内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

理性の指導に従った漸進的改革が決してできない国、それがデカルトの生国である

2018-04-10 21:41:28 | 哲学

 大学入学制度改革反対派の学生たちによる学内の複数の建物の封鎖は今日も一日続いた。日本学科のある建物も完全封鎖されている。私自身は、月火とももともと授業がないので、自宅でできる仕事を今日も淡々と続けた。しかし、今日に関して言えば、改革反対派が弾劾している入学志望者の順位づけ作業を継続する気にはさすがになれなかった。
 フランス大学教育史上「歴史的」とも言えなくはない今回の改革に対して反対か賛成かという以前に、この改革の前提自体が馬鹿げているというのが私の率直な意見である。そもそも、大学入学に際して、選抜を行わないというフランス大学教育の大原則を根本的に問い直すことなしに、現に進行しつつある事実上の選抜制度は、矛盾と欺瞞と偽善とに満ちている。その限りで、改革反対派の学生たちの怒りは理解できる。
 大学においては学科長という立場にあるから、上から言われたことは一応「粛々と」私は実行している。しかし、気持ちは完全に覚めている。馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれない。大学に所属する教育研究者として国家公務員ではあるが、フランス国籍はなく(そもそも取得する気はない)、したがって、投票権もない。投票権を持たない一外国人長期居住者すぎない私は、現大統領及びそれによって組織された政府が打ち出す政策に対して、いかなる意味でも責任を持たない。
 内なる外部観察者としてこの国で生きようと決めて、すでに十数年が過ぎようとしている。この立場を変更することはない。
 理性の指導に従った漸進的改革を歴史上ただの一度も実現できたことのないこの国(デカルトは本当にフランス人だったのだろうか?)は、こんな無益な疲弊と滑稽な騒乱と喜劇的な混沌を繰り返すことによって、実のところ、なんら実効性のある大学教育改革を実現できないまま、68年5月革命50周年を来月迎えようとしている。
 Vive la France !












とてつもなくイソガシイ一日

2018-04-09 21:15:54 | 雑感

 今日は、午前5時起床、7時からの水泳前に、いくつか簡単な案件を処理してから、30分ほど泳ぐ。
 8時から自宅で仕事開始。来年度成績評価基準を仕上げ、同僚に確認してもらうために送信。6月の追試の時間割作成。追試の教室予約変更について、教務課に教室確保可能かどうかの問い合わせ。
 そして、今日の主たる作業である約400通の入学願書の順位付け。そのために教育省によって作成されたまったく新しい全国統一システムによるかなり複雑なパラメータの入力作業が必要で、事前に研修は受けていたものの、実際に入力してみると何度もエラーが出て、ほぼ一日この作業で明け暮れた。仮の順位付けは一応出力できたが、個々の学生の成績と照らし合わせて明らかに不適切な順位付けなので、明日から金曜日の学科会議直前まで、パラメータの修正作業を続けなくてはならない。
 その作業の間、大学にいる同僚から、まさにその入学システム改革に反対する学生勢力によって、大学の一部が占拠され、予定されていた授業ができないとの連絡。結局、建物の一部は終日閉鎖、明日晩までそれが続く模様。それに応じての大学当局の対応に関するメールが各方面から分刻みで入ってくる。
 その上、成績評価基準について、教務課に提出前に一度学科教員間で話し合うべきということになり、その日程調整。
 その間、大学の業務とはまったく別件でも、メールあるいは電話で対応を求められること数度。
 というわけで、午前8時から午後6時まで、ほぼ机の前に座りっぱなしで、これらすべてに対応。昼飯抜き。体力的にはまだ余力を残しているが、メンタルはもう限界。
 当店では、「お客様ファースト」をモットーと致しておりますが、今晩は、これで閉店させていただきます。また明日のお越しをお待ちいたしております。












青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(15・最終回) 空の空なる虚空

2018-04-08 13:12:54 | 哲学

 今日の記事では、かなり、いや、とても乱暴な仕方ではあるが、昨日の記事で見た中世和歌の世界から、近世と近代を飛び越えて、いきなり戦後の宗教哲学にまで話が飛ぶ。唐突なのはわかっているが、この話をもって、今回の連載「青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み」をひとまず終了する。
 西谷啓治『宗教とは何か ―― 宗教論集一』(創文社、1961年)の第三論文「虚空と空」の初出は、1954年から1955年にかけて刊行された『現代宗教講座』第四巻である。この論文に次のような段落がある。『宗教とは何か』全体の中でも、最も美しい文章の一つだと私は思う。少し長いが、段落全体を引用する。

