こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ピロリの『冬』'83-②Hall & Oates「Say It Isn't So」

2010-12-29 18:45:59 | 音楽帳
1983年秋~冬の定番として外すこと出来ないのは一連の「YMO散会」にまつわる「事件」ですが、リアルタイムでヒットした曲の中でも、ホール&オーツの「Say It Isn't So」はハイクオリティな曲として忘れてはいけないナンバー。

幸宏のオールナイトニッポン、教授のサウンドストリートでも、この曲はかかったが、とにかく文句なしに「ええ~なぁ~。」「ホール&オーツのこの曲イイよねえ。」とちまたではみんな異口同音に感嘆して聴いていた。

ホール&オーツはNYのデュオだったが、アメリカが実にくだらない音楽しか生み出さなかった80年代において、別格扱いの、まさに「ソウル(魂)」を揺り動かされる素晴らしい音楽を創り続けていた。

個人的には「ワン・オン・ワン」という曲が特に好きだが、シングルのみで発売されたこの「Say It Isn't So」には、それまでのホール&オーツには無い進化した姿が発見されて、みんなそこにハマっていた。



来年来日するらしいですが、既にチケットは完売しているそうです。
残念。

たかが東大に受からなかった事からぐれて資本主義の単なるカネ追求に走った秋元康が、おニャン子クラブの「セルフ二番煎じ」で「AKB48」という記号を濫用して、その器に入るものから派生する枝葉まで【マーケティング手法としては】実に古い手法でシナリオを書き、荒稼ぎするだけの「哀しい人」が居る一方で、「ホール&オーツ」のような素晴らしい音楽が、いつまでもこうして見えない多くのリスナーを惹きつけ続けることは、魂としての音楽の良い傾向だと思う。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 遥かなる道程

2010-12-29 01:24:23 | 雑記帳
さくりんさんは、29日も仕事だし、MZ師、森下礼さんからもコメントを頂いているが、22時、狭いながらも愉しい我が家に独り戻り、一応、というか、一旦休戦期間に入った。

2010年の仕事が終わった。

さまざまな怒り・嘆き・やらねばならないコト・・・

脳は「カオス」に満ちていて、何も考えたくはない状態。

しかし、あと3日生きられれば、とりあえず2010年を乗り越える地点にまで来た。

こんな夜に、聴きたくなったのが、ビートルズ(実質ポール・マッカートニー)の名曲「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。

遥かなる道程・・・。

***

私は、中学2年生の時の「或る日」を境に、当時、他人には言わなかったし、今も脳を調べても治癒しないだろうが「過去の記憶力」に障害を持っている(と思っている)。

私がブログをやるのも、家の身の回りに過去の遺品をぐちゃぐちゃに積んで自分を安心させるクセも、写真を撮るのも、メモを取るのも、全ては、「或る日」を境にしたこの脳の障害に対する「過去への糸口」を残すためである。

パソコンの無い時代には、それが、エア・チェックであったり、ノートへの日記やいたずら書きだったりした。

デペッシュ・モードの『コンストラクション・タイム・アゲイン』に「変わりゆく風景」という曲が入っているが、まさに、その中学2年生(1980年)の「或る日」を境に日々周囲の世界がアメーバーのように変わっていく恐怖と闘いながら、その変化する周囲と、それに対応する自分の日々の苦慮を地道に続けながら、「世界」と「自分」の関係の在り方とコントロールを練磨してきた。

そんなパニックから、丸30年×365日-3日。

次第に、そのコントロールはなだらかに、自らで生み出した様々な対処法で対応できるほどにまでなった。

***

外傷があれば、血や見た目の不具合さは可視可能だが、脳や精神は可視不可能である。

それを治療することは「病院があるじゃないか」というのは全くのウソで、「完治するだろう」という浅い希望は、様々な病院に通ったが気休めであった事によって裏切られた。

結局のところは、自分は自分であり、この「自分」という中に見えない形で潜む病は、自分で治すしか無いのである。

私は、実は、安易・闇雲に「かたちんば」などというコトバを乱用している訳では無いのである。

***

私が大学時代に出会った・まさに「邂逅」した一冊。
色川武大さんの『狂人日記』。

そこには、色川さんご自身の病の投影と、実際に精神病院で過ごした一人のノンフィクションを絡めたリアリティに満ちた小説だった。

そこに、私は、私を、見いだした。

私にとっては、三島由紀夫の「金閣寺」と並び、「かたちんば」の代弁者であり、「私だけが異常なのではない」という、発見と薄い明かりを感じた貴重な作品。

これは2冊とも読んでもらうしか無いが「自分がいくら、自分の中で幻覚・違和感が流れようとも、人に伝えなければ・何も言わなければ、異常も正常も他人には視えないのだ。」という『内界と外界』【自分と世界】の有様を見事に表現していて、そこに自分を重ね合わせた。

***

ビートルズ 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

長く曲がりくねった道は 君のもとに向かう道。
決して消えることがない、前も見たことのあるこの道を。
行けば必ず、ここに辿りつく。
君のもとに辿りつく。

荒れた風の強い夜。
雨が洗い流したあの夜は、涙の水溜りを残して去って行った。
昼を求めて泣きながら。

なぜボクをここに佇ませて、去ったのか。
教えてほしい。
どっちに行けばいいのだろう?

何度も何度も独りぼっちになって
何度も何度も泣いたことがある。
そう言っても わかってもらえないだろう。
いろいろやってはみたってことを・・・・。

でもやっぱり、振り出しに引き戻されて。
長く曲がりくねったこの道に来てしまう。

君はボクをここに佇ませたまま、とっくの昔に去って行った。
もうここで待ちぼうけなんてたくさんだ。
君のもとへ行きたいんだ。

君のもとへ・・・・。


内界=「自分」=ボク・と・外界=世界/他者=君。

君のもとへ辿りつきたいけれども、容易ではない困難な道のり。

しかし、ボクが君に辿りつきたい「想い」だけは捨てないし諦めない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする