こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年9月1日 木曜日 デヴィッド・シルヴィアン「セプテンバー」'87

2011-09-01 22:20:28 | 音楽帳
今年の暑さは、予想外(「想定外」ではない)に前倒しで6月から来た。
そこで「猛暑だ、猛暑がやってくる」「電気が止まる、止まるぞお」「省エネだ、省エネだ」という「プロパガンダ」に誘導されて「ワッショイ、ワッショイ」みこしを担ぐ人々を見つつ・・・
結果、何てことは無く、見事に8月真ん中から一気に気温は下っていき、下旬ともなれば鈴虫が鳴き出す、生き物に優しいありがたい気候となった。

くもおさんがブログで冷静に、そして、早々に「今年は冷夏の部類に近い」と語っていたように、恣意的誘導が背後で動いていたのかもしれない。

昼だけ仕事場で見るTVで、森さんという気象予報士の方は、かなり前から、今年は全部季節が前倒しになっている、と語っていた。

9月1日というのは、学生の長過ぎる休み明けの始まりの日。
しかし、例年の9月1日は、まだまだ夏の匂いが消えないものである。
逆に、今年が異例な状況なのだとも思う。

***

マスメディア&グルというのも本当に適当で、例年8月の下旬という「時期」には必ず「秋」のCM、ビール発売がいっせいに始まる。
紅葉の風景なんか載せて。

また、いっつも引っかかるのが、7月下旬~8月一杯「『夏休み』なんとか情報です・・・」などと言葉の枕に『夏休み』と付ける語り口。
小中高の40日、大学生は更に・・また一部の富裕層はもっと?・・という長い『夏休み』。
しかし、その反対で見聞きしている多くの働く人たちはそうはならない。

「夏くらいは、そういう雰囲気で・・・」ということなのだろうが、違和感がある。

もっと違和感があるのが、8月31日23:59:59と9月1日0:00:00の間の切断。
例年、これを越えたとたんにFMは秋の曲を流し出したり、「秋ですねえ・・・」と語り出す。

***

例年ならば、まだまだ夏の匂いが消えない9月1日。

しかし、2011年は、8月下旬からしっとりとした秋の匂いを風に感じ「異例の年」の9月の始まりとなった。
やっとデヴィッド・シルヴィアンの「セプテンバー」が似合う年に出会った感がある。


【ジャケットのアートワークはラッセル・ミルズ】



■デヴィッド・シルヴィアン 「セプテンバー」■

空高く陽は輝き こだまする笑い声
鳥たちが古びた教会の 十字架に襲いかかる
ぼくら恋しているんだね・・・と口に出してみる

ひそかに雨を待ちわびながら
コーラをすすりゲームを楽しむ

9月がまたやって来た。
9月がまたやって来たんだ。

***

この自分が愛する曲は、1987年の「シークレッツ・オブ・ビーハイヴ」の始まりの曲。
ただ、たまにこのアルバムをデヴィッドの最高傑作と言う人に出会うが、自分はそうは思わない。
「セプテンバー」「マリア」「オルフェウス」「レット・ザ・ハピネス・イン」は、素晴らしい曲だが・・・・
アルバム全体となると、それ以前の流れの密度から見てしまい、散漫な感を自分は拭えない。

ジャパン時代~全身全霊を捧げて一人で歩み出し・創り出した「ブリリアント・トゥリーズ」、京都の石庭にたたずむ美しきデヴィッドの姿と音を組み合わせたヴィデオ「プレパレイション・フォー・ジャーニー」、ロバート・フリップと共に創り出した「錬金術」・「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」、2枚組「ゴーン・トゥ・アース」。。。。。

趣味嗜好は人それぞれだし、出会い方もいろいろだから「シークレッツ・オブ・ビーハイヴ」を最高傑作と言うのも良かろう。

しかし、ジャパンからソロへと・・・その流れをリアルタイムで経験してきた人ならば、その語り口は無いように思ってしまう。
今まで一体何を聴いてきたのだろうか?
そんな疑問が、どうしても付きまとう。
コメント
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