あけぼの公園駐車場の朝。
朝食を終えると、誰も居ない駐車場で大掃除をした。
大掃除と言っても、狭いキャンピングカーは簡単である。
寝具とじゅうたんを車外に持ち出して、パタパタやれば半分以上は終わりだ。
国道56号を北上して、道の駅「みしょうMIC」の近くにある、馬瀬山公園の紫電改展示館に立ち寄った。
紫電改はゼロ戦に代る新鋭機として、終戦間近に開発された戦闘機だ。
展示されているのは、昭和53年に海底から引き揚げられたもので、現存しているのはこの一機だけだという。

腐食して、穴だらけになっている。

穴の無い金属板は、引き揚げ後に置き換えた部分だそうだ。
海底から引き揚げた時の写真。

開発に関わるエピソードなどが面白かった。
入場無料。一見の価値がある。
馬瀬山公園には、高さ107mの展望タワーがある。
公園自体が小高いので、海抜260mの高さから、360度の眺望を楽しむことが出来る。

展望室が回転しながら、タワーのてっぺんまで上昇する。
最高部から見下ろす風景は、飛行機から見るようなものだった。

馬瀬山公園から10数キロ先の外泊地区に、石垣集落がある。
今日はここが印象に残った。

山の斜面に、ひな壇のように並ぶ、石垣の家々。

段々畑ならぬ、段々集落である。
集落の真ん中にある用水路。

過疎化が急速に進んでいるという。
これは観光客休憩所に展示されていた、昭和40年頃の写真。

左下に集落が見え、右の山肌は段々畑になっている。
他の写真を見ても、集落の後背部は全面が段々畑である。
次の写真は、今日ボクが撮ったもので、上の写真とは正反対に、海側から撮影している。

後ろの山には段々畑が全く見えない。
この違いには、ぞっとさせられた。
「耕して天に至る」という表現どおりに、山の頂上付近まで、石垣を積み上げて築かれた畑は、耕作放棄されて、もとの山にかえってしまったのだ。
今、山肌を覆い尽くしている樹木と雑草を取り払えば、マチュピチュのような「遺跡」が現れるのである。
急峻な段々畑の消失は端的な例だが、普通の農村の里山風景だって、数十年後にはどうなっているのか、分かったものではない。
何世代もかけて営々と築き上げたものでも、時代が変わればあっけなく消え去るものだと、今日は教えられたような気がした。
今日の入浴は「ゆらり内海」。
P泊は、宇和島まで走って、道の駅「さきいや広場」にした。
朝食を終えると、誰も居ない駐車場で大掃除をした。
大掃除と言っても、狭いキャンピングカーは簡単である。
寝具とじゅうたんを車外に持ち出して、パタパタやれば半分以上は終わりだ。
国道56号を北上して、道の駅「みしょうMIC」の近くにある、馬瀬山公園の紫電改展示館に立ち寄った。
紫電改はゼロ戦に代る新鋭機として、終戦間近に開発された戦闘機だ。
展示されているのは、昭和53年に海底から引き揚げられたもので、現存しているのはこの一機だけだという。

腐食して、穴だらけになっている。

穴の無い金属板は、引き揚げ後に置き換えた部分だそうだ。
海底から引き揚げた時の写真。

開発に関わるエピソードなどが面白かった。
入場無料。一見の価値がある。
馬瀬山公園には、高さ107mの展望タワーがある。
公園自体が小高いので、海抜260mの高さから、360度の眺望を楽しむことが出来る。

展望室が回転しながら、タワーのてっぺんまで上昇する。
最高部から見下ろす風景は、飛行機から見るようなものだった。

馬瀬山公園から10数キロ先の外泊地区に、石垣集落がある。
今日はここが印象に残った。

山の斜面に、ひな壇のように並ぶ、石垣の家々。

段々畑ならぬ、段々集落である。
集落の真ん中にある用水路。

過疎化が急速に進んでいるという。
これは観光客休憩所に展示されていた、昭和40年頃の写真。

左下に集落が見え、右の山肌は段々畑になっている。
他の写真を見ても、集落の後背部は全面が段々畑である。
次の写真は、今日ボクが撮ったもので、上の写真とは正反対に、海側から撮影している。

後ろの山には段々畑が全く見えない。
この違いには、ぞっとさせられた。
「耕して天に至る」という表現どおりに、山の頂上付近まで、石垣を積み上げて築かれた畑は、耕作放棄されて、もとの山にかえってしまったのだ。
今、山肌を覆い尽くしている樹木と雑草を取り払えば、マチュピチュのような「遺跡」が現れるのである。
急峻な段々畑の消失は端的な例だが、普通の農村の里山風景だって、数十年後にはどうなっているのか、分かったものではない。
何世代もかけて営々と築き上げたものでも、時代が変わればあっけなく消え去るものだと、今日は教えられたような気がした。
今日の入浴は「ゆらり内海」。
P泊は、宇和島まで走って、道の駅「さきいや広場」にした。