二週間前に行った「近代日本の歴史と社会」の中間試験の答案を今日の授業のはじめに学生たちに返却した。すべての答案の論述問題と和文仏訳問題にコメントを付すので採点には時間がかかるのだが、今回は昨日月曜日に一気にほぼやり終え、数枚やり残した答案は今朝早起きして採点して今日の授業に間に合わせた。
全体として結果は良好であった。クラス平均が12,4(20点満点)受験者37名中24名が合格点の10点以上、最高点は18,7(女子学生二人同点)、16点以上が8名。
授業のはじめに、この上位8名を「表彰」した。日本の百均で買っておいた「とてもよくできました」「よくできました」シールを答案に貼って返却したのだ。トップ二人にはさらに金賞シールも貼ってあげた。成績優秀者は毎回発表するのだが、シールを貼ってあげたのは今回がはじめて。みんな、小学生みたいにえらく喜んでいた。金賞の一人は「答案、家に飾ろうかな」と言い、「親に送ろう」と携帯で写真も撮っていた。
十点以下の学生たちの答案には、「もうすこしがんばりましょう」シールを貼ろうかと思ったが、それで傷ついたり、嫌味だと不快に思ったり学生もいるかもしれないので、「思案の末、結局やめました」と教室で説明した。該当する学生たちは苦笑していた。
今年の三年生はクラスの雰囲気がずっとよく(去年の三年生とは天地ほどの差がある)、成績優秀者を発表し、答案を返却するときには、自ずと拍手が起こる。それが親愛の情と敬意とがこもったいい拍手なのだ。これはいつもそうだとはかぎらない。
表彰されなかった学生たちの中には、自分が期待していたほどの点数が取れずに悔しそうに俯いている学生もいたが、それらの学生たちも自信をもってよい点数を取っているのだ(点数そのものがちゃんと試験勉強したことを証明していますよ)。
試験問題の構成は、いつもどおり、語彙(5点)、論述(9点)、和文仏訳(6点)の三部立て。論述問題は以下の三題。それぞれ十行程度で答えなさいという設問(各問配点は3点)。
1. イ・ヨンスクによると、明治初期、国語と日本語とはどのような関係にあったか。
2. 明治初期、「社会」と「個人」という概念の翻訳に際してどのような困難があったか。
3. 1940年代前半、時枝誠記が朝鮮半島における「国語」教育の「半島人」たちへの強制を支持した理論的根拠はなんであったか。
いずれも授業をよく聴いていれば簡単に答えられる問題ばかりなのだが、一人驚くべき答案を書いた女子学生がいた。それぞれ十行くらいでいいのに、三題すべてにその三倍近い量の解答を示し、それがまた授業の内容を細部までよく理解した見事な答案だったのだ。もちろん満点を上げた。
おかしかったのは、その学生は論述問題の解答にエネルギーと時間を使い果たしてしまい、和文仏訳にはほとんど時間が残っておらず、二問のうちの一つはまったく構文を理解できておらず、低い点数しか取れなかった。といっても、総合点は17,3だから立派なものである。
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