相良亨は『武士道』の「まえがき」で、「私が本書で試みるのは、「侍」「古武士の風格」「武士的精神」などという表現が指し示しているもの、いいかえれば武士の道徳的気質とも呼ばれるところのものの私なりの解明である」と述べている。つまり、武士たちの現実の生き方とそこに示された倫理的な原則を原典資料から引き出し、それらをそのまま記述することをその目的とはしていない。
武士の主従のモラル自体には興味を感じないと相良は言明している。それは今日において否定さるべきものだからである。では、それでも武士を問題にするのはなぜか。それは、封建的な主従関係が崩潰しても、受け継がれうるものとしての道徳気質があると考えるからであり、「武士を通して日本人の内面に沈殿したもの」を捉えるためである。この意味での武士気質は過去の遺物ではない。相良自身が「郷愁に似たもの」を感じるものである。
たとえば、「いいわけをいわぬ」という態度を立派な態度だと相良は言う。しかし、そこに惹かれるものがある以上、その態度は武士の精神構造の全体の中にどのように位置づけられていたのかが問題にされなくてはならない。なぜなら、それを問わずにごく一部だけを見て、それを称賛する「安易なる郷愁」は、武士本来の道徳気質を歪曲することになるだけでなく、無批判な自己肯定に結びつかないともかぎらず、過去に対する態度として甚だ危険だからだ。武士階級の歴史的な実相をつぶさに見れば、肯定し難い面もあり、「郷愁を感ずるが落ち着けない」と相良は率直に認める。「自分のなかに武士につながるものがあることを感ずるが故にそれだけ、私は武士をみすえ、対決しなければならない」と思想史家としての相良は感ずる。
つまり、相良にとって、武士とはなにかと問うことは、己を問うことにほかならなかった。武士のあり方に郷愁を感じつつ、そこに戻ることはもはやありえないという自覚は、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服しえたかという問いをわれわれに突きつける。それはとりもなおさず、「近代化の方向に自らの精神をいかに変革しえたか」と自らに問うことでもある。
本書の初版が出版されたのは一九六八年、明治百年にあたる年である。相良にとって本書を書くことは、武士的なエートスを出発点として、維新後百年間の近代日本の精神史を己の問題として批判的に検討し直すことにほかならなかった。
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