ビンスワンガーの『夢と実存』は、一九三〇年、Neue Schweizer Rundschau に論文として掲載されたのが初出である。 この論文が、フーコーによれば、「厳密な意味で現存在分析(Daseinsanalyse)に属するビンスワンガーの最初のテキスト」である(L. Binswanger, « Introduction », Le rêve et l’existence, trad. par J. Verdeaux, introduction et notes de Michel Foucault, Bruges, Desclée de Brouwer, 1954, p. 14-15)。一九五四年に出版された「夢と実存」の仏訳にフーコーは本文に倍する長さの「序論」を書いているが、これがフーコーの処女作であり、Dits et écrits 1954-1988, Gallimard の第一巻劈頭を飾っているのもこのテキストである。
この「序論」を伴った『夢と実存』の邦訳は、早くも一九六〇年にみすず書房から出版されており、現在はその新装版(二〇〇一年刊行)が入手可能であるから、同書が日本でも息長く読まれていることがわかる。
フランスでは、二〇一二年に、フランソワーズ・ダスチュール(Françoise Dastur)先生による新訳 Rêve et existence が Vrin からポッシュ版で出版された。この新訳には、訳者ダスチュール先生ご自身による「前書き」と二十頁を超える「序文」が付され、本文の後には、Elisabetta Basso による三十頁近い「後記」が付け加えられている。「序文」の目的は、論文「夢と実存」をビンスワンガーの思想全体の中に位置づけること、とりわけ、フロイトの『夢判断』との決定的な違いを強調し、フッサールとハイデガーからビンスワンガーが精神医学の方法として学んだこととそこからのビンスワンガー独自の現存在分析の展開を跡づけることである。それに対して、「後記」は、ビンスワンガーの現存在分析に対するフーコーの関係にまつわるこれまでの誤解を解き、「序論」以後のフーコーの思想の展開においてビンスワンガーの現存在分析が果たした役割をより積極的に評価し直すことをその目的としている。
本文にこれらのテキストを全部合わせても百十頁ほどの小著だが、人間存在における夢の実存的意味をフロイトとユング以後の二十世紀精神史の文脈の中で考える上で、一つの出発点になりうる重要な文献であることに変わりはない。
人間的な現象のうちで昔からつねに解釈の対象とならねばなっかったと思われる現象があるとすれば、それはまさに夢である。ところが、この夢という現象は、どれほど人間が己自身について僅かのことしか知らないか、自分では統御できない諸力の支配下に夜間置かれているかを証示している。
S’il est un phénomène humain qui a depuis toujours semblé devoir être soumis à interprétation, c’est bien le rêve, qui atteste à quel point l’homme sait peu de choses de lui-même et se voit nocturnement soumis à des forces qu’il ne gouverne pas. (Rêve et existence, « Préface », Vrin, coll. « Bibliothèque des textes philosophiques », 2012, p. 9)