赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

電子タバコだって!

2009年04月20日 07時41分38秒 | こころの日記
●会議中にタバコを吸う輩が?

日曜日のとある公民館の会議中、悠然とタバコを吸う者がいた。
タバコの先がポーット赤くなり、煙が立ち昇る。
なんってこった! 
こんなところでタバコを吸うなんって!

近寄ってみると、本人はニタニタ笑っている!

これは電子タバコだよ!と言って又煙を立ち昇らせた。
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この電子タバコは昨年あたりから日本でも話題になっているようだが
1本セット価格12000円ぐらいするそうだ。
検索するとこんな文句が目にはいった。

口にくわえて吸うと先端が赤く光り、吸い口から水蒸気の擬似煙が出てノドを潤します。

禁煙中でも、ニコチン・タールを摂ることなく、タバコに似た「吸い心地」が楽しめます!
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元々は香港の会社が世界で初めて、中国で商品化したものの様だ。
カートリッジを替えることによって色々な味が楽しめるそうだ。

因みに僕はタバコには縁が無いからあまり関心はありませんが・・・・・

13.お世話になったあの人を忘れて!

2009年04月19日 08時26分39秒 | デジカメ旅日記
13.お世話になったあの人を忘れて!

リムジンで空港へ向かう。
18:25分発ANA1828便  中部空港行きに搭乗する前に食事をする。
今回の旅で大変お世話になったIちゃんそして手荷物を車でなんかも移動してくださった
Iちゃんのご主人  お二人の大変なお世話でこんなに楽しい思い出を一杯作ることが出来た。
感謝感謝で一杯です。
ネーブルみかんとレモンのお土産までいただいてしまった。

そして・・・・・
保安チェックに向かうときお別れの挨拶をすると、デッキから見送りますと言ってくれた。
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そして・・・・
飛行機まで歩いてから搭乗したのだが、見送ってくれていることをすっかり忘れてしまった。

赤い夕日が滑走路の向こう側に沈んでいく光景に見惚れて、みんなでカメラ撮影をしていた。
勿論この時ターミナルデッキの方を向いているのだが目線をあげることはなかったので、
ご夫婦に気付かなかった。

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9人総ての仲間が忘れてしまったのだ。
Iちゃん申し訳ありませんでした。

ヒコウキは定刻どおりセントレアに着陸した。
楽しい2日間の旅は終わった。   感謝!

12.六時屋のタルトを買いに!

2009年04月18日 07時22分59秒 | デジカメ旅日記
12.六時屋のタルトを買いに!

松山市の中心部は伊予鉄道が円形に近い形で運行している。
さながら東京の山手線をミニ化したようなものだろうか。
ある部分は市電のように路面を走り、ある時は郊外電車のように住宅街の軒脇をかすめて走る.ゆっくり、のんびりした速度で・・・
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松山の名物はなんと言ってもタルトだ、そのタルトで一番の菓子舗 六時屋へ立ち寄る。

幸運なことに6のつく日は多くの商品が半値ほどにダンピングだ。
お宝袋も用意されていた。
2千円相当の商品が入った袋が1000円で販売していた。
手荷物になるのも厭わず買ってしまった。

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今回の旅の最後の見学、伊予絣会館までは現代の乗り物タクシーに乗る。
運転手さんとの会話が楽しい。
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*タルトは、松山藩主松平定行公が長崎から伝えたと言われています。

幕府より長崎探題職兼務の名をうけていた定行公は、南蛮菓子タルトに接し、その味を賞でて、
製法を松山に持ち帰ったといわれています。
その南蛮菓子タルトは、カステラの中にジャムが入ったもので、
現在のような餡入りのタルトは、定行公が独自に考案したものと思われます。
その後、松山の菓子司に技術が伝わり、四国の名産となりました。

11.坊ちゃん電車に乗る。

2009年04月17日 08時01分34秒 | デジカメ旅日記
11.坊ちゃん電車に乗る。

道後温泉駅から楽しみにしていた坊ちゃん電車に乗って
大街道のほうへ昼食を食べに行く。

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運転手も車掌も制服からして明治っぽいし、木製の固い椅子、ちっぽけな電車に乗って
坊ちゃんの時代にタイムスリップしたようだった。
車掌さんのガイドも良かったし、記念にと言って乗車券をくれた。
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昼食は新築されたばかりのカワセミというオリジナル懐石料理を食べる。
料理もスムーズに運ばれてきたし、味も良し、店員さんの応対も気持ちよかった。
デザートコーヒーまで付いて1500円だという。