 それ故、虚無の深淵といはれるものも、實は空のうちに於てのみ成り立つ。それがさういふ深淵として表象されるといふこと自身も、空の上に於てのみ可能である。その意味では、虚無が存在するものにとつて一つの深淵であるやうに、空はその虚無の深淵にとつても一つの深淵であるといへる。例へば底知れぬ深い谷も實は際涯なき天空のうちにあるとも言へるが、それと同様に虚無も空のうちにある。但しその場合天空といふのは、單に谷の上に遠く擴がつてゐるものとしてではなく、地球も我々も無數の星もそのうちにあり、そのうちで動いてゐるところとしてである。それは我々の立つ足元にもあり、谷底の更に底にもある。もし遍在する神のいますところが天國であるならば、天國はそこなき地獄の更に底にもある筈であらう。そして天國は地獄にとつて一つの深淵であるであらう。同様な意味で、空は虚無の深淵にとつて一つの深淵である。然も同時にそれは、我々の自我とか主體とかいはれるものよりも一層此岸に開かれるもの、一層直接なるものである。ただ、あたかも我々が、上に言つたやうな意味での天空のうちに動いてゐながら、普段はそのことを忘れて、ただ頭上にのみそれを眺めてゐると同様に、我々自身の一層此岸にありながら、そのことを自覺しないのである。(『西谷啓治著作集』第十巻(創文社、1987年、110-111頁)

 この段落の冒頭にある「それ故」は、直前の段落の最後の一文を直接には受けている。無が何らかの仕方でまだ表象されるとすれば、つまり、「無なるものとして立てられるといふところが殘つてゐるとすれば、空といふ立場は、さういふ主體的な虚無の立場をも超えた。然もそれの一層此岸へ超えた立場として、絶對的に對象化され得ない立場なのである」(上掲書、110頁)。
 引用文中の「もし遍在する神のいますところが天國であるならば、天國はそこなき地獄の更に底にもある筈であらう」という一文は、アウグスティヌス『告白』第一巻第二章の一節「まことに、私はまだ黄泉の国にはいるわけではない。ところがあなたは、そこにもいられます。黄泉の国にくだっていっても、あなたはそこにまします。」(山田晶訳)を私に想起させずにはおかない。この『告白』の一節は、『旧約聖書』「詩篇」第一三九(一三八)篇第八節「われ天にのぼるとも汝かしこに在し、われわが榻を陰府にまうくるとも視よなんぢ彼処にいます」に依拠している。
 同じく引用文中の「我々の自我とか主體とかいはれるものよりも一層此岸に開かれるもの、一層直接なるものである」もまた、『告白』第三巻第六章の有名な一節「しかし、あなたは、私のもっとも内なるところよりもっと内にましまし、私のもっとも高きところよりもっと高きにいられました」(山田晶訳)を私に想起させる。
 その上でのことだが、「あなた」と呼び掛けられる人格神とそう呼び掛ける「私」との間には、還元不可能な不可同性があると考えざるをえない。それを飛び越えて、神との合一を主張すれば、それは神秘主義である。
 かたや、まったく人格性を有たない空に対して私たちはいかなる呼び掛けもできない。それとの合一もありえない。ただ、絶対的に対象化されえないどこまでも虚なる空において、私は私であるほかはない。この原事実には微塵の情意性もない。












青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(14)〈虚〉の場所としての 「むなしき空」

2018-04-07 14:07:31 | 哲学

 直接知覚によって歎賞されるべき美的対象の不在あるいは非在を詠うことによって、その幻像を〈虚〉として〈実〉景に重ね合わせ、それによって詩的空間に情感的奥行を与えるという技法は、『新古今』においてその洗練の極みに達する。
 『新古今』には、「むなしき空」という表現を含んだ歌を八首数えることができる(『新編国歌大観』歌番号で順に149、358、821、830、1134、1846、1944、1952)。そのすべてがそうだというわけではないが、そのいくつかにおいて、「むなしき空」は、いわば〈虚〉像が立ち現れる場所として自覚されている。

花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る (巻第二春歌下)

 式子内親王の歌。音もなく春雨が降って来る「むなしき空」の眺めの中に、すでに散って跡形もなく色香もない花が失われた時の形見として〈非在〉する。ある対象の不在あるいは非在の場所としての空が降る春雨の現前を通じて自覚へともたらされる。
 この非在の場所としての「むなしき空」の眺めは、すでに『和泉式部続集』の次の一首に先例が見られる。

