805年(文化二年)に備前国(現岡山県)曹洞宗の名刹妙音寺の二男とで生まれ、十七歳の頃より全国の霊山霊地を行脚し、現北海道である蝦夷地にまできました。

 1853年(嘉永6年)に48歳で北海道へ渡り、1866年(慶応二年)アイヌ民族の案内で当地に至りました。ここで、源泉を確認し、病に悩む人々を祈祷と湯治で救おうと努力をしました。

 幕末の探検家・松浦武四郎の紀行文では、定山が温泉宿を営み、また定山寺を創建し、「定山渓」の名前の由来となりました。

 1876年(明治8年)、小樽と「定山渓」を結ぶ山道開発にも携わっています。

 温泉で病を癒やしたり、道路開発などの社会貢献をしたりという定山の心は、今日に至っても脈々と続いてきています。

 ちなみに、「美泉(みいずみ)」という苗字は、1870年(明治2年)ごろ「平民苗字許可令」が発令された時に、定山が、そのように名乗ったと伝わっています。

 

http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-jouzankei/hokkaido-jouzankei01.html

 

 

 

■ 隠元隆琦 インゲン豆を日本に


 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師


 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。

 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。

 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。

 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。

 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。

 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。


 インゲン豆は、16世紀末にヨーロッパを経由して中国に伝わり、1654年、明からの帰化僧であります隠元隆琦が、日本に持ち込んだといわれることから、この名がついたそうです。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする