内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

亡き母を想う ― 夏休み日記(5)

2015-08-06 07:30:06 | 雑感

 生前母はほぼ毎朝一時間余りのウォーキングを何十年間欠かさなかった。それは死の前月まで続けられた。自宅から世田谷公園まで歩き、公園を一周し、ウォーキングしているうちにいつしか知り合った人たちとラジオ体操をして、また同じ道を歩いて帰って来る。それは炎熱の真夏でも寒風が肌を刺す真冬でも続けられた。ウォーキングから帰ってくると、玄関まわりの掃き掃除をする。それからシャワーを浴び、簡単な朝食を取る。これら一連の習慣がその日の始まりだった。
 その息子は、先月半ばから、ここ七年間毎夏恒例の一時帰国中で、いつものように「実家」に滞在している。昨年までと違うのは、その母は昨年末に他界し、遺影が飾られた寝室で母が使っていた寝心地の良いベッドでその息子が寝ていることである。帰国直後の数日間はまだ遺骨があった。それも先月二十一日、四十年前に亡くなった夫の遺骨の傍らに納骨された。その日も暑い一日だった。
 日毎、一言二言、「今日も滅茶苦茶暑いらしいよ」「庭の水撒き、やっておきましたよ」などと、遺影に話しかける。いや、母に話しかけている。
 最後まで心配と心労をかけ続けた不肖の息子は、周到に準備された最期とともに人生を締め括ったその母親にもはや返すことのできない「負債」を負っている。せめて人生の始末の付け方だけでも少しは見習いたい。