数あるオランダの栄誉のひとつは、
アメリカ最初の憲法といっていい「メイフラワー誓約書」を作成した
「ピルグリム・ファーザーズ」(巡礼の父祖たち)が
10年間以上にわたり流寓していた国ということが挙げられるだろう。
いうまでもなく彼らはイギリス人で、
1620年、男女子供あわせて102人がオランダ人を船長とする「メイフラワー号」に乗り込み、
英国プリマスを出航し、新大陸をめざした。
彼らこそ、近代市民国家の設計図を最初に書いた人びとだ。
16世紀のヨーロッパは宗教改革で沸騰していて、
新旧(カトリックとプロテスタント)がはげしく対立していた。
そんななか、イギリス国王はローマ・カトリックと勝手に縁切りしてしまい、
自国だけのアグリカン・チャーチ(英国国教会)を設立した。
ただし、草創期は教義が整備されてなく、教義の面で新旧があいまいだったため、
カトリックからもプロテスタントからも攻撃された。
のちにピューリタン(清教徒)とよばれるプロテスタントのあるグループが、
国教会にたいして「真面目にピューリファイ(純粋化)しろ!」と抗議する。
その清教徒なかでも、国教会のレスポンスの悪さに絶望したグループは、
これと縁切りするということで「セパラティス」(分離派)よばれ、
清教徒のなかでも、とびきりドラスティックな人びとだった。
このグループが、信仰の自由をもとめて、1602年、オランダに移住した。
オランダが、当時から、いかに自由を許容する国だったかが察せられる。
ともかく、彼らがオランダのライデンに10年以上逼塞し、のちにアメリカ大陸に渡航し、
近代を先取りした社会契約的な憲章「メイフラワー誓約書」をつくったり、
入植15年あまりでアメリカ最初の大学であるハーヴァード大学を設立したりしたことが、
現在のアメリカ合衆国の礎になってることに異論はないと思う。
つまり、彼らをそっと育んだオランダなくしては、
「ピルグリム・ファーザーズ」の栄光はなかった(つまり今の合衆国も)と思う。
…今日のお話を読んで、ますます、ホントに私ってオランダの知識が全くなかったんだなぁ、と思います。
面積的には大きくないけれど、世界の歴史的にも大きな役割を担って来ていたのですね。
もっといろいろ知りたくなりました。
いつかオランダ語も少し齧ってみたいものです。(英語とドイツ語を勉強しなおしてから?)
…オランダネタが切れちゃうと、こちらに遊びに来てくれないかしらと心配ですが、またどうぞ、いらしてくださいね!