内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

岩波文庫についてのちょっとした懸念 ― 採点作業の合間の読書記録(3)

2021-06-07 15:02:31 | 読游摘録

 早朝ウォーキング・ジョギングが、良く言えば習慣化、悪く言えば中毒化し始めていることを示す「自覚症状」が出て来た(のではないかと愚考する)。どんどんスタート時間が早まっているのである。今朝は四時半に家を出た。しかも四時から室内でウォーミングアップをしてからという念の入れようである。現在日の出は五時半頃であるから、空が明るくなる頃にはもう汗びっしょりで帰宅することになる。
 ちなみに、外出制限令は段階的に緩和されているとはいえ、自由外出時間は夜のほうが延長されているだけで、朝は六時からのままである。つまり、私は確信犯的に毎朝「違反」しているのである。が、そもそもそんな朝早く歩いている人など自宅周辺にはいないし、オランジュリー公園の付近にもいない。治安のきわめて良いこれらの地区をパトロールしている警官ももちろんいない。夜明け前、徐々に青空が広がってゆく、あるいは鈍色の雨雲に覆われた空が少しずつ白んでゆく天空の下、リル側沿いの自転車・歩行者専用道を歩いたり走ったりしていると、広々と開かれた景観を独占しているかのような贅沢な気分が味わえる。
 今朝、東京に住む妹に頼んで送ってもらった本が他の同梱荷物とともに届いた。吉川幸次郎『本居宣長』(筑摩書房 一九七七年 これだけ古書)、『西田幾多郎講演集』(岩波文庫 二〇二〇年)、新渡戸稲造『武士道』(ちくま新書版 二〇一〇年、角川ソフィア文庫版 二〇一五年)、島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書 二〇一〇年)、佐藤卓己『現代メディア史 新版』(岩波書店 二〇一八年)、堀米庸三『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(中公文庫 二〇一三年、原本は一九六四年刊の中公新書)の七冊。自分の研究ため、来年度の修士の演習のテキスト、学部の授業の参考図書、懐かしの名著など購入目的はいろいろである。届いたばかりのそれらの本をパラパラとめくってみるだけも楽しく、思わずニマニマしてしまう。
 ところが、『西田幾多郎講演集』の編者解説の終わりの方を見て、ちょっと大げさに言えば、愕然とした。これでも岩波文庫なのかと言いたくなるような初歩的なミスがあったからである。
 西田が京都大学で行った「宗教学」講義記録からこの『講演集』に採録された講義記録最終章「宗教の光における人間」の解説に、西田の年譜についてざっくりとした知識をもっているだけの人でもすぐに気づくようなミスがある。誤植ではない。西暦と年号が間違っているのである。西田が「宗教学」の講義を行ったのは、大正二年(一九一三)から翌年にかけての一学年のみであるが、解説には、「一九二七年(昭和二)から翌年にかけて」となっている(二九七頁)。次の頁には「西田が翌年には宗教学講座から哲学・哲学史講座へと転任した」とあるが、確かにこれは大正三年ことであって、昭和三年ではない。昭和三年八月末をもって、西田は定年退職する。西田の定年退職の年くらい、西田哲学にちょっと関心を持った学部生だって知っていておかしくない初歩的な知識である。さらに残念なことに、このミスには「駄目押し」がある。というのも、解説最終頁(二九八頁)に、「この宗教学講義は、一九二七年当時の欧米の宗教学あるいは宗教哲学の様々な関連文献を精査して、それを西田自身の観点から主体的に整理し要約したものである」とあるからである。
 百歩譲ってこれは編者の単なる一時的な記憶違いだとしよう。あるいは、編者の頭の中で大正二年がなぜか昭和二年(一九二七)に置き換わってしまい、そのことに気づかずに校了してしまったとしよう。としても、校正の不備を指摘せざるを得ないだろう。いったい誰が校正したのか。それに、そもそも、西田の京大時代の初期に属する講義の年を定年退職の前年と記して、その誤りに気づかないというのは、編者自身の西田理解について一抹の不安を私に抱かせるに十分である。
 昭和二年は、皮肉にも、岩波文庫創刊の年である。それから九四年間、「いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書」(三木清の手になる岩波文庫発刊の辞より)を何千と出版してきた岩波文庫である。私も四十年以上に渡って少なからぬ岩波文庫を愛読し、渡仏前は二千冊ほど手元にあった。日本における学芸の普及のために、他のすべての後発文庫の追随を許さない輝かしい貢献を一世紀近くしてきた岩波文庫にこのようなミスを発見するのは悲しい。いや、この「ほんのささいな」ミスは、日本の出版文化や学芸全般の質の低下の前兆の一つではないのかと私をいささか不安にする。老いぼれ悲観論者の杞憂であってほしい。