モンテーニュにとって、「旅は生の技術となる」(« le voyage devient art de la vie », Stefan Zweig, Montaigne, PUF, « Quadrige », 1992, p. 104)。旅にあって、魂はつねに「運動中」である。外つ国で未知のものに触れ続け、動かされ続ける。モンテーニュによれば、他の民族・習慣・伝統の多様性に魂をつねに触れさせ続けることは、人生において自己形成するためのこの上ない「学校」である。かくして、モンテーニュは自らを「世界市民」として形成する。
モンテーニュの旅日記を「精神的実践」の一環として読もうとするのは、アメリカの哲学者エマーソンである(エマーソンについては、昨年十二月七日からの三回の記事を参照されたし)。モンテーニュの崇拝者であり、「アメリカのモンテーニュ」と呼ばれることもあるエマーソンは、あるエッセイの中でおよそ次のようなことを言っている。
良識ある人間にとって、旅をすることには多くの利益がある。外国語能力、他国の知友、他国についての見聞や知識を持てば持つほど、人間として強化される。外国は自国について判断するための一つの比較点を提供してくれる。外国旅行の様々の効用のうちの一つは、自国の書物やその他の作品あるいは文化について、その良さをよりよく理解させてくれることである。私たちがヨーロッパに行くのは、アメリカ人になるためなのである。
このエマーソンの考えは、日本人にももちろん当てはまるだろうし、旅の行く先はヨーロッパに限られないことも言うまでもない。
「真の自己」を形成するための旅、それは一つの哲学の方法に他ならない。