内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

誕生日に思う人生の起承転結 ― 夏休み日記(22)

2015-08-23 13:04:33 | 雑感

 自分の人生に自覚的に起承転結をつけることなどできないかもしれない。あらかじめストーリーを考えておいて、その通りに生きることなど、もちろんできない。もしできたとしても、そんな「思い通りの」人生は、きっと面白くないだろう。
 しかし、ある時、ふと、それまでの自分の人生を振り返ってみて、自ずとそこにいくつかの区切りがあったことに気づくということはある。それらの区切りがこれからの人生へのある視角を開くということもある。
 何年か前から、それまでの自分の人生の大きな区切りを踏まえて、今日の自分の誕生日を、新しい、そして最後の、大きな区切りにしようと思い決めていた。今日何か特別な出来事があったわけではない。それに、本人がそう思い決めたところで、その通りになる保証などどこにもない。
 しかし、高校を卒業し大学に入学した年の夏に十九歳なり、三十八歳になった翌月にフランス留学、そして今年の九月でフランス滞在期間が丸十九年になることに気づいたとき、これら三つの十九年間をそれぞれ私の人生の「起」「承」「転」に対応させ、今日の誕生日以降に残された時間を自分の人生の「結」にしようと思い決めたのである。
 もちろん、そう決めたと私独りでいくら力んだところで、これから何が起るかわからない。「結」のつもりが、ただただ「転々」としていくだけに終わるかもしれない。あるいは、明日あっけなく幕が降ろされてしまうかもしれない。出来事は私の意志を超えて到来する。
 しかし、これからどれだけ残されているのかわからない人生の時間を「結」として生きようと決め、それを自覚しつつ生きるのとそうでないのとでは、自ずと生き方に違いが出て来るだろう。
 人生は、文章のように書き直すことができないし、推敲もできない。これまでのすべての出来事は、それをなかったことにすることはできない。一度も後悔したことがないと言えば嘘になる。
 一日一日を生きることそのことが、たとえそれが拙い仕方であったとしても、自分の人生を「書く」ことなのだと思う。今日から、自分の人生の「結」を、この世に留まることを許された最後の日まで、「書いて」いく。