明けたてばむなしき空をながむれどそれぞとしるき雲だにもなし

 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川文庫、2007年)には、式子内親王歌の「むなしき空」に注して、「「虚空」を和らげていった」とあるが、より精確にはどういうことなのか。同じことを言うのに、言葉の響きを和らげたということに尽きるのか。
 私は以下のように考えている。
 「むなしき」は、その漢字表記に「空」をあてるにしても「虚」をあてるにしても、形容詞として情意性を含んでいる。いわば空に情意が浸潤している。それに対して、「虚空」は 情意性の浸潤を受け付けない。と同時に、無限の空間としてそれをどこまでも超え包み、情意の自己触発性をそれとして析出することを可能にする。












青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(13) 「むなしき空」の非宗教的抒情性

2018-04-06 00:14:00 | 哲学

 仏教経典、例えば、龍樹の『中論』、『般若経』『大集経』、『法華経』、『大日経』などに見られる「虚空」という言葉は、私たちが日頃見ている空(そら)を第一義的には指しておらず、「全宇宙的空間」あるいは「何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間」というほどの意味で使われている。
 和歌に見られる「むなしき空」という表現は、この仏教用語の大和言葉への翻案であろうが、『万葉集』には用例がない。もちろん、「むなし」という形容詞については、大伴旅人の有名な歌「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」を忘れるわけには行かないけれど(この歌については、2014年1月11日の記事を参照されたし)。
 『古今和歌集』には、次の一例のみ見られる。

わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし(巻第十一恋歌一)

 「私の恋は、虚空いっぱいになってしまったらしい。いくら思いをはせてみても、どこにも行き場がないのだ」(高田裕彦訳注『新版古今和歌集』)。
 見ての通り、高田裕彦訳にはまさに「虚空」という言葉が使われているわけだが、この歌に仏教伝来の宗教性はもはやまったく感じられない。実らぬ恋(実った恋はもはや恋ではないが)に苦しむ思いが空に満ちていきどころがないことを嘆くというもっぱら抒情的な歌である。恋心が空に満ちるという発想は、当時ほかに類例がなく、その意味で斬新であるとは言うことができる。
 しかし、仏教的「虚空」から乖離した「むなしい空」として広がるだけの抒情によっては、魂のいかなる救済も希求できない。ただ「むなしさ」を果てしなく嘆くことができるだけだ。
 この「むなしさ」の極みが無常感というより根本的な感情に変化し、そして、それが思想化されることで人生観・歴史観・世界観としての無常観となり、それがさらに形而上化されることで再び宗教的無常観へと深化される、とまあこんなふうに、唐木順三の名著『無常』に倣って、日本思想史を古代から中世にかけて概念史的に辿ってみることもできるだろう。
 しかし、私の意図は、あくまで詩歌作品に密着しながら哲学的考察を継続・発展・深化させることにある。











青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(12) 一昨日の記事のトホホな訂正

2018-04-05 03:49:50 | 哲学

 昨日に引き続き、一昨日の記事内容の訂正、そして「お詫びのしるし」として、『新古今』に見られる「大空」五例を瞥見させていただきます。

大空は梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月(巻第一春歌上)

 定家作。題詞に「守覚法親王家五十首歌に」とある。久保田淳校訂・注『藤原定家全歌集』(ちくま学芸文庫、上・下二巻)は、「王朝的な美の世界として自立している」と称賛している。塚本邦雄は、『定家百首』で、「定家一代のうちの最高峰」四首のうちの一首としてこの歌を次のように激賞している。「例によって梅花と春月の夢幻を題材に、いささかの誇張をまじへ、さらりと歌ひ流してゐるのだが、一語の無駄も寸分のゆるみもなく一首はゆらりと斜に立つて匂つてゐる。」(『定家百首|雪月花(抄)』講談社文芸文庫、98-99頁)

大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む(巻第四秋歌上)

 貫之作。題詞に「延喜御時月次屏風に」とある。一年十二ヵ月の行事を描いた屏風に書いた歌。

大空を渡る春日の影なれやよそにのみしてのどけかるらむ(巻第十一恋歌一)

 亭子院(宇多天皇)御歌。「春日の影」は、春の太陽の光のことだが、この歌では、留守がちの相手の女性の比喩。

天の原そことも知らぬ大空におぼつかなさを嘆きつるかな(巻十五恋歌五)

