2.弁天様にお参りして興津川を渡る
最初の見学場所
宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)が祀られている宗像神社へ
お詣りする。
この神社の森は興津で漁をする人たちの目印になっていたようで
「女体の森」と言って崇められていたそうだ。
今でも大きな樹が鬱蒼としていた。
興津川を渡ると川越遺跡の立札が建っていた。
旅人は両岸に有った川会所で「越し札」を購入し、蓮台又は人足の肩車で川を越した。
越し札はその日の水深によって値段が違った。
と書かれていた。
そば一杯が16文の時代、深さが42センチの時で12文だったそうだ。
150cmでは倍以上の42文だったようだ。
川越しの人足は常時36人ほどいたそうだが昔の旅は大変だったようですね。
愈々薩埵峠道の入り口にさしかかった
最初の見学場所
宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)が祀られている宗像神社へ
お詣りする。
この神社の森は興津で漁をする人たちの目印になっていたようで
「女体の森」と言って崇められていたそうだ。
今でも大きな樹が鬱蒼としていた。
興津川を渡ると川越遺跡の立札が建っていた。
旅人は両岸に有った川会所で「越し札」を購入し、蓮台又は人足の肩車で川を越した。
越し札はその日の水深によって値段が違った。
と書かれていた。
そば一杯が16文の時代、深さが42センチの時で12文だったそうだ。
150cmでは倍以上の42文だったようだ。
川越しの人足は常時36人ほどいたそうだが昔の旅は大変だったようですね。
愈々薩埵峠道の入り口にさしかかった