10「ある晩、道後という所へ行って団子を食った

2009年04月16日 07時55分53秒 | デジカメ旅日記
10道後公園の桜の下で、

桜の名所道後公園は悲しい歴史が隠されている、古は、
鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた河野氏の城で、湯築城と呼んでいた。

 秀吉の四国平定で領国を失い河野家は滅亡、湯築城の石垣や木材は松山城に持ち出され、
「湯築城跡(ユズキジョウアト)」が愛媛県立道後公園になったそうだ。
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桜が満開を過ぎたのか、ハラハラと花びらが舞う中を道後公園を1周する。
まだまだ花見客は多い、犬を連れて花見に来ている人たちも多い。
中世武家屋敷が3軒ほど復元されている。
城の石垣も一部だが残っているし、お堀も所々残っている。

公園を出て、道後ハイカラ通りを散策する。
夏目漱石が坊ちゃんの中で書いている団子を買う。
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坊ちゃんの一説・・・・
「ある晩、道後という所へ行って団子を食った。
その道後という所は温泉のある町で、料理屋も温泉宿も公園もある上に遊郭がある。
俺の入った団子屋は遊郭の入り口にあって大変うまいと評判だから温泉の帰りがけに一寸食って見た。」

この小説の中の店、つぼや菓子舗でその後坊ちゃん団子と呼ばれるようになった
団子を買って食べてみた。
餡と茶とウコンの三色団子だ。ほんのわずかの米の芯があるが大部分餡子のようだ。

9.石手寺で洞窟探検だ?

2009年04月15日 07時42分14秒 | デジカメ旅日記
9.石手寺で洞窟探検だ?

第51番札所 石手寺はホテルから徒歩で行く、12~3分だっただろうか?
仁王門をくぐって本堂へ向かう、お遍路さんが十数名で般若経を唱えている。
御本尊の正面は空けておいて、斜め側からお参りをしている。
後から来る参詣者に邪魔にならないようにしてくれているのだね。
私もお遍路さんに会釈して旅の安全をお祈りする。
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面白いものがあった、四国八十八箇所の各寺院の砂を袋に詰めて置いてあり、これを触って歩くだけで満願になるというものだ。何故か?
 51番石手寺の袋だけはボロボロに破れている。
何もここが51番札所なんだから触らなくても良さそうなものだが・・・・・・

本堂の横手にはお山四国入り口という石段があった。
見上げたらかなり急勾配だ。多分ここも四国霊場のミニだろう。
洞窟入り口という看板に引き寄せられる。
洞窟へのお参りは100円程度のお布施をお願いしますと書いてある。
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洞窟に入ると真っ暗だ、暗黒の世界だ! 通路のセンターに毛糸の帽子を被ったお地蔵様のようなものをてで感じる。 カメラのフラッシュを焚いて見る。
やっぱりそうだ!
善光寺の戒壇めぐりのようなものだね。
人間は暗黒の中では一途に仏様に縋ろうとする。
何十人もの仏様の頭を頼り歩を進めていると前方に光明がさしてきた。出口だ! ホット救われた気持ちになる。
洞窟を出たところにパコダのような得体の知れない建物と数知れないほどの仏像があった。
手入れがされていない空間だが、一体これはなんだろうか?

帰路お店屋さんでシュロの繊維で刷毛を作っているおじさんと会話を交わした。
自分ですべて作り上げるそうだ。
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パソコン用天然棕櫚と書き、しゅろとかながふってある。
棕櫚の繊維で埃がよく取れるんでしょうかね?
棕櫚なんか カメの子たわしの原料かと思っていたが・・・・

8.早朝ウオーキングをする

2009年04月14日 07時44分26秒 | デジカメ旅日記
8.早朝ウオーキングをする

日の出前の5:30分ホテルを出て道後温泉本館方面へ歩く、かなり早いペースで歩くHさんに
引っ張られて歩く。
チョット苦痛ぐらいのペースだ。
道後の朝の始動は早い方では無いようだ。
車や人の往来は都会にしては少ないのではないだろうか?
道後温泉本館の建物もまだ明かりが灯っている。


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歓楽街もウオーキングする。ピンクがいも朝は戦火がやんだ戦場のような静けさだ。

4千歩ほど歩いてから車で、石手川沿いの桜の名所へ連れて行ってもらった。
丁度山の向こう側から赤い太陽が顔を出してきた。
本当の日出はもう少し前だっただろうが・・・・
桜と太陽 面白い写真が撮れた。
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朝の散歩はすがすがしい! 道後温泉でもウオーキングできて嬉しかった。

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ホテルへ帰って大浴場へ行く、浴室には1人しかいなかったから写真を一枚撮らせてもらう。

朝食はバイキングだ!
子カレイの干ものを目の前で焼いてくれた。
美味しい朝食で満足!
さお~ 今日の観光も元気にGOGOだ!

