1983年暮れ、神経性胃潰瘍で入院していた病院の先生に「何とか家で暮れを過ごしたいんだ!」と強烈に訴えて、条件付きで無理矢理退院して、シャバに出た。
家に帰ると、TVからは「世界の料理ショー」で、いつもの具合に出来上がった料理を、酔うようにクチに運んで「いかに旨いか」を顔のアップで表現していた。
そして、その後NHKでの「YMO散会ライブ・スペシャル」をこたつに入って観て、YMOが終わっていくのを感慨深く、しかし(まだ、ワクワク感があった)年の暮れを自宅で過ごした。
入院中、食べ物を制限されていたお蔭で、シャバに出たら食べたいものを、ノートに記しながら、家ではお正月用のおせち料理のうち、叩きゴボウを作っていた。
***
1983年12月、病院の病床で聴いた「坂本龍一のサウンドストリート」を、お兄ちゃんが録音してくれていて、そのテープを自分の部屋で聴いた年末。
教授が役者として出演し、サウンドトラックを創った、大島渚の映画「メリークリスマス・ミスター・ローレンス」の話題に追われた教授の1983年。
坂本龍一は、もうその取材と話題に追われるのに嫌気がさし、自分は既に次の仕事にかかりたいがために「これで、この話題は終わり!」というシャットアウトとして、カセット文庫で発売したピアノ・ヴァージョンに、「Japan」「Coda」という新曲2曲を加えて「CODA」・つまり「最終楽章」としてLPレコードで発売した。
【ゴミ屋敷と呼ばれる我が家の中の遺品 カセットブック「アヴェック・ピアノ」】
この「Japan」「Coda」2曲と日本生命の「YOU」という商品のCMのバックに流れていた「君について・・・」の3曲をかけた1983年最後の放送のサウンドストリート。
***
この2曲は、教授のいつもの曲の作り方のように、スタジオのその場で創ったものだろうが、極めてハイクオリティなる逸品。
【坂本龍一 「Coda」】
あれから27年後の同日、12月30日の晦日、ボクはこの曲を選んで聴いている。
年賀状を1枚も、まだ書けておらず、既に「今年は年明け年賀だ!」と諦めた。
冬至を越えて、日々、陽の長さは長くなっていくだろうが、あっという間に、今日も陽が暮れてゆく。
山田五郎先生をゲストにしたTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」をかけながら、今年も独りで年末を過ごす。
家に帰ると、TVからは「世界の料理ショー」で、いつもの具合に出来上がった料理を、酔うようにクチに運んで「いかに旨いか」を顔のアップで表現していた。
そして、その後NHKでの「YMO散会ライブ・スペシャル」をこたつに入って観て、YMOが終わっていくのを感慨深く、しかし(まだ、ワクワク感があった)年の暮れを自宅で過ごした。
入院中、食べ物を制限されていたお蔭で、シャバに出たら食べたいものを、ノートに記しながら、家ではお正月用のおせち料理のうち、叩きゴボウを作っていた。
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1983年12月、病院の病床で聴いた「坂本龍一のサウンドストリート」を、お兄ちゃんが録音してくれていて、そのテープを自分の部屋で聴いた年末。
教授が役者として出演し、サウンドトラックを創った、大島渚の映画「メリークリスマス・ミスター・ローレンス」の話題に追われた教授の1983年。
坂本龍一は、もうその取材と話題に追われるのに嫌気がさし、自分は既に次の仕事にかかりたいがために「これで、この話題は終わり!」というシャットアウトとして、カセット文庫で発売したピアノ・ヴァージョンに、「Japan」「Coda」という新曲2曲を加えて「CODA」・つまり「最終楽章」としてLPレコードで発売した。
【ゴミ屋敷と呼ばれる我が家の中の遺品 カセットブック「アヴェック・ピアノ」】
この「Japan」「Coda」2曲と日本生命の「YOU」という商品のCMのバックに流れていた「君について・・・」の3曲をかけた1983年最後の放送のサウンドストリート。
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この2曲は、教授のいつもの曲の作り方のように、スタジオのその場で創ったものだろうが、極めてハイクオリティなる逸品。
【坂本龍一 「Coda」】
あれから27年後の同日、12月30日の晦日、ボクはこの曲を選んで聴いている。
年賀状を1枚も、まだ書けておらず、既に「今年は年明け年賀だ!」と諦めた。
冬至を越えて、日々、陽の長さは長くなっていくだろうが、あっという間に、今日も陽が暮れてゆく。
山田五郎先生をゲストにしたTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」をかけながら、今年も独りで年末を過ごす。