SIDEWALK TALK

枯山水

Karesansui先日、長唄のおさらい会に出かけた。
僕には風変わりな姪っ子(小2)がいて、
半年ほどまえに突然「三味線を習いたい」といいだし、
じっさいにプロの長唄師に師事してしまった。
この日が初舞台だった。


おさらい会の会場は、庭園が自慢の観山荘という料亭だった。
当日は、あいにくの雨。
雨の中、庭師さんが庭の手入れをしていた。
僕には日本庭園を観賞するなどという雅びた習慣はないけど、
庭師さんの雨中での作業がなんとなく気になって、庭の方に足を向けた。


庭園を論評する知識も技倆もないけど、その美しさに息を呑む思いがした。
枯山水がすばらしかった。
一木一草まで宝石のようだ。
ガンジキ(熊手)で描かれた波状文が美しく、禅寺にでも迷いこんだかと思った。


僕は、枯山水は小堀遠州の発明だと思っていた。
けど、どうやら勘違いだったようだ。
このエントリーを書くにあたって調べてみたら、
遠州の時代よりも遙か以前に枯山水は存在していた。


Microsoft(R) Encarta(R) によると、以下のように解説されている。

  日本的な景色を模倣し庭園の一部にとりいれる「前期式枯山水」の意匠は、
  奈良~平安期の庭園において出現する。


小堀遠州という武将は風変わりな人で、
武功じゃなく、作庭の才能と技術で大名に取りたてられた。
作庭だけじゃなく、茶道、書、和歌、建築などにもことごとく通暁していた。
生存中はそのウデを見込まれ、家康(幕府)にこき使われた。
自身の封地には、ほとんどいることがなかったんじゃないかな?
遠州は、その芸術的才能でもって、徳川家の重代の家臣でもないのに譜代になり、
従五位下遠江守という官職まで賜っている。


小堀遠州は以前から気になってる歴史的人物で、
いつかその生涯についての本を読みたいと思っているけど、未だ巡り逢っていない。
遠州は、枯山水の発明者じゃなかったけど、
その様式美の完成者としての名が揺らぐことはないと思う。

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