昨日の記事で言及した岩波の日本思想大系『本居宣長』の巻末には、吉川幸次郎の解説「文弱の価値 ―「物のあはれを知る」補考」が収められている。
その解説の中で、吉川は、宣長の思考の重点の一つである「物のあはれをしる」について二つの私見を述べている。この思考の来源として、「町人の子としての経験が参与していないか」との仮設を立てるのがその一つ。他の一つは、「立て前としては彼の排撃する儒家の思考との連続、ないしは中国の思考との連続、それが認められる」という中国文学の専門家としての考察である。
吉川にとって重要なのは、「物の哀をしる」説が、「源氏物語」論、歌学論であるばかりでなく、「哲学説としての認識論」であることである。それは「源氏物語」解釈としては、拡張解釈と疑われるまで徹底して展開されていると吉川は見る。そのような大膽な議論を可能にした条件の一つが、宣長が武家ではなく、町人の家に生まれ育ったことではないかと吉川は考えるのである。
その他にも、町人なるがゆえに宣長が発想し得、主張し得たと見られる思考があると吉川は言う。それは「めゝしさの価値」の賞揚である。漢語で言えば、「文弱」であり、「優柔不断」である。
宣長は、「この心理こそ、人間の真実であり、またこの心理によってこそ、「物の哀を知る」能力をもつのであり、つまりよき人であり得るとする」。そこに吉川は、「武士の倫理に対する抗議」を読み取る。単なる文学論ではなく、「広汎な人間論」をそこに読み取る。
「紫文要領」で「源氏物語」の叙述の方法を縷々賞揚した後に、軍記物などには、武士たちの雄々しき戦いぶりや見事な討死などが活写されているが、しかし、人の情のうごきはそこには隠されているとして、宣長は次のように述べている。
其時のまことの心のうちをつくろはず、有のまゝにかくときは、ふる里の父母もこひしかるへし、妻子も今一たひ見まほしく思ふへし、命もすこしはおしかるへし、是みな人情の必まぬかれぬ所なれは、たれとても其情はおこるへし。
この認識から、歌物語の価値も引き出される。
歌物語は、其善悪正邪賢愚をえらはず、たゞ自然と思ふ所の実の情をこまかにかきあらはして、人の情はかくの如き物ぞといふ事を見せたる物也、それを見て人の実の情をしるを、物の哀をしるといふなり。