 天暦(村上天皇)御歌。題詞に「斎宮女御につかはしける」とある。逢えない女性を想い、そのおぼつかなさを嘆く。その想われ人である徽子女王からの返しは、「嘆くらむ心を空に見てしかな立つ朝霧に身をやなさまし」。

大空に照る日の色をいさめても天の下には誰か住むべき(巻第十八雑歌下)

 女蔵人内匠作。この歌の題詞に「延喜御時、女蔵人内匠、白馬節会見けるに、車より紅の衣を出だしたりけるを、検非違使の糺さむとしければ、いひつかわしける」と作歌契機が示され、歌の後には「かくいひければ、糺さずなりにけり」とその結果が記されている。
 上掲五首中、定家の歌が群を抜いて素晴らしいのは言うまでもない。「大空」を、ただ背景的装置として或いは主要な要素を引き立てるためだけの補助的要素として用いているのではなく、春の夜に濃厚な梅花の香りと霞む月光とが瀰漫する夢幻的にどこまでも広がる虚の空間として作品化できているのは定家ならではことであろう。一昨日の記事に取り上げた定家の歌が「虚」(「オホソラ」)の一字で終わっているのはけっして単なる文字の遊戯ではないことをこの定家歌も間接的に証しているように私には思われる。












青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(11) 昨日の記事についてのトホホな訂正

2018-04-04 09:52:47 | 哲学

 今日明日の記事の内容は、昨日の記事に書いたことについてのお恥ずかしいかぎりの訂正です。
 「大空」という言葉が『万葉集』には一ヶ所しかないと書いた後に、「『古今』『新古今』には「大空」の使用例がない」と書いてしまいました。しかし、これはまったくの間違いでした。両歌集中の「大空」の用例を自分で調べてあったのに、そのことをすっかり忘れていたのです。もうボケているとしか言いようがないですね(ああ~、やだやだ、認めたくないよぉ~)。『古今』には、三例(さらに異本歌一首)、『新古今』には、五例あるんです(昨日の記事は、そのままにしておくのが恥ずかしいので、さきほど訂正・追補させていただきました)。
 今日の記事では、『古今集』の「大空」の四例にあたっておきます。

大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける

大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとにながめらるらむ

大空を照りゆく月しきよければ雲隠せども光消なくに

月影も花も一つに見ゆる夜は大空をさへ折らむとぞする

 これら四例それぞれにおける「大空」の表象について、一言づつ感想を述べる。
 第一例は、巻第六冬歌。よみ人知らず。冬の夜空に冴え冴えと照る澄んだ月の姿を映した水がまっさきに氷るのであったというのが歌意。水面に映った月を水が「見た」とすることで天上と地上との感応性が捉えられている。大空は、どこまでも広がる背景として、月の冷え冷えとした清けさを引き立たせている。
 第二例は、巻第十四恋歌四。酒井人真作。大空は、恋しい人の形見だというのだろうか、いや、そうではないのに、どうしてこうもの思うたびにおのずと眺められてしまうのであろうか。大空そのものが対象として詠まれているというよりも、恋しい人を想ってもの思いに耽るとき、どこまでも広がる空がおのずと眺められてしまうという心情が大空に仮託されている。
 第三例は、巻第十七雑歌上。尼敬信作。この歌の題詞には、文徳天皇の御世、斎院だった第八皇女の彗子(あきらけいこ)が、その母藤原是雄娘列子の過失(内容不明)によって廃されそうになったが、何らかの理由でそれが沙汰止みとなったときに詠んだとある。後年、彗子は結局斎院を廃せられる。月は彗子の喩え。月はまた正義の喩えでもあり、雲は邪心や疑惑の喩え。この歌でも、大空は、月の清さを引き立たせる広大な空間として背景的な位置づけにとどまる。
 第四例は、異本の歌。寛平御時后宮の歌合の時の歌とされるが、現存の『寛平御時后宮歌合』には見えない。『古今六帖』に紀貫之の歌として見える。月の光も花の色も白く一つに見える夜は、大空までも枝として折ろうとしてしまいそうだ、とは奇抜な発想だが、写実性は無論皆無、心情としての真実性にもまったく欠け、ただ大仰なだけの歌。正岡子規ならこの歌を口をきわめて罵倒したことであろう。
 上掲四首いずれの場合も、大空そのものが注視の対象とはなってない。大空それ自体は、歌題とはなりにくいということであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(10) 万葉と定家の主題によるインテルメッツォ

