老生の年齢と若き学生たちの年齢との目も眩むような―嘘偽りなく、端的に言えば、孫子のような―開きもあり、ましてや、相手にしているのはフランスの大学の学生たち(つまり、彼らの生きている社会に、所詮、私は属してはいない)ということもあるからだと思うが、すごく醒めた目で彼らの現実を見ている自分がいる。
「君たち、これから大変だよねぇ。頑張ってねぇ」と、定年が数年後の私は心の中で願いつつ(この気持ちは真率ですよ)、他方で、「君たちの未来は私とは何の関係もないんだよね」ということも日々自覚せざるを得ない。こんなこと、いつものお決まり、お馴染みの「何を今更話」である。
ただ、自分が彼らの年齢だったころのことを思うと、今はそれと比べて卒倒するほど技術革新が進んでいる一方、生きることの大変さはむしろ共約不可能なほどに増大しているように思え、彼らに対する同情を禁じ得ない(って、嘘くせぇ~)。
今日、卒業小論文の口頭試問を遠隔で行った後、試問を受けた学生に、「来年度どうするの」と聞いた。日本語を含めた多言語の翻訳者を養成するマスターに進むという。それは日本学科卒業生がよく選ぶコースのひとつだ。選択肢のひとつとして、まったく妥当である。
「美しき夏を過ごしてください」― 彼に贈ることができたせめてもの餞の言葉であった。