バシュラールに〈空〉の道案内をしてもらっていながら、なかなか〈西〉の青空から〈東〉の虚空へと辿り着くことができないでいる。
バシュラールが援用している詩人たちはまだ数人いる。その中から二人のドイツ人を召喚しよう。ヘルダーリンとゲーテである。
今日の記事では、ヘルダーリンにのみ言及する。
〈青空〉は、ヘルダーリンにあっては、「エーテル」と呼ばれる。しかし、それは世界を構成する第五番目の要素としてではない。バシュラールは、フランスのドイツ文学研究者・翻訳家のジュヌヴィエーヴ・ビアンキによる、ヘルダーリンにおけるエーテルの定義を引用している(op. cit., p. 224)。
エーテルは、世界の魂であり、聖なる大気である。それは、山巓の純粋で自由な空気であり、季節と時候、雲と雨、光と雷が私たちへとそこからおりてくる気圏である。空の〈青〉は、純粋さ、高み、透明性の象徴であり、多元的な価値をもった一つの神話である。
そして、ビアンキは、ヘルダーリンの『ヒュペ―リオン』の次の一節を引用する。
O Schwester des Geistes, der feurigmächtig in uns waltet und lebt, heilige Luft! wie schön ists, daß du, wohin ich wandre, mich geleitest, Allgegenwärtige, Unsterbliche!
おお、精神の兄弟よ、汝はその炎で私たちを力強く活かす。聖なる大気よ。汝は私がどこへ行こうとも付き添ってくれる。遍在するもの、不死なるもの!
このようなエーテルに包まれた生は、父なるものの加護への回帰だとバシュラールは言う。事実、ヘルダーリンは、 « An den Aether » と題された別の詩の中で、「おお、父なるエーテルよ!」(« o Vater Aether! »)と呼びかけている。