2018-04-03 14:19:02 | 哲学

 「空」という漢字を使った歌、空を詠みこんだ歌、「天」など空を意味する言葉が含まれた歌、これらすべてを一括りにすれば、記紀歌謡・『万葉集』から中古・中世・近世・近代そして現代に至るまで、それこそ無数の歌が詠まれてきた。
 それらを整理・分類してみれば、それこそ「「空」の文芸史」とも呼べるような一書をものすることもできよう。「風」の文藝史の構想を述べたことが過去に二度ほど(こちらこちら)あるが、両者をまとめて「空と風の文藝史」というより大きな構想も可能だろう。そんなことを考えはじめるとキリがなくなる。「水」の文藝史だって可能だろうから。
 まあ、残念ながら、そんな大作に挑む時間は一生なかろう。せめてもの慰みにと、「大空」という一語に限って、万葉から中世までの和歌を瞥見してみた。
 『万葉集』には、「おおぞら」という語は一回だけ出て来る。巻第十の七夕歌群中の一首である(二〇〇一)。まず今日の漢字表記で読んでみよう。

大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し

 「我れ」は牽牛、「汝」(な)は織女である。「川道」は「かはぢ」と読む。「この広い大空を自由に往き来している私なのだが、そなたに逢うために、定められた天の川道を、苦労してやって来たのだよ。」(伊藤博『萬葉集釋注』)
 星々が行き交う天空にほかならないこの大空は、西本願寺本の原文表記では、「蒼天」となっていて、こちらの方が詩的表象喚起力においてすぐれていると私は感じる。第四句は「天漢道」となっていて、天上の遠く困難な道のりを想起させる。
 『古今』『新古今』はどうかというと、前者には、三例(さらに異本歌一首)、後者には、五例ある。これらについては、明日明後日の記事で触れる。
 藤原定家の『拾遺愚草』には、「おほそら」が特異な用字とともに現われる(ちなみに、定家全歌集中、初句に「おほそら」が詠まれている歌は八首を数える)。

たちのぼり南のはてに雲はあれど照る日くまなきころの虚

 冷泉家時雨亭文庫所蔵の定家自筆本には、「虚」の下に「オホソラ」と片仮名で読みが注記されている。「おほぞら」と諸家濁って読んでいる。久保田淳校訂・訳『藤原定家全歌集』(上・下二巻、ちくま学芸文庫)では、「虚」に「オホゾラ」とわざわざそこだけ片仮名で振り仮名を付している。塚本邦雄『定家百首』でのこの歌の表記は、「立ちのぼるみなみの果に雲はあれどてる日くまなき頃の虚」となっており、「虚」にだけ「おほぞら」と振り仮名が付いている。
 夏の歌である。遥か南方上空に立ち上る雲は見えるが、隈なく照りつける炎熱の太陽の眩しさによって、大空は、定家の詩的空間において、「虚」と化す。
 塚本邦雄『定家百首』の評釈の一部を引こう。

雲と太陽だけを素材にした雄大な自然詠のやうに見えるが、一首の趣はかなり混沌として昏く、むしろ嫌惡と倦怠に滿ちてゐる。中世文學にはしばしば西空があらはれ、それは必ず西方浄土を意味するが、この歌の南のはては焦熱地獄を聯想させ、雲は救濟の豫兆とでもこじつけたくなるくらゐ「あれど」の歎きは深い。(『定家百首|雪月花(抄)』講談社文芸文庫、91-92頁)

 雲によってかえって露わにされた大空の「虚」は、その大空と一体化した定家の心の「虚」でもあると言えないであろうか。











青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(9)

2018-04-02 14:58:12 | 哲学

 蜃気楼は、現実的なものと想像的なものとのからなる組織を研究するための手掛かりを与えてくれる。蜃気楼が立ち現れるとき、幻影はそれよりも恒常的な現象の組成の上に形成される。それとは逆に、地上の確からしい諸現象は、そららの観念性を蜃気楼の中で顕にする。空虚な形象が青空の上に現れて来ることは、その空間に一種の現実性を与える。その空間は、本質的にある色を保っている。
 ゲーテは、空の〈青〉について、それは一つの根本現象ないし根源現象(Urphänomen)であると言う。

Die Bläue des Himmels offenbart uns das Grundgesetz der Chromatik. Man suche nur nichts hinter den Phänomenen: sie selbst sind die Lehre.

