2.山本勘助の墓のある長谷寺へ
牛久保寺町の町並みを0.8kmほど歩いてくると、
山本勘助のふるさとと書かれたのぼりの立った
武運山長谷寺へやってきた。
はせでらと読んでみたら ローマ字でshokokujiと書かれている。
外部の人は、多分誰でもはせでらと読んでしまうでしょうね。
長谷寺(ちょうこくじ)には、風林火山で知られる山本勘助の墓がありました。
武田信玄の軍師として知られる山本勘助は、
川中島の合戦で戦死、勘助の討死を聞いたこの寺の念宗和尚が勘助の髪を埋め供養したのが
この墓だそうです。
長谷寺を出てからは豊川市の中心街へ歩を進める、佐奈川を渡り、豊川公園、豊川駐屯地
を通り過ごして豊川稲荷総門へやってきた。
牛久保寺町の町並みを0.8kmほど歩いてくると、
山本勘助のふるさとと書かれたのぼりの立った
武運山長谷寺へやってきた。
はせでらと読んでみたら ローマ字でshokokujiと書かれている。
外部の人は、多分誰でもはせでらと読んでしまうでしょうね。
長谷寺(ちょうこくじ)には、風林火山で知られる山本勘助の墓がありました。
武田信玄の軍師として知られる山本勘助は、
川中島の合戦で戦死、勘助の討死を聞いたこの寺の念宗和尚が勘助の髪を埋め供養したのが
この墓だそうです。
長谷寺を出てからは豊川市の中心街へ歩を進める、佐奈川を渡り、豊川公園、豊川駐屯地
を通り過ごして豊川稲荷総門へやってきた。