哲学が日々の exercice spirituel であるとすれば、一年間を通じて、いや一生を通じて、一日も休む理由はない。夏休みのような長期休暇中には、普段はあれこれの差し迫った仕事に追われて細切れになりがちな思索の時間をゆったりと持続的に取ることができるから、それを活かしたいと思う。仕事とどこかで絡んだ哲学の演習がない夏休み中は、夏休みならではの哲学の時間でもあるだろうというのが、今日の記事のタイトルの心である。
それにしてもこの猛暑である。母が昨年亡くなってから普段は無人の実家に滞在しているが、庭と家の外回りの水遣りは一日一回では足りないほどだし、毎夏帰国する度に母から頼まれていたドライエリアの掃除もしなくてはならない。物置の整理など、この夏の滞在中には、他にもけっこうやることがある。
しかし、そのような肉体作業は思考の時間を奪うわけではない。むしろ体を機械的にあるいはリズミカルに動かすことが、思考を活性化し、集中力を高めてくれることさえある。だからそういう作業は、そのかぎり、嫌いではない。面倒臭がらずに進んでやればなおのことである(高校・大学時代は、家の仕事を頼まれる度にあれほどいやいや仏頂面をしながらだらだらとやっていたというのに、変われば変わるものである)。
そして、一汗も二汗もかいた後のビールの味は格別、というおまけも付く。