内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

丸山眞男仏訳プロジェクトについて ― 夏休み日記(7)

2015-08-08 12:25:13 | 雑感

 二年前に丸山眞男の仏訳プロジェクトを自分が所属する研究会で立ち上げた。戦後日本民主主義思想に最も重要な貢献をした思想家の一人がフランスで十分に知られているとはとても言いがたく、その欠を少しでも埋めようと、私がイニシアティブを取ってまず読書会を始めたのだが、その他の仕事の忙しさと転任とが重なり、プロジェクトは頓挫している。
 しかし、幸いなことに、この九月から修士過程の演習で丸山を読むことを、サバティカルで日本からいらっしゃる先生とともに始めることができるようになったので、演習を通じて仏訳も再開させたい。私自身が担当する修士二年の演習では、「超国家主義の論理と心理」を読むことにした。この論文は、敗戦の翌年昭和二十一年三月に執筆され、雑誌『世界』の五月号に掲載された。奇しくも東京裁判開始と時を同じくしてのことであった。
 しかし、このテキストを仏訳するのは容易ではない。丸山自身が『現代政治の思想と行動』追記の中で認めているように、「文章やスタイルがいかにも古めかしく、しかも極度に圧縮して提示しているので、どう見てもあまり分りのいい論文ではない」からである。かつてイナルコの「現代思想」の講義で三年続けて「超国家主義の論理と心理」の中でも特に有名な箇所二つを学部三年生に読ませたが、彼らには構文的にどうにも歯がたたず、その点で「西田幾多郎の文章より難しい」というのが彼らの持った印象であった。
 それはともかく、今年になって岩波文庫の一冊として刊行された『超国家主義の論理と心理 他八篇』で本文正味僅か二十七頁足らずの、戦後日本思想史の劈頭を飾るこの記念碑的論文は、それをどう評価するにせよ、まずは虚心坦懐に精読されるべきであろう。
 かつてイナルコの学部生に読ませた二箇所の本文と私の仏訳を掲げておく。

全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を中心として、連鎖的に構成され、上から下への支配の根拠が天皇からの距離に比例する、価値のいわば漸次的希薄化にあるところでは、独裁観念は却って成長し難い。なぜなら本来の独裁観念は自由なる主体意識を前提としているのに、ここでは凡そそうした無規定的な個人というものは上から下まで存在しえないからである。一切の人間乃至社会集団は絶えず一方から規定されつつ他方を規定するという関係に立っている。(岩波文庫版30頁)

Dans un système où l’ordre général de l’État est constitué de manière enchainée à partir du centre occupé par l’empereur, qui incarne la valeur absolue ; [dans un système] où le fondement de la domination hiérarchique est proportionné en fonction de la distance par rapport à l’empereur, et où la valeur est donc pour ainsi dire diluée progressivement, l’idée de dictature se développe plutôt difficilement. Car, alors même que l’idée originelle de la dictature présuppose la conscience du sujet libre, tout individu indéterminé comme celui-ci ne peut exister nulle part dans ce système. Tous les êtres humains ou tous les groupes sociaux s’y trouvent toujours déterminés les uns par rapport aux autres de manière réciproque.

こうした自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。(同32頁)

Étant donné que la conscience du sujet libre est absente, qu’aucun individu n’est doté du contrôle sur ses comportements dans sa propre conscience morale, et que celui-ci est déterminé par un être hiérarchiquement supérieur (donc plus proche de la valeur ultime), apparaît, à la place de l’idée de dictature, le phénomène de ce que l’on pourrait appeler le maintien de l’équilibre psychologique obtenue par la concession de l’oppression. Il s’agit d’un système dont l’équilibre global est soutenu par le transfert graduel et successif de l’oppression venant d’en haut au moyen de la manifestation de l’arbitraire tournée vers le bas.