不可避な死への対処の仕方としてモンテーニュが推奨するのは、死を馴致することである。モンテーニュは、生と死とを同時に考える。できるだけ頻繁に、遠からぬ死を心に抱け、と言う。
ストア派の哲学徒であるならば、常に死を念頭に置き、それがいつでも私たちに到来しうるほどに近いものであることを想像できなけれならない。些細な怪我、ありそうもなかった豚と馬との衝突、空から落ちてきた亀の甲羅などの例は、それぞれに死の不慮性と至近性を印象深い仕方で例証している。
死はどこで私たちを待ち構えているとも知れない。だから、つねに死に備え、待機せよ、とモンテーニュは言う。祭りのとき、喜びのとき、楽しみのとき、そのようなときであっても、死は間近に控えていることを忘れてはならない、と。
モンテーニュは、古代エジプトの儀式の例を引く。エジプト人たちは、宴席がお開きになったところに「死を象徴する大きな像」(PUF の Villey-Saulnier 版では « une grand’image de la mort » とあるだけだが、パヴィの本には、「死んだ男の骸骨」(« le squelette d’un homme mort »)とある。しかし、それに該当する例を『エセー』の中に見つけられなかった)を召使に持って来させて、出席者たちに向かって、その召使にこう唱えさせる ―「さあ、飲め、楽しめ。死すれば、汝はこうなるのだから。」