昨日、拙ブログへのアクセス数が6184および閲覧者数が5386とそれぞれ普段の5倍から7倍に増え、総合順位も32位と5月に3位に上昇したとき以来の高順位となっていて、なんでなんだろうとアクセスされたページを見てみたら、今年の6月26日の記事「紫式部の弟惟規の最期の姿が『光る君へ』に取り入れられるとすれば」に5080件とアクセスが集中していることがわかりました。
どうして今なのかは今ひとつはっきりしませんが、最終回まで三ヶ月を切っていますから、この場面が取り入れられるとすればいつ頃になりそうかということがどこかで話題になって、それが拙ブログに「飛び火」しただけのことなのでしょう。
それが証拠に、最近一週間の記事へのアクセスはまあまあいつも通りの数値で推移しており、つまり、あいも変わらずぱっとしないという身の丈通りの日々の現実が確認されるだけです。
こっちから積極的に旬の話題に乗っかれば、それなりの数値が出るのかも知れませんが、ブログで商売をしているわけでもなく、耳目を集める話題を追っかけるのはそれだけで疲れますから、自分の狭隘な関心事・心配事と貧しい一般教養を後生大事にしつつ、日々の小さな「気づき」と「学び」を大切にし(と書いて、赤面する)、なんのドラマも奇跡もなく(あるわけないし)、これといった趣味もなく(ジョギングって趣味かな?)、明るく楽しい話題も「ほっこりする」(大嫌いなんですけど、この言葉)話題もイリュミネーションが眩しい大都会の夜空の星のように稀にしかなく、確実に死へと向かうゆるやかな命の坂道を毎日そぼ降る雨の下とぼとぼと歩いていくだけです。
うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火)
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