モンテーニュは、旅の間中、旅宿に入る前に、必ず、そこで病気になったら自分の思っている様な仕方で死ぬことができるかどうか自問したという。いつ死ぬかもわからないのだから、自分のそれまでの生き方に反するような場所と仕方では死にたくなかった、ということだろうか。
『エセー』第一巻第二十章「哲学すること、それは死に方を学ぶこと」(« Que philosopher c’est apprendre à mourir »)は、その構成が数段階を経ているとはいえ、その大部分は『エセー』執筆開始から間もない初期の段階である一五七二年に書かれた。その冒頭に、キケロの有名な言葉、「哲学するとは、死に備えること以外の何ものでもない」(« Philosopher ce n’est autre chose que s’aprester à la mort »)が置かれている。この章を読む限り、モンテーニュはストア派の哲学徒である。いかにしても避けがたい死について、それを追い払うには考えないようにすればいいではないかという卑俗な輩たちに激しく異を唱えている。
ところが、モンテーニュの死に対する考え方も晩年に近づいて変化する。死は、もはや人生の「最終目的」ではなく、単なる「生の終わり」でしかない、と考えられるようになる。一五八八年版に附加された別の章節では、死について考えない「気楽さ」こそが推奨される(特に、第三巻第十二章)。何がこの百八十度とも言える死生観の転回をもたらしたのだろうか。
しかし、死に対するこの対極的とも見られる二つの態度とその一方から他方への年齢を経ての移行について云々する前に、まずは『エセー』第一巻第二十章に見られるモンテーニュの死との向き合い方をゆっくりと辿っていこう。