赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

11.富田駅へゴール

2016年11月21日 06時08分24秒 | JRさわやかウオーキング
11.富田駅へゴール

JRさわやかウオーキングの方は文化会場からもうしばらく歩いて、
JR富田駅がゴールでした。



72回目のゴールは13279歩、7.96kmでした。


今回は区切りの10回目でしたので、記念品をいただきました。



Compact multi Umbrella cover 
超吸水コンパクトマルチ傘カバー
旅の必需品です。
感謝して使用していきます。

10.ハマグリの酒蒸し

2016年11月20日 06時06分15秒 | JRさわやかウオーキング
10.ハマグリの酒蒸し

富田地区文化祭会場のもう一つの会場ではイートコーナーがあり、



威勢のいい地元の方の声に誘われて、富田名物ハマグリの酒蒸しを買った見ました。


3個1皿で300円でしたが、調理の仕方がまずいのか魚臭くてがっかりでした。

かやくご飯1パック200円も昼食に買いました。


これは美味しかったです。

9.こにゅうどうくんに迎えられて

2016年11月19日 06時03分18秒 | JRさわやかウオーキング
9.こにゅうどうくんに迎えられて

四日市市の
東海道スタンプッリーはここがゴールで、マスコットキャラ、こにゅうどうくんの歓迎で
ゴールしました。



私も、先着300名にかろうじて入ったようで
記念のバッチと鯨船どら焼きをいただきました。

富田小学校の入り口には大きな岩に 



星まで届け 
REACH FOR THE STARE

と刻まれていました。

8.絢爛豪華な舟形の山車 鯨船

2016年11月18日 06時00分04秒 | JRさわやかウオーキング
8.絢爛豪華な舟形の山車 鯨船

富田地区文化祭会場である富田小学校には




鳥出神社の祭礼で執り行われる
鯨船が展示されていました。
鯨船行事はユネスコの無形文化遺産登録に申請中の勇壮なお祭りです。


「金色で飾られた絢爛豪華な舟形の山車、これに着飾った稚児や少年が
乗り込み歌と太鼓の音で踊りながら鯨取りの物語を展開する」

このような民俗行事のようですが、この地区には捕鯨の伝統があったわけではなく
豊漁と村の安全を祈願した祭りだったようです。

7.富田の一里塚跡から善教寺へ

2016年11月17日 06時55分40秒 | JRさわやかウオーキング
7.富田の一里塚跡から善教寺へ

旧東海道の名残り、富田の一里塚跡の石碑が立てられていました。


富田地区に近づいてきました。
すると行啓記念道路と書かれた説明板が・・・・読んでみると
明治43年大正天皇が皇太子時代に陸軍の演習を見るために旧制富田中学へ
おいでになったのを記念した道路だそうです。

薬師寺に立ち寄り、真宗高田派の寺院 善教寺へやってきました。
大きな寺院です。


阿弥陀如来立像とこの像の体内に納入されていた
鎌倉時代の文書が公開されていました。


ご住職も境内に見えて説明してくれました。

6.旧東海道の神社・仏閣めぐり

2016年11月16日 06時35分20秒 | JRさわやかウオーキング
6.旧東海道の神社・仏閣めぐり

旧東海道の大矢知からとみだ地区を歩きます。


古の佇まいは全くないですが神社や寺院は同じ場所なんでしょうね。

本尊に十一面観音菩薩を安置し公開している龍王山 宝性寺をお参りし、



続いて境内が隣接している長明寺、



しばらく歩いて三光寺と三つのお寺さんに
立ち寄ってから




若宮八幡社で小休止しました。



東海道スタンプラリーの押印所で、かぶせ茶の接待を受けました。
ウオーキング中の熱いお茶も疲れが飛んでしまうぐらいのおいしさです。

かぶせ茶は、
収穫1週間ほど前に茶の木に遮光幕をかける栽培方法から、「かぶせ茶」という名
が付いているそうですね。

5.富田の石取り祭車

2016年11月15日 06時29分09秒 | JRさわやかウオーキング
5.富田の石取り祭車

聖武天皇社に隣接して、毎年聖武天皇社夏祭りとして執り行われる石取り祭りの
山車が4台披露されていました。
石取り祭りといえば桑名の専売特許かと思っていましたが、
ここ富田でも毎年行われているそうです。
日本一やかましいと云われる「石取り祭り」の
ゴンチキチキと鉦と太鼓の音がやかましい囃子を奏でていました。

確かにやかましい、騒々しいお囃子ですね。

いただいた資料によれば、
桑名の石取祭の影響を受けて発展したと思われ、
現在では町ぐるみで行う地域に根付いた民俗行事といえます。

と書かれていました。

4.天皇を祭神とした 聖武天皇社

2016年11月14日 06時55分03秒 | JRさわやかウオーキング
4.天皇を祭神とした 聖武天皇社

奈良時代に聖武天皇が伊勢国に行幸した際に、ここ松原村に立ち寄り泊まったと言う
逸話から鎌倉時代に聖武天皇を祭神とした社が創建されたそうでしす。



今は地区住民の氏神様として親しまれ、夏には石取り祭りが盛大に行われています。
境内には、天皇の御歌を刻んだ歌碑が立てられています。



郷土が生んだ詩人である佐々木信綱の書による石碑だそうです。
妹(いも)に恋ひ 吾(あが)の松原みわたせば 潮干の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る」
という万葉集にも掲載されている歌が刻まれている

800年もの昔より地元若衆が力を競った力石が奉納されていました。

3.赤煉瓦工場が残る風景

2016年11月13日 06時50分06秒 | JRさわやかウオーキング
3.赤煉瓦工場が残る風景

水と緑のせせらぎ遊歩道から再び道路へ階段を上がると
「平治郎橋」という個人名の付いた橋が現れました。
この橋は明治41年竣工、
伊藤平治郎氏の尽力に感謝し、地元民の総意で平治郎の名前を付したそうです。



平治郎橋から広大なイオンモール見ながら歩いていると、赤煉瓦建物が見えてきました。



説明版があり
この赤レンガの建造物は、
「大正6年(1917)に創業した東洋紡績富田工場の敷地内に建てられていた、
原綿を保管する倉庫跡。
大正期の貴重な建造物して保管されていたので平成12年4月28日に登録有形文化財に指定された」

東洋紡績の中でも最大規模の富田工場も
栄枯盛衰
繊維産業が没落し流通業界の雄、イオンへとこの土地の持ち主も変遷していったのですね。