内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『猫は神さまの贈り物 〈エッセイ編〉』

2021-06-30 15:38:15 | 読游摘録

 今日の記事では、昨日の記事からの「猫つながり」ということで、『猫は神さまの贈り物 〈エッセイ編〉』(実業之日本社文庫 2020年 初版単行本 有楽出版社 2014年)を取り上げる。本書は、夏目漱石、柳田國男、寺田寅彦、谷崎潤一郎その他、計十六人の作家・画家・女優・エッセイスト・女性史研究家・心理学者・国文学者たちが書いた猫にまつわるエッセイを集めたアンソロジーである。誰が編者なのかわからないが、この文庫版の解説は角田光代が書いている。谷崎潤一郎、木村荘八、中村眞一郎、山崎朋子はそれぞれ二編のエッセイが収録されている。大佛次郎は三編採られている。さすがである。
 それぞれに味わいの違う多様な文章が選ばれており、類書と一線を画した秀逸な編集だと思う。世には猫エッセイのアンソロジーは数多存在するが、本書の特徴は、角田光代が言うように、いわゆる心温まる猫話が極端に少ないことだ。
 たとえば、漱石の「猫の墓」には、病気で苦しみ次第にそれが悪化していく猫の姿とその猫への妻や子供の冷淡さの犀利な観察が綴られている。漱石自身、薬を飲ませてやれと妻に言いはするが、自分で何かしてやるわけではない。その猫の死後、妻の態度が急に変わる。猫のための墓標を買ってきて、それに何か書いてくれと漱石に頼む。漱石は、その墓標の表にただ「猫の墓」と書き、裏に「此の下に稲妻起る宵あらん」と一句認める。
 生前の冷淡との対比が際立つ子供と妻の振る舞いが最後の二段落にこう印象深く描写されている。

 子供も急に猫を可愛がり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花を澤山挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替へられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分は此の書斎の窓から見てゐた。――たつた一人墓の前へ來て、しばらく白木の棒を見てゐたが、やがて手に持つた、おもちやの杓子を卸して、猫に供へた茶碗の水をしやくつて飮んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、靜かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤ほした。
 猫の命日には、妻が屹度一切れの鮭と、鰹節を掛けた一杯の飯を墓の前に供へる。今でも忘れた事がない。ただ此の頃では、庭迄持つて出ずに、大抵は茶の間の簞笥の上へ載せて置くやうである。

 漱石は、妻や子供たちの生前の冷淡を詰るわけでもなく、彼女たちの死後の態度の急変を揶揄するでもなく、猫の様子の変化の描写を主として、家庭内で見たこと聞いたことをとても細やかな筆致で描き出していく。その眼差しは人にも猫にも平等に注がれている。