7.道後プリンスホテルの夕膳は

2009年04月13日 07時25分14秒 | デジカメ旅日記
7.道後プリンスホテルの夕膳は

ホテルには大浴場と露天風呂があるという。
今からは露天風呂へ行こう、そして明日の朝大浴場へ行く事にする。
露天風呂は4階にあった。目隠しに植えられている植栽に桜木がある。
その花の蜜を求めてヒヨドリや小さな鳥が囀りながら飛び交っている。
まさに露天風呂だ~
道後の湯は皮膚がスベスベになって心地良い!
温泉という感じが強い。
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梅酒で乾杯して宴は始まった。
膳一杯のご馳走をたいらげてお開きとなる。
21:00からイベント広場で水軍太鼓と津軽三味線の演奏が行われた。
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司会者の巧みな話術で集まった湯客たちは盛り上がっていた。
特に野球拳では・・・・
司会者が野球拳はここ松山で始まったんですよ。
今から野球拳をして勝った方にはお褒美をお渡しします。
特に負けた方にご注意申上げておきますが・・・・・
負けても絶対に脱がないで下さいね! と話しかけて湯客を笑わせていた。

勿論冗談だが、一枚脱いだらスッポンポンだものね。
僕は2度とも一回で負けてしまった。

道後温泉本館へ行かれる方はご自由にお使いくださいと書いて、
タオルが小さな竹かごに入って用意されていた。
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家ではもう寝ている時刻だ!
チャルジャ! おやすみなさい。



6.子規記念館を見学してホテルへ

2009年04月12日 08時15分47秒 | デジカメ旅日記
6.子規記念館を見学してホテルへ

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道後温泉駅前の子規記念博物館へ入館タイムアップギリギリで入館した。
裏面に、松山 春や昔15万石の城下哉と書かれた観覧券とパンフレットを貰ったが、
もしかして正岡子規の書いた筆だろうか?

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閉館までは30分ほどしかない、駆け足で二つの展示室を廻る。

子規記念博物館と道路で隔てた向こう側に道後一の老舗旅館「ふなや」の茅葺の
古い門構えが見える。このふなやには、道後の湯を愛した夏目漱石をはじめ、正岡子規、
高浜虚子ら文人に親しまれ、漱石は「はじめての鮒屋泊りを しぐれけり」という句を残している。

明治28年、夏目漱石が教師として松山に赴任してきた年の秋、宿泊した際の作だそうです。
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我々もこのふなやを横目で見ながら、少し先にある道後プリンスホテルへ徒歩で向かう。
8階の部屋に案内されて旅支度を解き、テラスへ出ると赤い太陽が松山城へ寄り添うように
サンセットしていった。

5.四国最大の名城 松山城へ

2009年04月11日 07時40分54秒 | デジカメ旅日記
5.四国最大の名城 松山城へ

松山城へ向かうロープウエー街はかなりの人で混雑している、城へのルートは、ケーブルカーとロープウエーそして徒歩がある。

私はロープウエーで登る事にした。
松山城は海抜132mの勝山の山頂にあるがロープウエーでは6分ぐらいとのことだ、最近こんなに高いロープウエーには乗ったことはないから身がすくむ。
後ろから友人が、写真を撮るから振り向いてと言われても怖くて顔を向けることができない。

山上に着いた。
天気は快晴!
桜は満開!

人も一杯!
春爛漫 桜花爛漫とはこの事をいうのだろうと思う。
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お城の天守閣までは、また急勾配の階段を一段一段昇る。
三重三階の天守からの景観はまさに絶景かな!
絶景かな!だ、

城下が総て見晴るかせる。彼方に見える円形の構築物が坊ちゃん球場だそうだ。
伊予25万石のお殿様になったよう気分だ!
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上から見る桜も又格別ですね。
天守からの下りは歴史的陳列品を見ながら降りる。
修繕中に見つかった江戸時代の大工さんが描いたと思われる落書きが展示してあった。
2つあったが、侍の似顔は墨で描いた輪郭がしっかりと残っている。
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天守を出たところにバラのようなツバキガ咲いていた。淡いピンクできれいだ。
なんと言う品種だろうね?

お城からの帰途は急勾配の山道を下る。
ひんやりとした空気、ウグイスがここでも鳴いていた。