空の青はわれわれに色彩学の根本法則を啓示している。さまざまな現象の背後に何かを探し求めてはならない。それら自らが学理である。(『箴言と考察』、木村直司訳『色彩論』ちくま学芸文庫「文庫版あとがき」からの引用)

 ゲーテの色彩論は、青空がそれを思惟する個体からもっとも自由なイメージであることを私たちに示している。この青空というイメージは、大気中に浮遊する想像力を見事に集約している。それはこの上ない昇華のあり方を示している。絶対的で解体しようのない単純この上ないイメージへの透入のあり方を示している。
 青空を前にするとき、世界は、私にとって、青く、浮遊し、彼方なる表象である。青空は、私にとって夢現である。
 私たちは、ここでゲーテの地球生成論が凝縮されているエッセイ「花崗岩について」(« Über den Granit »)から、世界の始原との接触の経験を記述した一節を引くことで、〈西〉の空についての考察を締めくくることにする。

So einsam, sage ich zu mir selber, indem ich diesen ganz nackten Gipfel hinabsehe und kaum in der Ferne am Fuße ein geringwachsendes Moos erblicke, so einsam, sage ich, wird es dem Menschen zumute, der nur den ältsten, ersten, tiefsten Gefühlen der Wahrheit seine Seele eröffnen will. Ja, er kann zu sich sagen: Hier auf dem ältesten, ewigen Altare, der unmittelbar auf die Tiefe der Schöpfung gebaut ist, bring ich dem Wesen aller Wesen ein Opfer. Ich fühle die ersten, festesten Anfänge unsers Daseins, ich überschaue die Welt, ihre schrofferen und gelinderen Täler und ihre fernen fruchtbaren Weiden, meine Seele wird über sich selbst und über alles erhaben und sehnt sich nach dem nähern Himmel.

私はひとりごとを洩らす。この何もないむきだしの頂上から見下ろし、足許からあまり遠くないところに苔がわずかに生えているのを見ると、思わずにはいられない、真理の最古最深の始原的な感情に自分のたましいを開こうとする人間は、このような孤独な気分になるのだ、と。そうだ、こう言ってもいいのだ、被造世界の深所のうえに直接築かれているこの永遠の最古の祭壇の上で、万物の創造主に犠牲をささげよう、と。私はわれわれの存在の確固きわまりない始原を感じる。私は世界の険しい、あるいはなだらかな渓谷と遠くの肥沃な平原を眺望する。すると私の魂は自分自身を超え、万物をこえて高まり、身近な天に向かってあこがれる。(木村直司訳『ゲーテ地質学論集・鉱物篇』ちくま学芸文庫)

 明日からは、日本の詩歌の中に表れた〈空〉をしばらく眺めてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(8)

2018-04-01 13:38:57 | 哲学

 バシュラールに〈空〉の道案内をしてもらっていながら、なかなか〈西〉の青空から〈東〉の虚空へと辿り着くことができないでいる。
 バシュラールが援用している詩人たちはまだ数人いる。その中から二人のドイツ人を召喚しよう。ヘルダーリンとゲーテである。
 今日の記事では、ヘルダーリンにのみ言及する。
 〈青空〉は、ヘルダーリンにあっては、「エーテル」と呼ばれる。しかし、それは世界を構成する第五番目の要素としてではない。バシュラールは、フランスのドイツ文学研究者・翻訳家のジュヌヴィエーヴ・ビアンキによる、ヘルダーリンにおけるエーテルの定義を引用している(op. cit., p. 224)。
 エーテルは、世界の魂であり、聖なる大気である。それは、山巓の純粋で自由な空気であり、季節と時候、雲と雨、光と雷が私たちへとそこからおりてくる気圏である。空の〈青〉は、純粋さ、高み、透明性の象徴であり、多元的な価値をもった一つの神話である。
 そして、ビアンキは、ヘルダーリンの『ヒュペ―リオン』の次の一節を引用する。

O Schwester des Geistes, der feurigmächtig in uns waltet und lebt, heilige Luft! wie schön ists, daß du, wohin ich wandre, mich geleitest, Allgegenwärtige, Unsterbliche!

おお、精神の兄弟よ、汝はその炎で私たちを力強く活かす。聖なる大気よ。汝は私がどこへ行こうとも付き添ってくれる。遍在するもの、不死なるもの!

 このようなエーテルに包まれた生は、父なるものの加護への回帰だとバシュラールは言う。事実、ヘルダーリンは、 « An den Aether » と題された別の詩の中で、「おお、父なるエーテルよ!」(« o Vater Aether! »)と呼びかけている。