今から十年前、2008年7月14日に国語学者大野晋は享年87歳で亡くなった。
その前年、死の1年5ヶ月前の2月27日、大野は日本経団連会館で行われた記者会見に臨んでいた。東京書籍と時事通信社が共同で「日本語検定」という検定を始めることになり、大野はその監修役を引き受け、それを発表するための会見だった。
当時すでに病篤く入退院を繰り返していたうえに、ふとしたはずみで背骨も痛め、補助具なしには歩くこともできず、まっすぐ座ることもままならない体になっていたという(川村二郎『孤高 国語学者大野晋の生涯』集英社e文庫、2016年)。
それでもこの役を引き受けたのは、日本語についてどうしても言っておきたいことがあったからである。この会見で、大野は、
「私は日本語をいくらか勉強したので、少しわかるようになりました」
と言ってから、
「日本語が話せて、日本語の読み書きができる。その程度で言葉がわかるとは思わないでください。もっと本気で、日本語に対してください」
と言って、会見を終えたという(同書)。
これが、公式の場で大野が発した最後の言葉となった。
日本語を外国語として習っている人たちに向けられた言葉ではない。日本語を母語としている日本人全員に向かって発せられている。しかし、日本語を教える立場にある者たちは、とりわけ肝に銘じるべき言葉だろう。
川村二郎は、もう一つ忘れられない大野最晩年の言葉を挙げてから、評伝の「遺言」と題されたエピローグを閉じている。
「学問というのはね、深めれば深めるほど、自分にわかることがいかに少ないかが、わかってくるものなんです」
これを読んで、ニコラウス・クザーヌスの主著『学識ある無知について De docta ignorantia』第一部第一章の次の一節を私は思い起こさずにはいられなかった。
それゆえ、われわれの持っている欲望、物事を知ろうとする欲望が無意味でないとすれば、われわれは自分の無知を知ろうと望んでいることになる。そして、このような状態に完全に到達できたならば、われわれは学識ある無知に到達したのである。なぜなら、最も探究心の旺盛な人間にとっても、自己自身に内在する無知そのものにおいて最も学識ある者になるということが、学識上最も完全だからである。自らを無知なる者として知ることが篤ければ篤いほど、人はいよいよ学識ある者となるであろう。(『学識ある無知について』山田桂三訳、平凡社ライブラリー、1994年、18頁)
この学識ある無知は、人に教えることはできないし、人から教わることもできない。果てしなき探究の途上において各々自覚するほかはない。