3月12日、戦没者を悼む「日米合同慰霊式」がおこなわれた。
この合同慰霊式に、弊社がすこしだけ関わらせていただきました。
戦没者の名簿を桐箱にいれ、さらに桐箱を石棺にいれて、硫黄島に安置した。
その桐箱を作らせていただきました。
もちろん、すべての製品に魂をこめて作製してるつもりだけど、
今回は内容物が内容物だけに、利益度外視で、誠心誠意取り組んだ。
すこしでも鎮魂のお手伝いになっていれば、うれしいのだけど…。
蛇足ながら、「硫黄島の戦」について…
太平洋戦争末期におこなわれた硫黄島をめぐる日米両国の攻防戦。
小笠原諸島に属する同島は、東西キロ 、南北4キロの小島だが、
米軍基地のあるサイパン島と東京をむすぶ唯一の中継地として、戦略上きわめて重要な価値があった。
日本空襲・進出の足がかりとして同島の確保をきめたアメリカ軍は、
1945年(昭和20)2月16日に同島への砲撃を開始し、
2月19日には約6万1千人の海兵隊が上陸した。
フィリピン戦での敗北により日本本土からの支援は期待できず、
硫黄島守備隊約2万1千人は孤立無援の戦いを余儀なくされた。
地下道を縦横にはりめぐらせた地下陣地をつくってはげしく抵抗したが、
「父島の皆さん、さようなら」の通信を最後に、
3月26日、残兵約800人が突撃して玉砕した。
この戦いで、日本側はほぼ全員が死傷、アメリカ側の被害は約2万9千人にのぼった。
同島陥落後の4月には、アメリカ軍が沖縄本島に上陸して本土攻撃がはじまった。