内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

抜書的読書法(哲学篇9)― モンテーニュ(二) 対話と邂逅

2015-05-13 04:06:30 | 読游摘録

 フランスの古今の思想家の中で日本人に最も愛読されているのは、おそらくモンテーニュではないであろうか。そのことは、複数の優れた翻訳があり、それらがそれぞれ版を重ねていることからも傍証される。
 西田幾多郎は、昭和五年に、「暖炉の側から」と題された滋味深い随筆を書いている。その一節で、「私は近頃モンテーンにおいて自分の心の慰謝を見出すように思う。彼は豊富な人間性を有し、甘いも酸いもよく分っていて、如何なる心持にも理解と同情を有ってくれそうな人に思える。彼自身の事を書いたという彼の書の中に、私自身のことを書いたのではないかと思われる所が多い。彼の議論の背後に深い、大きな原理として摑むべきものがあるのではない。また彼の論じている事柄は、何人の関心でもあるような平凡なものであるかも知れない。しかし彼は実に具体的な人生そのものを見つめているのである」(『西田幾多郎随筆集』、岩波文庫、180頁)と、モンテーニュへの深い共感を綴っている。同感される方も少なくないのではなかろうか。
 先週来抜書きを続けているグザヴィエ・パヴィの本の中でモンテーニュに割かれた頁数は十数頁に過ぎないが、モンテーニュの思想と生涯についてよく要点を突いた素描がそこには見られるので、それらの頁から少しずつ抜書きしながら、私たちもモンテーニュを再訪してみよう。先を急ぐことはない。ボルドーのモンテーニュの屋敷の一室で彼と対話するようなつもりで、パヴィの本を手がかりに、モンテーニュを少し読んでみよう。そこに、私たちは、西田のように自画像かと見紛う記述を見出すかも知れないし、パヴィによる他書への言及から、意外な人物と出会うことになるかも知れない。