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「二輪二脚の八重山巡り」だってコトー先生は自転車じゃん

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 泊まった宿の目の前が漁業組合。泉谷しげるらがいっつも騒いでたあの場所です。しかし、人の気配は無かった。
 午前11時。早々に与那国散策開始。なので、宿でバイクを借りることに。なぜなら、全てのガイドブック、ネットで、「島は起伏が激しいので自転車では無理」と書いてあるからだ。実に15年振りくらいにバイクに乗ろうってわけ。
 が、出されたバイクが重くて転がせない。しかも、「ガソリン満タンで返却」と言われたそのバイクにはすでにガソリンは半分しか入っていない。おばちゃんにその旨伝えても、おなちゃんはバイクには疎くて、「あれま?」。
 そもそも、バイクの重さが、1人で、動かせない。これは体力が衰えたためか、はたまた歳だからか? で、「無謀」な自転車で行くことにした。
 自転車は、ブレーキも30%くらいしか利かない、サビサビ。潮風にさらされてるのだから、こんなんだろう。漕ぎ出してわずか5分。試練はすぐに訪れた。目の前には、牛の糞だらけの1本道。それが波打っているのが肉眼でもわかるくらい、上っては下り、下っては上りなのだ。だが、もはや、自分の足はこの錆びた自転車しか無いのだ。
 「行くしか無い」。両脇に放牧されてるんだか、忘れられてるんだか、半野良状態の牛の視線を感じながら、ほとんど、押して歩いての海岸通。右側には打ち寄せる蒼い波が綺麗なのだろうが、見てる余裕すらない。
 「何が何でもコトー先生の診療所を目指すのだ」と、自分に言い聞かせ、15分。あるにはあったが、ビミョーっ。だが、この15分はかなりの高記録らしく、お昼に八重山そば(600円)を食べた食堂の人がビックリしていた。
 続けて、「立神岩まではどのくらい時間かかりあmすか?」と聞いたところ、「自転車ですよねー…」。だが、「行くしか無い」のである。
 再び自転車をこいで、目指すは立神岩。だが、2時間が経過しようとしても林以外、海すら観えやしない。あきらかに「迷った」模様。人っ子一人居ない林の中で、これ以上時間を費やすのは無理と判断し(素晴らしい判断力だが、とにかく自分は道に迷う体質なのである)、今来た道をまた戻る。これだって自転車押しての大苦行。
 追い討ちをかけるかのように大粒の雨(スコール)まで降り出して、正に泣きっ面に蜂状態のわたくし。
 聞く所によると、今さっき走行した道は、与那国マラソンでも一番の難関と言われる過酷な場所で、坂、坂、また坂なのだそうだ。
 ほかの場所へは翌日行くとして、宿に戻ると、「みんな(自転車)借りても、行き切れんで、(自転車を)返しに来るさー」とおばちゃん。えーっ、それ先に言ってよ。
 「だって、コトー先生は自転車で島回ってたよ」。するとおばちゃん、「確かに、コトー先生は自転車だ」と大受けだった。

「二輪二脚の八重山巡り」コトー先生の島与那国へ

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 小さなJTAに乗って目指す葉与那国。フライと時間も30分ぐらいとあって、飲み物もサービスされない。「そりゃあそうだろう」。が、「皆様のお世話をさせていただきます」とにこやかになスッチーが3人。飲み物も配らないのに、何の世話になるのだろう? 「人件費の節約が会社建て直しなんじゃないのか」と思ったが大きなお世話だろうから黙ってた。
 与那国空港は、ポツンと畑の中にあるようで、タラップを降りたら歩いて空港内に入る素朴な空港。外へ出て全景を観たらまるで公衆トイレのような外観だった(笑)。
 それでもお土産やは3軒ほど入っており、「商売っけはあるもんだ」。
 10時半に到着。ここからは脚が無いので、宿からの送迎がある。もちろん、自分でレンタカーを借りることも可能。宿から迎えに来てくれたおばちゃんの車で1本道を行く。「何もない」。
 おばちゃんが簡単に観光ガイドをしてくれるのだが、個人商店1軒と飲み屋2軒と喫茶店1軒と漁港の紹介で終了。さてさて、宿は民宿なのだが、ドミトリーから3人部屋など、バス、トイレ共同の旧館とホテル形式のバス、トイレ付きの新館があって、いずれも2食付き。自分は、石垣島からの1泊2日ツアーで、往復航空券と宿泊(2食付き)がセットになったもの。旧館よりたった1000円UPで新館に泊まって、2万800円。これ、かなりお得だと思うよ。色々検索したけど、こんなに安いものはほかに無かったもん。航空券だけだって片道1万円くらいするからね。
 そしてこの日は寒いのだった。石垣のホテルに預けたダウンが必要なくらいに。「昨日までは半袖だった」そうだが、強風のため体感温度はかなり低かったのではないだろうか? 台風が近付いているくらいの天気の悪さでもあり、ダイビングは、「寒いから」しなかったくらいなのだから。

