今朝は5時に元気(体温=36.4度)に起きた、感謝感謝。
10月もちょうど半分が過ぎ、日中は暖かいけど朝夕はすっかり寒くなってきた。
今朝なんか外気温=12℃だったもの、体調の維持管理も難しくなるわな。
今日は金曜日の在宅日、昨日は驚くほどマヒ足が軽かったけど今日はどうだべな?
昨日リハビリ中に小和田さんにポイントは話したけど、自宅改修を手すり据付にした経過は以下。
(1)倒れて2ヶ月後に東北大学病院へ転院(平成10年3月上)
状況:あぐらは2,3分はかけたが、頭が重くてうなだれたままで顔を上げられなかった。
(2)東北大病院は将来も歩けないから車イスでの運転リハビリと、
自宅の車イス生活のための改造(実際には全面改築で新築と同じ)を主張。
自宅改修は経済的には手すり据付レベルだと私と妻は主張した。
しかし病院側とは折り合えずに、最終的に私の判断で私の生活動線に手すりを据付けた。
松葉杖を使っても歩行リハビリを主張した私と、大学病院リハ科長(講師)は衝突して、
最終的には大学病院のあっせんで同年6月に国立宮城病院に転院した。
(3)宮城病院で歩くためのリハビリ入院(同年6月~11月)
東北大病院の診断書(5月)に基づき、同年9月に1種1級身体障害に認定。
会社は同年10月、仙台での会社復帰を承諾。
(4)平成11年1月から車イスにて仙台・名取で会社復帰
1月~3月までは半日時短勤務、4月からは終日勤務。
会社まで妻が送迎し、昼食は海苔巻きなど摘まんで食べられる弁当を持参。
妻は私が倒れてから10年後に他界したけど、
東北大病院の言うとおりに車イス生活で楽をさせられなかったことを、
妻は折にふれて私に申し訳ながっていた。
しかし、私は自宅改修を手すり据付にして正解だったと心から思っている。
たとえ一生、一人では自由に歩いて近所のコンビニにコーヒーを飲みに行けなくともだ。
参考)倒れた初年度を除けば、
ここのデイに通うまでセラピストによるリハを受けた経験がない。
宮城病院退院後、約20年間は自己流でリハビリをやってきた。
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