こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年2月18日 月曜日 高木正勝 「Journal For People」'02

2013-02-18 22:10:25 | 音楽帳

1996年3月末に、第二のふるさととなった大阪から、引き裂かれるように、再びシャバ=東京に戻ったじぶん。
それからしばらくは、元々東京の者であるにも関わらず、大きな違和感を覚えながら、何か浦島太郎のような気分で居た。

聴く音楽の方は・・・と言えば、毎週聴き始めた深夜番組「電気グルーヴのドリルキングアワー」と共に、1997年発表のアルバム「A(エース)」で、初めてきちんと彼らの音楽に対峙する。

そんな事件もあったが、80年代の1日1日がめまぐるしい、という世界ははるか遠くにあり・・・・・
また、初めての異国の地・大阪で、生きるために死にモノ狂いだった1991.4~1996.3の、密度濃い20代後半の激動の日々にもサラバを言い・・・・・
砂を噛むような「終わりなき日常」がひたすら続いていた。

1996年4月8日。
コチャコから産まれた、まみちゃん・正ちゃん・シロちゃん・ウリちゃんの、生命の息吹と共に過ごす幸せが、いきなり始まりはしたのだが。。。
それとは別にして、戻った「よそいきの顔をした」東京への違和感は、しばし容易に去らないものであった。

改めて、魔界・東京の街への放浪を続ける中、毎週のように通る神保町。そこでは、ひさしぶりのジャニスに、よく立ち寄っていた。

そして、21世紀に入って、お店で偶然に掛かった音との出会い。
ウルリッヒ・シュナウスのファーストアルバム「FarAwayTrains Passing By」(2001年)。
じぶんの中に広がる解放感、そして、新しい時代のテクノの息吹を感じた。
そのジャニスで初めて知った用語「エレクトロニカ」。

そして「細野さん、何も制約が無い中で、音楽を創りたいな・・・」という幸宏。
ソロで行き詰まった中、細野さんは幸宏の要望に応えるような形で、リハビリテーションを兼ねて「スケッチ・ショー」という2人のユニットを作る(2002年)。
しかし、しばらくの間、じぶんはそれを遠ざけてきた。

元々、石野卓球の師であったYMO。
そのYMOの中の2人が組んだユニットを、彼主催の「ワイヤー」なるテクノ・フェスティヴァルに「新人」として出演させたのも含めて、大きく時代が変わってしまったことを目の当たりにし、むなしくなった。

それが、わたしの本音だった。
YMOでは無い・片手落ちの感が、しばらくは否めなかった。

ビートルズのマニアが、その夢の時代の再現を願って、うなされるように心に抱いていた「再結成」。それは、ジョン・レノンへの銃弾と共に砕け散った。
決して「単なる再結成」などという安っぽいものが、じぶんの心を癒すとは思えなかったが、だからと言って、欠落してしまった「何か」を埋める代償が無いまま、じぶんも時を刻んでいた。

「それでも!」と、スケッチ・ショーのアルバム「オーディオ・スポンジ」を聴き込み、その後のシングル「Ekot」を聴き、YMOでは無いけれども、ここには現在進行形の2人の姿があると認めるにいたった。

そして恵比寿のオールスタンディングのスケッチ・ショーのライヴを聴きに行ったじぶん。
そこで知ったアオキタカマサくんのエレクトロニカに「目を覚まし」。。。(「シンプリー・ファンク」には特に。)
同時期ごろに、出会った高木正勝さんのアルバム「Journal For People」(2002年)を聴いて、「目からウロコが落ちた」。
(ジャニスで借りた、その前の作品「Pia」には、特に響くものが無かったが。)

「Journal For People」は音だけではなく、映像作家としての高木正勝さんの優秀さも光る一枚。

その後、2003年に突如現れたデヴィッド・シルヴィアンの新譜。
ジャケットのイラストも、そして、音楽の中身にも「ええっ?」というびっくり。
それまでのデヴィッド・シルヴィアン像から、大きく変化した名作「ブレミッシュ」の誕生。

その「ブレミッシュ・ツアー」(2004年)を昭和女子大学・人見記念講堂に見に行くと、ぬあんと、予約した席は、一番最前列のセンター。
目の前に、デヴィッド・シルヴィアン、スティーヴ・ジャンスン、そして、映像とキーボードを担当した高木正勝さん。
その当たりから、どんどんとエレクトロニカへとじぶんは傾斜していった。

■高木正勝 「J.F.P.」2002■


単に「エレクトロニカ」とカテゴライズされたものではなく、音楽としての芯があるので、10年経って聴いても、今でもこのアルバムは心地良い。
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2013年2月17日 日曜日 向島・曳舟あたり

2013-02-18 00:30:31 | 写真日和
情けない。昨日の昼、食事を摂ったら寝てしまい・・・そのまま冬眠状態に。
駄目にんげんである。

ということで、今日は午後、ネコ・パトロールに向かう。あてどもなく。
昨日のような突風は無かったが、それなりに冷える日ではあった。
出会おうとうろうろすれば、出会えないもの。
しかし、冷える日にネコが居ない、というのは、ネコの賢さを示している、と解釈したい。どこか冷えを回避出来る場所に、彼らは居るはず。。。

今日出会ったノラちゃんは1人のみだった。

エサをあげるまでもなく、さぶいというのに元気で飛び跳ねて去っていった。

帰路の途中で食材を買って、家に帰って料理。それを食べると、また意識不明になる。
起きると23時すぎ。溜まった疲労が取れない。

またか。。。と思われるだろうが、デヴィッド・シルヴィアンの『ゴーン・トゥ・アース~遥かなる大地へ~』より、「アンサード・プレイヤー」が聴きたくなる。
■David Sylvian 「Answered Prayers」1986■

本日ふらふらした向島・曳舟界隈の写真より数枚。
ひどい再開発惨状も見たが、その写真は、今日は一部よける。

冷えるものの、春が間近に来ていることを、肌が感じる。
生き物たちよ、あともう少しだ。





























好きな鳥・すずめさんたちが、みんなで寄り添っていた。















今日で、愛しのコチャコが亡くなって3ヶ月が経った。
コメント (2)
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