こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

写真日和 : ラッパ屋「YMO~やっとモテたオヤジ~」・In新宿

2010-12-30 20:29:02 | 写真日和
劇団ラッパ屋「YMO~やっとモテたオヤジ~」を観に行った際に撮った写真。



これがシンプルな舞台セット。
立ち食いの「富士そば」・東京メトロ地下鉄・立ち呑み・タクシー・・・
場面が変わるとともに、そのシーンに合わせて、該当の丸だけが光る。



通い慣れた紀伊国屋書店の上にある紀伊国屋ホール。



新宿地下街の階段のショーケースの中に立つ「ショールーム・ダミーズ」。
時代遅れの感覚のマネキンに魅力を感じる。

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ピロリの『冬』'83-③ 坂本龍一「Japan」

2010-12-30 16:55:12 | 音楽帳
1983年暮れ、神経性胃潰瘍で入院していた病院の先生に「何とか家で暮れを過ごしたいんだ!」と強烈に訴えて、条件付きで無理矢理退院して、シャバに出た。

家に帰ると、TVからは「世界の料理ショー」で、いつもの具合に出来上がった料理を、酔うようにクチに運んで「いかに旨いか」を顔のアップで表現していた。



そして、その後NHKでの「YMO散会ライブ・スペシャル」をこたつに入って観て、YMOが終わっていくのを感慨深く、しかし(まだ、ワクワク感があった)年の暮れを自宅で過ごした。

入院中、食べ物を制限されていたお蔭で、シャバに出たら食べたいものを、ノートに記しながら、家ではお正月用のおせち料理のうち、叩きゴボウを作っていた。

***

1983年12月、病院の病床で聴いた「坂本龍一のサウンドストリート」を、お兄ちゃんが録音してくれていて、そのテープを自分の部屋で聴いた年末。

教授が役者として出演し、サウンドトラックを創った、大島渚の映画「メリークリスマス・ミスター・ローレンス」の話題に追われた教授の1983年。

坂本龍一は、もうその取材と話題に追われるのに嫌気がさし、自分は既に次の仕事にかかりたいがために「これで、この話題は終わり!」というシャットアウトとして、カセット文庫で発売したピアノ・ヴァージョンに、「Japan」「Coda」という新曲2曲を加えて「CODA」・つまり「最終楽章」としてLPレコードで発売した。


【ゴミ屋敷と呼ばれる我が家の中の遺品 カセットブック「アヴェック・ピアノ」】

この「Japan」「Coda」2曲と日本生命の「YOU」という商品のCMのバックに流れていた「君について・・・」の3曲をかけた1983年最後の放送のサウンドストリート。

***

この2曲は、教授のいつもの曲の作り方のように、スタジオのその場で創ったものだろうが、極めてハイクオリティなる逸品。


【坂本龍一 「Coda」】

あれから27年後の同日、12月30日の晦日、ボクはこの曲を選んで聴いている。



年賀状を1枚も、まだ書けておらず、既に「今年は年明け年賀だ!」と諦めた。
冬至を越えて、日々、陽の長さは長くなっていくだろうが、あっという間に、今日も陽が暮れてゆく。
山田五郎先生をゲストにしたTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」をかけながら、今年も独りで年末を過ごす。

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