私、一度に何個もやろうとしてる。
夜中、子どもが寝た中、起きて来て(ってもう2:30回ってたよ、オイ。こんな時間に起きて来てやれる事あるんかい)、なりわいづくり講座のなりわい宣言を考えようと。
PCやってる時にありがちだけど、あちこち脱線する。
FB開きながら、FBだけでも投稿見たり、メール見たりと色んなとこに脱線しがちなのに、
「あの人にメール返信してなかったな」と時間ないから、PCメールで下書きして携帯に送ろうとメール開いたり、
ブログチェックしたらついでに、自己啓発系であの人最近どんな事言ってるんだろうとHAPPYさんのブログ検索して見たり。
なりわい宣言の事で、FBメッセで質問して回答もらってたのに、それにまだ返信できてない。
つまり、やろうとした肝心の事、そっちのけで、別の事に意識が飛び過ぎなのよ。脱線し過ぎ。
いつからこういうマインドになったやろ。
子どもの時はそうじゃなかった。
子どもの時は今1つの事してたら、1つの事に集中してた。
それがやりたい事なら夢中になってた。
仕事してた時、途中からあっちこっち脱線する事、増えた。
仕事してる時にも、社長にこれやってって言われる事もあったし、そしたら社長と付き合い長いデザイナーが「社長が言ったのが最優先やで」と自分の事は棚に上げて言って来て、そうしたりもしてた。
そしたら、それ終わっても、自分が何やってたか思い出せなくなる。
自分自身の仕事の中でも、今これやってて、電話かかって来て忘れて、もしくはあんまり気が乗らない仕事だとインターネット見て現実逃避したり。
仕事で変な癖ついたな。
これは職業病か。
仕事辞めても、こんな癖が直らないまでなるなら、もっと早く仕事辞めとけば良かったな。
そうか、やりたい事というより、「これをやらないと」と思ってるから、夢中になれないし、義務感で、自分を律して、やろうとする。だから、「やらないと」と思ってるあちこちに思考が散在する。
人がどう時間を使おうと、その人の自由だ。
誰も何も言わない。
そりゃ、小さい時は学校や親が、「ああせい、こうせい」言って来るけど、大人になったら、誰も言って来ない。
一杯詰め込んでも誰も怒らないし。
何も生産性のある事せず過ごしても誰も何も言わない。
脱線して、何しようとしたか忘れて時間が過ぎてっても、誰も何も言わない。
言うのは周りや身内くらいだけど、だんなさんはそんな事言わない。
「~しないと」って義務感持ってるのは、自分だけ。
自由ってでも、同時に自分が試される。
というか自分次第。
時間の使い方は自分次第。
自分次第で、自分の時間を生かす事も、殺す事もできる。
自分に与えられた人生の命の時間を、生かすも殺すも自分次第。
それなのに、
子どもの時に仕込まれたからか(「これしないといけないんじゃない」と言われたり)、
はたまた義務感で物事をするようになって、そこから脱線する癖がついて、脱線癖がついたのか、
あちこちに手を付ける。
あちこちに手付けると、うまくいかない。
焦って色々手出したいんだろうけど、うまくいかない。
それなら、最初っから、1つの事に集中した方が良くない?良くなくない?
夜中、子どもが寝た中、起きて来て(ってもう2:30回ってたよ、オイ。こんな時間に起きて来てやれる事あるんかい)、なりわいづくり講座のなりわい宣言を考えようと。
PCやってる時にありがちだけど、あちこち脱線する。
FB開きながら、FBだけでも投稿見たり、メール見たりと色んなとこに脱線しがちなのに、
「あの人にメール返信してなかったな」と時間ないから、PCメールで下書きして携帯に送ろうとメール開いたり、
ブログチェックしたらついでに、自己啓発系であの人最近どんな事言ってるんだろうとHAPPYさんのブログ検索して見たり。
なりわい宣言の事で、FBメッセで質問して回答もらってたのに、それにまだ返信できてない。
つまり、やろうとした肝心の事、そっちのけで、別の事に意識が飛び過ぎなのよ。脱線し過ぎ。
いつからこういうマインドになったやろ。
子どもの時はそうじゃなかった。
子どもの時は今1つの事してたら、1つの事に集中してた。
それがやりたい事なら夢中になってた。
仕事してた時、途中からあっちこっち脱線する事、増えた。
仕事してる時にも、社長にこれやってって言われる事もあったし、そしたら社長と付き合い長いデザイナーが「社長が言ったのが最優先やで」と自分の事は棚に上げて言って来て、そうしたりもしてた。
そしたら、それ終わっても、自分が何やってたか思い出せなくなる。
自分自身の仕事の中でも、今これやってて、電話かかって来て忘れて、もしくはあんまり気が乗らない仕事だとインターネット見て現実逃避したり。
仕事で変な癖ついたな。
これは職業病か。
仕事辞めても、こんな癖が直らないまでなるなら、もっと早く仕事辞めとけば良かったな。
そうか、やりたい事というより、「これをやらないと」と思ってるから、夢中になれないし、義務感で、自分を律して、やろうとする。だから、「やらないと」と思ってるあちこちに思考が散在する。
人がどう時間を使おうと、その人の自由だ。
誰も何も言わない。
そりゃ、小さい時は学校や親が、「ああせい、こうせい」言って来るけど、大人になったら、誰も言って来ない。
一杯詰め込んでも誰も怒らないし。
何も生産性のある事せず過ごしても誰も何も言わない。
脱線して、何しようとしたか忘れて時間が過ぎてっても、誰も何も言わない。
言うのは周りや身内くらいだけど、だんなさんはそんな事言わない。
「~しないと」って義務感持ってるのは、自分だけ。
自由ってでも、同時に自分が試される。
というか自分次第。
時間の使い方は自分次第。
自分次第で、自分の時間を生かす事も、殺す事もできる。
自分に与えられた人生の命の時間を、生かすも殺すも自分次第。
それなのに、
子どもの時に仕込まれたからか(「これしないといけないんじゃない」と言われたり)、
はたまた義務感で物事をするようになって、そこから脱線する癖がついて、脱線癖がついたのか、
あちこちに手を付ける。
あちこちに手付けると、うまくいかない。
焦って色々手出したいんだろうけど、うまくいかない。
それなら、最初っから、1つの事に集中した方が良くない?良くなくない?