「二輪二脚の八重山巡り」インフルマンがやって来た

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 その日は久し振りに最悪のコンディション。自分でも分からないが吐き気まであり、這々の体で羽田空港に辿り着いたのだ。で、毎日ホームページを見ながら、楽しみにしていた「空弁」を食べる気力もなく、おにぎりを軽く食べて過ごした。
 国内線に乗るのはおよそ10年以上振り。空港と搭乗のあまりの様変わりに目を見張りながらいよいよ搭乗というその時。赤ちゃんを抱いた1人の若いお父さんが目に入った。黒っぽいジャケットに、ダブダブのジーンズ。そして、チェーンの着いたウオレットはいいとしよう。問題は、目深に被ったニットも帽子と大きすぎるマスク。ほとんど目しか出ていないのだが、その露出している肌がいように赤黒いのだ。
 一目で「インフルエンザ」が疑わしいほどの熱っぽさも見て取れる。「えーっ。何、この人」なのだ。絶対に近くの席には成りたくない。と目が話せなくなったその時、空港の窓(窓の所って人が座れるくらいの段差がある)に赤ちゃんを膝に乗せたまま座り、そして、そのまま横に倒れた。幸い赤ちゃんはくの字に曲がったお父さんの腹と脚の間にちょこんとお座り状態。
 更に驚いたのが、それを近くで見ていた奥さん(赤ちゃんよりちょっと大きい子どもを抱いてた)が、見て見ぬ振り。近寄る訳でもなく、声を掛ける訳でもない。子どもを抱いて、立っているだけ。
 「何者だ。この夫婦」。
 すると、倒れた男性の横にいた見知らぬ女性が、係員に通報し、係員が駆け付けてた。
 そこまで見て搭乗してしまったので、その後どうなったかは定かではないが、取り敢えず、搭乗は出来なかった模様。絶対にあれはインフルエンザさ。
 自覚してるから、奥さんも知らんぷりだったんでしょ? 帰省か旅行は知らないが、これだけ巷でインフルエンザの恐ろしさを知らせているのに、こういう自覚の無い人がウィルスをまき散らすんだと思ったね。迷惑だ。
 そして自分はと言えば、離陸後、急速に痛み出した胃。搭乗員に胃薬を貰っても収まらない。ムカつきと痛みと共に着いた那覇空港。ここで石垣島への航空機に乗り継ぐのだが、腹部の傍聴感とは裏腹に、「食べたい」沖縄料理の店舗が…。「沖縄そばが食べたい」。
 だが、さすがにそんな気力もなく、後で食べようと、石垣牛弁当(700円)を購入してしまった。本当はもっと軽い物が欲しかったのだが、時間も遅く、同じ様なものしか売れ残っていなかったため。
 1時間のトランジット後、無事に着いた石垣島。20時を回っていたため、フライトはあるのに、すでに空港から市街へのバスは無い。これがおかしいんだよね。普通空港バスって、フライトに合わせて走るじゃん。なのに、朝と夜はバスが運行していないのだ。
 知っていれば、もっと早い時間のフライトにしたのに。
 仕方なしにタクシーでホテルへと向かった。1晩石垣島に泊まり、翌日は与那国島へと向かう。そして、与那国島で1泊して、またこのホテルへ戻り、そこから、八重山諸島を回ろうという考えで、石垣港まで歩いて5~6分の立地条件に加え、部屋には洗濯乾燥機と電子レンジ、冷蔵庫がある、アパートメント・ホテル。しかも朝食付き。
 これは、探しに探して、辿り着い長期滞在に一番ベストなホテル。もう少し安い値段でウィークリーマンションや、長期滞在パックのホテルも合ったが、アクセスと設備の点で軍配。
 さて、その日はベランダから港を眺め、「やっぱ暖かいや」などと思いながら就寝。