内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本の精神史の転換点としての近江荒都歌

2021-06-12 12:38:00 | 読游摘録

 近江荒都歌については、2019年3月19日の記事「仏教の無常観では捉えきれないもの ― 人麻呂の近江荒都歌」で、末木文美士の論文「『万葉集』における無常観の形成」(『日本仏教思想史論考』大蔵出版 1993年所収。初出は、『東洋学術研究』二一・一 1982年)に見られる考察を取上げたことがある。その記事に今新たに付け加えるべき見解はないのだが、その内容は来月の発表に直接関わっているので、もっぱら私自身の再確認のために、もう一度末木論文の当該箇所を読み直しておきたい。
 末木氏は、壬申の乱から近江荒都歌が詠まれるまでの十数年が精神史上の大きな転換期であったとの認識を同論文で示しているが、それを根拠づける歴史的分析は、立ち入る余裕はないと省略している。私にはその缺を補うだけの知識も力量もないが、精神史的観点から一点指摘しておきたいことがある。
 過去は過ぎ行き、取り返しがつかないという歴史的時間の不可逆性の認識が近江荒都歌とともに生まれたとする見方はすでにこのブログでも繰り返してきた。では、この人麻呂の歴史認識と天武天皇に始まる記紀編纂の企図とはどの様な関係にあるのだろうか。先日取上げた瀧浪貞子の『持統天皇』(中公新書)によれば、「原万葉は、当時天武天皇の遺志を継いで進められていた記紀の編纂に並ぶ文化事業」ということになるが、それらすべてを天皇家(王権)の歴史としてまとめることができるだろうか。仮に当の編纂者の意図はそうだったとしても、近江荒都歌には、その意図から逸脱する感情が表現されていることは先日の記事で見た。
 天皇自身が神であるという「現人神思想」は、壬申の乱を勝ち抜いた天武のカリスマ性によって生まれた(大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』講談社学術文庫 2018年)。このような思想は、天武とその皇子たちに限られたもので、日本の天皇制の歴史の中では特異な、例外的なあり方であった(同書)。人麻呂自身、「大君は神にしませば」で始まる歌を二首(巻三・二三五、二四一。二三五の或本の歌を含めれば三首)詠んでいるが、この表現は、天武~文武朝に固有の、王権の絶大な力を賛美する慣用句で、天武系の天皇または皇子に限って使われている(伊藤博『釋注』)。
 近江荒都歌は、現人神思想にあからさまに抵触するわけではないが、それとは明らかに異質の歴史認識を表現しており、日本の精神史における転換点としてより決定的な重要性をもっている。