1985年4月から1987年3月までの二年の浪人の放浪は、悲惨を極めた。
その長い長い2年の最後のころ、とうに精神破綻を越え、廃人と未来無き死と間近に添い寝していた。
自分は、当時のウォークマン等々、今で言うモバイルのグッズを持たないために、いつも小学生以来のラジオだけを持ち歩いていた。
「2011年の方々」がケータイを持つように。
電車に乗るだけで、周囲が迫ってくる恐怖と戦いつつ、場合によってはひと駅ごとに降りつつ、冷や汗をかきながら、乗らざるを得ない場面では電車に乗った。
イヤホンでしがみつくように聴いていたのは、英語放送の810KHZ「FEN」(極東放送)。
東武伊勢崎線というのは、北千住から小菅刑務所のある小菅を超えた所で、円を描くような走行になる。
そのぐるっと回るときに、遠くにある新宿のビル群、池袋サンシャイン60、東京タワーが空気が澄んだ日には見えた。
ボクは未だにここの電車の走るポイントと風景が好きである。
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当時、必死に冷や汗をかく中、ここでアメリカのヒット曲をかけてくれていたFENでマイアミ・サウンド・マシーンの「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」というメロウな優しい曲が掛かり救われた日があった。
***
小林克也さんの「ベストヒットUSA」でもマイアミ・サウンド・マシーンは知っていたが、自分の救いと興味は、ヴォーカルであるグロリア・エステファンだった。
文武両道の右傾化した男子校での高校、2年の浪人、大学と恋人と無縁であった自分は、キレイな女性のヴォーカルにせめてと思い、身をゆだねて来た。
それは社会人になって右も左も分からない大阪に放り込まれた孤独の時代もそうだった。
自死を損ない分裂病との格闘をする中、自分は女性ヴォーカルに自分がくるまれる時間を愛した。
そういう中、グロリア・エステファンの容姿と顔が、どうにもこうにも、たまらなく自分を惹きつけた。
こういう顔が好きなのは(ほくろの位置を含めて)、たぶん、自分が幼児から育った過程で、親では無い、かわりの育ての親だったお姉さんたちに可愛がられた経験からのものであろう。
ただ、そのなかの誰の顔がそこに投影されていたのかは、自分の無意識下から、未だ引っ張り出せていない。
幼い頃に可愛がってくれたお姉さんというのは、本人には意識は無いだろうが、その愛を受ける側の私には、淡い恋を抱かせた。
グロリア・エステファンが好きなのも、そこに起因する。
***
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大阪で聴いた、彼女のソロ・アルバム「カッツ・ボス・ウェイ」のジャケット写真。
この写真のまなざしにもドキッとした。
当然、中身の音楽も良くなければ、自分の興味は引かないのだが、マイアミ・サウンド・マシーン以来、メロウでスローな曲が常にあって、自分はそういう曲を常愛し、彼女の優しいヴォーカルを聴きながら、彼女に包まれているような気持ちになれた。
それが、自分のある部分での癒やしであり、救いだった。
■マイアミ・サウンド・マシーン「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」■
その長い長い2年の最後のころ、とうに精神破綻を越え、廃人と未来無き死と間近に添い寝していた。
自分は、当時のウォークマン等々、今で言うモバイルのグッズを持たないために、いつも小学生以来のラジオだけを持ち歩いていた。
「2011年の方々」がケータイを持つように。
電車に乗るだけで、周囲が迫ってくる恐怖と戦いつつ、場合によってはひと駅ごとに降りつつ、冷や汗をかきながら、乗らざるを得ない場面では電車に乗った。
イヤホンでしがみつくように聴いていたのは、英語放送の810KHZ「FEN」(極東放送)。
東武伊勢崎線というのは、北千住から小菅刑務所のある小菅を超えた所で、円を描くような走行になる。
そのぐるっと回るときに、遠くにある新宿のビル群、池袋サンシャイン60、東京タワーが空気が澄んだ日には見えた。
ボクは未だにここの電車の走るポイントと風景が好きである。
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当時、必死に冷や汗をかく中、ここでアメリカのヒット曲をかけてくれていたFENでマイアミ・サウンド・マシーンの「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」というメロウな優しい曲が掛かり救われた日があった。
***
小林克也さんの「ベストヒットUSA」でもマイアミ・サウンド・マシーンは知っていたが、自分の救いと興味は、ヴォーカルであるグロリア・エステファンだった。
文武両道の右傾化した男子校での高校、2年の浪人、大学と恋人と無縁であった自分は、キレイな女性のヴォーカルにせめてと思い、身をゆだねて来た。
それは社会人になって右も左も分からない大阪に放り込まれた孤独の時代もそうだった。
自死を損ない分裂病との格闘をする中、自分は女性ヴォーカルに自分がくるまれる時間を愛した。
そういう中、グロリア・エステファンの容姿と顔が、どうにもこうにも、たまらなく自分を惹きつけた。
こういう顔が好きなのは(ほくろの位置を含めて)、たぶん、自分が幼児から育った過程で、親では無い、かわりの育ての親だったお姉さんたちに可愛がられた経験からのものであろう。
ただ、そのなかの誰の顔がそこに投影されていたのかは、自分の無意識下から、未だ引っ張り出せていない。
幼い頃に可愛がってくれたお姉さんというのは、本人には意識は無いだろうが、その愛を受ける側の私には、淡い恋を抱かせた。
グロリア・エステファンが好きなのも、そこに起因する。
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大阪で聴いた、彼女のソロ・アルバム「カッツ・ボス・ウェイ」のジャケット写真。
この写真のまなざしにもドキッとした。
当然、中身の音楽も良くなければ、自分の興味は引かないのだが、マイアミ・サウンド・マシーン以来、メロウでスローな曲が常にあって、自分はそういう曲を常愛し、彼女の優しいヴォーカルを聴きながら、彼女に包まれているような気持ちになれた。
それが、自分のある部分での癒やしであり、救いだった。
■マイアミ・サウンド・マシーン「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」■