内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

二つの口頭試問 ― 『葉隠』とニーチェ、江戸時代の寺子屋とアンシャン・レジーム期の小さな学校

2021-06-18 23:59:59 | 講義の余白から

 本日、二つの口頭試問があった。午前と午後にひとつずつ、どちらも遠隔で行われた。
 午前は、学部の卒業小論文の口頭試問。論文のテーマは、山本常朝の『葉隠』とニーチェの『悦ばしき知識』の比較研究。副題は「いかなる点において武士の倫理の理想像はニーチェの超人に接近するか」。出色の出来栄えであった。既成の倫理的価値が揺るがされている危機の時代に生きたという類似する歴史的文脈の中で、両者それぞれがいかに新しい価値の創出を試みたかという問いを立て、一見して対立する価値観を提示しているかに見える『葉隠』と『悦ばしき知識』からの引用を積み重ね、結論として、両者の親近性を生の哲学の探求に見出す。三島由紀夫の『葉隠入門』に触発されつつ、『葉隠』の思想の核心を、その死への思想にではなく、この生の今の一瞬を十全に生きるための日常の中の工夫と見み、それをニーチェの生の哲学に引き寄せていく解釈の手並みは見事であった。
 講評の中で、江戸時代、武士道が士道に対する批判として現れ、両者がどこで対立するかを考察するとき、ニーチェが『悦ばしき知識』で展開した既成倫理批判がその考察に有効な手がかりを与えてくれることを指摘しておいた。修士論文としてさらなる展開が期待できるテーマだが、本人は修士に進む道を選ばず、まずはバイトで稼ぎ、日本で一年間暮らし、その後もし勉強を継続したくなったら、修士に進むかも知れないと言っていた。今年の三年生の中には哲学的センスが光る女子学生が何人かいたが、彼女はその中でも際立っていた。
 午後は、論文の審査ではなく、修士一年の終わりに提出が義務づけられている研究報告書についての口頭試問。私が修士論文指導教官であるこの学生は、当初、関西圏における江戸時代の児童教育の事例研究をテーマとするつもりで、来年度の岡山大学への留学が決まっていたのだが、主に経済的な理由でそれを諦めざるを得なくなった。その結果、現地での史料調査が必須の事例研究は困難となり、私と相談の上、テーマを日仏比較研究に切り替えることにした。フランスのアンシャン・レジーム期に登場した「小さな学校 Petites écoles」と江戸時代後期の寺子屋との比較研究である。前者に関しては、当然のことながら、フランスがその研究の中心であるから、一次史料にも研究文献にも事欠かない。後者に関しては、日本語の二次文献に頼らざるを得ないが、それにしてもフランスでは簡単には閲覧あるいは入手できない文献が多い。そこで、以下のような「戦略」を採用することにした。
 まず、「小さな学校」に関して、その成立の経緯と展開、目的、教会との関係、運営規則、教師の出自とその雇用、教科内容、教科書、宗教教育の位置づけ、女子教育の特徴、地方的な特徴、都市部と農村部の差違などの諸点を比較対象の項として詳細かつ体系的に立て、それらとの比較を通じて、特に両者の間の決定的な違いを際立たせつつ、寺子屋の諸特徴と社会におけるその機能を明確化するという手順を踏むことにしたのである。
 この学生は、いつもいくつもの質問を抱えて面談にやって来るのだが、今回の試問の間にも様々な質問があった。面白いことに、それに答えているうちに、私の方にいろいろアイデアが浮かんできて、それを彼に話すと、彼もそれを面白がり、論文にどう取り入れるか考え始める。もはや単なる質疑応答ではなく、論文のさらなる展開の可能性を一緒に探ることになる。今回も話が尽きず、一時間の予定の試問が一時間四十分に及んだ。しかし、それは双方にとって知的刺戟に富んだ会話であり、少しも長いとは感じなかった。次回は、夏休みの終わりに、それまでに書けた部分について検討しようと約して、遠隔試問を気持ちよく終えることができた。