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ピルグリム・ファーザーズ

2005-06-08 09:00:00 | うんちく・小ネタ

mayflower数あるオランダの栄誉のひとつは、
アメリカ最初の憲法といっていい「メイフラワー誓約書」を作成した
「ピルグリム・ファーザーズ」(巡礼の父祖たち)が
10年間以上にわたり流寓していた国ということが挙げられるだろう。

いうまでもなく彼らはイギリス人で、
1620年、男女子供あわせて102人がオランダ人を船長とする「メイフラワー号」に乗り込み、
英国プリマスを出航し、新大陸をめざした。
彼らこそ、近代市民国家の設計図を最初に書いた人びとだ。

16世紀のヨーロッパは宗教改革で沸騰していて、
新旧(カトリックとプロテスタント)がはげしく対立していた。
そんななか、イギリス国王はローマ・カトリックと勝手に縁切りしてしまい、
自国だけのアグリカン・チャーチ(英国国教会)を設立した。
ただし、草創期は教義が整備されてなく、教義の面で新旧があいまいだったため、
カトリックからもプロテスタントからも攻撃された。

のちにピューリタン(清教徒)とよばれるプロテスタントのあるグループが、
国教会にたいして「真面目にピューリファイ(純粋化)しろ!」と抗議する。
その清教徒なかでも、国教会のレスポンスの悪さに絶望したグループは、
これと縁切りするということで「セパラティス」(分離派)よばれ、
清教徒のなかでも、とびきりドラスティックな人びとだった。

このグループが、信仰の自由をもとめて、1602年、オランダに移住した。pilgrim_fathers
オランダが、当時から、いかに自由を許容する国だったかが察せられる。
  
ともかく、彼らがオランダのライデンに10年以上逼塞し、のちにアメリカ大陸に渡航し、
近代を先取りした社会契約的な憲章「メイフラワー誓約書」をつくったり、
入植15年あまりでアメリカ最初の大学であるハーヴァード大学を設立したりしたことが、
現在のアメリカ合衆国の礎になってることに異論はないと思う。

つまり、彼らをそっと育んだオランダなくしては、
「ピルグリム・ファーザーズ」の栄光はなかった(つまり今の合衆国も)と思う。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは!TBどうもありがとうございます。 (うさたろう)
2005-06-08 15:29:43
こんにちは!TBどうもありがとうございます。
…今日のお話を読んで、ますます、ホントに私ってオランダの知識が全くなかったんだなぁ、と思います。
面積的には大きくないけれど、世界の歴史的にも大きな役割を担って来ていたのですね。
もっといろいろ知りたくなりました。
いつかオランダ語も少し齧ってみたいものです。(英語とドイツ語を勉強しなおしてから?)

…オランダネタが切れちゃうと、こちらに遊びに来てくれないかしらと心配ですが、またどうぞ、いらしてくださいね!
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